身体拘束

7月12日木曜日・

広日記『4時起床ヒマだったので横になり壁をトントンと蹴っていたら、となりの病室から苦情が入ったのかナースさんが来て、とんぷくを飲まされて眠らせられた。』

遅くなったが広の隔離室での生活環境は6月27日に物の持ち込みは可能となったが、その時までマットレスと掛け布団だけだった。その後隔離室は、ほぼそのままの状態で7月9日にマットレスが二枚になり、ダブルベッドのように広は活用していた。机はマットレスで座って食事しても良いように段ボールで出来た机で広は過ごしていた。別に面会者用にイスと机はあったが広は、マットレスからの移動が面倒で使用する事は滅多に無かった。これが広の隔離室での生活環境の一部だ。

広日記『12時起床とんぷくのせいか寝起きがボーとしていた。』

広日記『12時5分昼食が届いたアナウンス』

広日記『12時13分昼食が運び込まれる。スパゲッティー、サラダ、フルーツと寒天ゼリー、お茶。』

広日記『12時33分昼食完食。自分で食器を運び、はいぜん台に片付ける。』

広日記『12時40分昼食後の薬を配るのと検温するアナウンス。検温をやりに行く。』

広日記『15時起きた時間が昼食の時間だったのもあり、食べ終わってからは病棟内を歩き周った。時に休みがてら多目的室の大きな窓から景色を見て、今日も時間いっぱい歩き周った。15時になり隔離室に戻ったものの、しばらく誰も重たい扉を閉めに来なかったが中で、大人しく閉まるのを待っていた。』

広日記『16時47分お風呂に呼ばれる』

広日記『16時54分入浴』

広日記『17時15分隔離室に戻る』

広日記『17時33分夕食が届いたアナウンス』

広日記『17時夕食が運び込まれる。白米、サバの塩焼き、里イモと大根の煮物、白菜の酢物、お茶』

広日記『18時5分白米だけ残した』

広日記『18時32分夕食後の薬を配るアナウンス』

広日記『18時38分夕食後の薬来る。夕食の食器をナースさんに片付けてもらうように頼む』

広日記『19時55分面会終了まで5分前のアナウンス』

広日記『20時30分寝る前の薬を配るアナウンス』

広日記『20時32分寝る前の薬来る』

広日記『21時21分消灯の為明かり消される』こうして広は何気ない一日を過ごした。

7月13日金曜日・

広日記『3時50分起床。思えば1212号室の隔離室は窓から空も景色も見ることが出来る。我が家の私の部屋に戻れば通信も部屋の出入りも当然自由だが、私の部屋は1階で窓には防犯と目隠しの為か雨戸が固定して取り付けられている。その為朝になっても陽の光も目に入らない程だし、外の景色も当然見ることが出来ない。所詮出歩くことも少なかったんだ。今も家の中に居た頃としても、牢屋の中に居たことに変わりなかったのだろう。まだ成田先生からの宿題『SNSについて』を終わらせてない。終わらせるとしよう。』

『SNSについて・やっていて良かったこと、楽しかった思い出・同じ共通点や思考や趣味の人と繋がられる、会おうと思えば連絡して会うことが出来る、自己発信出来て自己発信の快感が得られる、情報の取得が早く出来る、素敵と思えるものを見つけられる、知らなかったことや興味関心が増える・SNSについて・悪かったこと、イヤだった思い出・同じ共通点や思考や趣味が変わると繋がりが無くなる、実際に会って危険な経験をする可能性、思考が偏る、個人情報を晒しかねない、誤った情報が拡散されている可能性、不快なものを見てしまう、知らなくて良かったことを知り興味関心が薄くなる』

広日記『5時50分SNSについての宿題はこんなものだろうか。あとはこのメモを成田先生に見せながら今日は話し合うだけだ。波姉と話したことと今までの経験上からでまとめてみた。あと一つ悪かったことに加えるとしたら、「不快な思いをさせてしまった」だろう。これは私の罪なのだ。』

広日記『7時精神科病棟に朝食が届いたアナウンス』

広日記『7時10分1212号室の隔離室に朝食が運び込まれる。白米、旬彩卵、白菜の煮浸し、みそ汁、牛乳、お茶。』

広日記『7時32分朝食後の薬を配るアナウンスが流れる。白米だけ残す』

9時頃・最初の退院予定日から10日が過ぎていると、広は手帳の入院何日目という自分の記録で知り、早く退院したい思いが募り始めこの隔離室から早く出たくなり、この気持ちをどこにもぶつけられない為、重い扉を蹴り、壁を殴り、蹴り、広は暴れまくった。ナースが来て落ち着くようになだめにも来たし、壁に取り付けられているナースコールを押してナースが出た瞬時にナースコールを叩いて、暴れている事を絶賛暴れ中のアピールをもした。それでもココから出て早く退院したい気持ちは本物だった為暴れていた。

11時頃隔離の開放時間だが、あまりにも暴れ続けていた為、隔離の事について担当している医師が来て、「これよりあなたを24時間隔離します」と言った。

当然広は「ココから出せよ!早く退院させろよ!」と怒号を上げた。

医師は冷静に「暴れている以上出来ません」と言い放ち隔離室の重たい扉を閉めた。

広は(24時間の隔離ということは今日は病棟に出られない。しかしこの隔離の行為は私にとって逆効果なんだよ!)と思った。広はより一層暴れた。ナースコールを押して「出せ!」と叫んだり、マットレスを壁に立て掛けて勢い良く蹴りつけもした。一連の暴走を繰り返し、12時頃の昼食時にナースコールでナースが「お昼ご飯食べますか」と聞いて来たものの、広は「要らない!」と言って暴れるのを再開した。

13時~14時頃・広はもう出られない事がイヤになり、ナースコールを押して「自殺する」と言った。広はこの病院に自殺まで追い詰められたと思いながら自殺を宣言して、着ていた長袖のシャツを脱ぎ、その長袖シャツで自分の首を絞めた。その瞬間とっさにナースや医師や広の担当の成田先生や広が信頼している長渕ナース計6名、7名の大人が隔離室に駆け込んで来た。

広は(こうでもしなければ誰も患者と本気で向き合わないのか)と思った。(ただ隔離して放置していれば良いという考えは治療とは言わないぞ)とも思った。そして

成田先生から「約束通り拘束だね」と言う言葉が発せられた。しかし

広は「イヤだ」と言った。すると長渕ナースが尻もちついて床に座って立て掛けてあるマットレスに寄り掛かっている広に歩み寄りしゃがんだ。そして「自殺しようとしちゃったし今回は拘束するしか無い」と言った。

広は「ここから出して欲しい。早く退院したい」と言った。

成田先生は「退院するのに視野が狭くなっているね」と言った。拘束用のベッドが来て、移るように言われる広。やはりそれでも

広は「イヤだ」と拒否をする。

他の医師が「今回は隔離すると言っても暴れ続け自殺まで図ろうとしたんだから仕方ないよ」と言う。

それでも広は「イヤだ」の一点張り。

しかし半ば強制的にベッドに移されそうになり広は「やめて。放して!」と大人数相手に抵抗する中、小学低学年の頃一つ上の学年からイジメられていた頃の記憶がフラッシュバックしていた。そして抵抗虚しく、抑えられながら手と胴を拘束されてしまった。その後鎮静剤などの注射をされ拘束後の処理をするナース達。広は次第に意識を保つ必要性を感じず眠った。

とある時間・一人すすり泣く、泣き声が聞こえ、広は意識を覚ます。薄く目を開くと母海里が、広の拘束された姿を見て泣いて居た。(拘束直後成田先生が「お母さんに拘束した事を連絡しました」とかって言ってな)と広は思い、(夕方来るとも聞いてたし面会時間に海里が来てくれたのだろう)と思いながら母海里の泣く姿を最後に目にしてまたすぐ眠った。

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