日常は変わらず
四月二十六日。
昨日とは打って変わって、この日は平穏な日常から始まった。
とても学校に行くような気分ではなかったが、どうせディーと会うのは放課後である。それまではできることもないから、登校するようにと勧められたのである。
実際、平日にユウが外をうろついていて、警官に目を付けられでもしたら面倒である。
意欲は皆無だが、出席だけはしておくことにした。
「
昨日の出来事は大々的に取り上げられ、ニュースを賑わせている。
どうやらテロが起きたということで決まったらしく、見出しにはそのような文言が踊っている。現在も現場周辺は立ち入り禁止となっており、周辺にも応援要請をして大規模な捜査を行っているらしい。
教室でも話題になっていたが、あくまで話のネタとして、である。現場から離れたここでは、しょせんは対岸の火事で、興味の対象でしかない。
「その問題を解決したのが、向月博士による共有認知ネットワークの開発だ。人間の脳を一つの規格と定義し、外界に対する認知を相互に結びつけることで、巨大な仮想ネットワークを実現したんだ」
普段から退屈な授業が、今日はいつにも増して耳障りである。
教科書を読み上げるだけでなく、補足説明を行ってくれるだけ良心的な教師といえるが、ユウはすでに知っている内容だったし、あいにく今は耳を傾けるだけの余裕はなかった。
今はただ、昨日のディーの話で頭がいっぱいだった。
『三日が限界だね。それまでに「修正」されないと、君は今度こそ消滅してしまう』
ディー曰く「半身を使って補った」というのは、あくまで応急的な対処らしく、いつまでももつものではないらしい。
期限は三日。それまでに「修正」を完了させなければならない。
「修正」というのは、SPHERE(スフィア)自体による自浄作用のようなものらしい。
本来ならばコアデータを破壊されたら修復は不可能だし、それに対してなにか行われることもない。
しかし、
その被害は、本来起こるはずのなかった出来事である。
故に、この場合に限り、例外的に「修正」と呼ばれる現象が起きるとのことだ。
修復ではなく修正、である。破壊されたものを治すのとは全く異なり、破壊そのものを「なかったこと」にしてしまう。
それはつまり、
脳を破壊されたユウが生きるためには、この修正に頼らなくてはならない。
ところが厄介なことに、この現象は無条件で行われるわけではないらしい。
修正を発動させるためには、ある条件を満たさなくてはならない。
『当該の
異常を直すためには、まず根本の原因を取り除かなくてはならない。理屈としてはそういうことだろう。
そこもなんとかしてくれればと思うが、文句を言っていても始まらない。
当然ユウ一人ではどうしようもないので、ディーと会った際にその相談もすることが決まっていた。
待ち合わせは放課後、場所は 駅。そしてこれが、初めての顔合わせである。
掲示板では二年近くの付き合いだが、実際に会うとなれば話は別である。
ただでさえ人と話すのが得意でないユウである。
まして相手は普通の人間ではない。
緊張というより、憂鬱と表現したほうが正しいのかもしれない。
ちゃんとコミュニケーションが取れるか、目下の懸念であった。
「認知によるネットワークが成立したことにより、機械による管理が必要なくなり、
ディーがどんな見た目をしているかも不明である。
いわく「ボクから声をかけるから」とのことで、特徴も一切教えてもらえなかった。
声だけ聞くと若い優男といった印象だったが、声のみでは判断のしようがない。
当のディーは、今日になってから一度も反応がない。向こうがユウの状況を把握できているかは不明だが、時間になるまで黙っているつもりなのかもしれない。
「そして、認知を共有できる人間のみではあるが、人類は
絶え間なく届く教師の話し声のせいで、考え事に集中できない。まさか耳をふさぐわけにもいかず、黙って受け入れるしかない。
早く終われ。
願いが聞き届けられるはずもなく、授業は時間いっぱいまで続けられた。
「今日はずっとボーっとしてたな。なにかあったのか?」
悠久にも感じられた授業がようやく終わり、ついに訪れた放課後。
さすがに様子が変だと気付いたのか、ハルキが話しかけてくる。
「……ただの寝不足だよ」
ほんの少しだけ、真実を伝えるべきか悩んだが。
結局、適当にごまかすことにした。
「夜更かしなんて珍しいな。なにか面白いものでも見つけたのか?」
「まあそんなところだな」
実際には面白いどうこうの問題ではなく。もっと切迫した状況であるのだが、ここで話すことはしない。
「ちょっと興味あるな。あとで教えてくれよ」
「また今度な、気が向いたら」
機構が直接動くほどの事態である。ハルキたちに話したところで無意味だし、いたずらに巻き込んでしまうだけかもしれない。
なにより、話したところで信じてもらえるとはとても思えなかった。
「フフフ、誤魔化さなくてもいいんだぜ?」
そうこうしている内に、ヒロトも会話に加わってきた。
なにを勘違いしているのか、やけに自信満々な表情だ。
「なにが?」
まさか昨日の一件を知っているわけでもないだろうし、的外れな指摘が飛んでくるのはわかりきっている。
無駄に溜められても時間がもったいない。さっさと話してもらうよう、適当に促していく。
「ズバリ、グリードハッカーズの体験版に夢中になっちゃったんだろ!」
そして案の定、かすりもしていなかった。
「いや、違うから。というかまだダウンロードもしてないし」
「……そんな真顔で言われると少し傷付くぞ。せめてダウンロードだけでもしてくれ」
恨めしげにヒロトが抗議しているが、別にやりたくないわけではない。単にそれどころではないというだけである。
彼には悪いが、この件が片付くまでは手を出すことはないだろう。
「まあまあ、ユウだって色々やることがあるんだろ。俺は昨日少しだけやってみたから、それで我慢してくれよ」
「おお! さすがハルキだな、わかっているな。ユウとは違うな」
「おい」
なだめるために、ハルキが話に乗っかっていく。ゲームの話ができるとわかるや、ヒロトはすぐに立ち直って調子づいていた。
別にヒロトの機嫌がどう上下しようと構わなかったが、それで自分が貶されるのは面白くない。一言だけ釘を刺しておいた
「まだ軽く触ったぐらいだけど、確かに前よりもできることが増えて楽しそうだったな」
「実際かなり楽しいぜ。ボスまで進めると地形どころかルールまで弄れるようになるから、攻略法もたくさんあるんだぜ」
「へー、でもそこまで自由度が高いと難しそうだな」
「慣れたらすぐだって、詰まったら俺が手伝ってやるし」
当のヒロトはハルキと話すのに夢中で、ユウの声はすでに届いていないらしい。目を輝かせてゲームの話題に喰いついている。
この分だと、先に帰っても問題ないだろう。
二人を残して教室を出ようとすると、嫌でも聞こえてくる声が響いてくる。
(もう放課後だよね。それじゃ昨日話した通り、駅で集合しよう。ボクも少ししたら向かうよ)
昨日の夜以来、いくら呼びかけても反応しなかったというのに、随分と唐突な出現である。
文句の一つも言いたかったが、ディーは確認だけ終えるとさっさと連絡を終わらせてしまう。
どの道、まだ人の残る教室では会話などできなかったが。
確かにあとは待ち合わせ場所に集まるだけだが、これでは向こうのいいように付き合わされているだけである。
まだ完全に信用したわけではないのに、必ず来ると確信しきった態度だ。
昨日のことといい、見透かされているようで面白くない。
そんなことを考えながら、視線を教室に戻すと。
まだゲームの話を続けている二人の姿が見えて。
「……二人とも、ちょっと頼みがあるんだけど」
二人に協力してもらうのは少し気が引けたが、念には念を入れておきたかった。
それに、大したことはない。少し離れたところで見張ってもらうだけだ。
あくまで、ディーが嘘を言っていた場合の備えである。
どうせなにも言ってこないのである、文句は言えないはずだ。
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