正す者、壊すモノ

 同日、深夜。

 八十神社の境内は、不釣り合いに明るかった。


 そこかしこにライトが照らされ、行き交う警官の姿が散見される。

 照明に照らされた先では、無残に倒壊した神社がそのまま残っている。


 夕方は騒動を聞きつけた周辺の住民が集まり、ちょっとした騒ぎになっていたが、さすがにこの時間には見当たらない。

 神社は封鎖されており、境内には警官しかいない。


 その中に、あの男もいた。

 現在は現場を捜索している警官や鑑識から話を伺っているようだ。

 話しかけられた者は皆一様に、男に対して敬礼をしている。


「以上が現在までの状況になります。『実行官フィクサー』殿の要請には全て応じるようにとの指示も出ています、ご用命の際はお申し付け下さい」

「ご苦労さん、なにか進展があったら報告してくれ」


 男は捜査員たちの上司ではないし、そもそも組織も異なる。

 しかし、この場の誰よりも強力な権限を有していた。


 『実行官フィクサー』。それが男の役職名だった。

 機構に所属し、重大な異常が発見された際、当該地域に派遣され対処に当たる、機構の直接的な実行戦力である。


 SPHEREスフィアの管理を行う組織だけあって、有する権限は警察の比ではない。条件付きではあるが、彼らもプログラムに対する干渉が可能である。

 男はその中でも、対『変異群バグズ』に特化した人員だ。今回の事件を受け、機構から日本に派遣されてきたのである。


 報告を済ませた警官が離れていくと、男は耳元に取り付けられた通信機を。


『レーヴ、話は終わった?』

「ああ。聞いていただろう。現地の捜査状況は今のとおりだ」

『ええ、ばっちり聞こえてたわ。今回もすぐ解決すると思っていたけど、まさかの空振りとはね』


 通信機越しに、女性の声が聞こえてくる。彼女も男――レーヴと同じく実行官フィクサーである。オペレーターとして、本部からレーヴのサポートを行っている。


「エリエッタ、当然本部でも情報は洗っていたんだろう? なにか収穫はなかったのか」

『駄目ね。周辺のログやオブジェクトのデータを一通り調べたけど、痕跡はなし。今までの変異体バグの共通パターンと照合も行ってみたけど、それも該当なし。お手上げよ』


「要するに、天原東駅前とここ、つまりは現場でしか変異体バグは確認されてないってことだな」

『その現場も、片方はエラーポイントになっていてろくに情報が得られないけどね』


 二人も、そして機構も、遭遇はこれが初めてでない。

 SPHEREスフィアの千年の歴史の中で、これまでも散発的にだが確認されてきた。レーヴとエリエッタも、対処に当たった経験は一度や二度ではない。


 『変異群(バグズ)』。

 総称であり、単独の個体を指す場合は単純に『変異体(バグ)』と表記される。


 基本的に干渉不可能であり、厳重に保護されているはずの人間のコアデータ、つまりは脳に異常が生じた人間。

 機構の管理から外れ、SPHEREスフィアのルールから逸脱した怪物。


 特徴として、異形と化した容貌、通常より発達した五感などが挙げられる。

 原因は諸説あるが、いまだに明確な解答は得られていない。


 なによりも重要なのは、プログラムの破壊が可能という性質である。

 コアデータも、それ以外も、変異体バグは見境なく破壊してしまう。

 このため、変異体バグに破壊されたプログラムは修復不可能となり、人間の場合はそのまま死亡してしまう。


 当然、機構がそのような存在を許容するはずもなく、レーヴたちのような人員を用意し、これまで対処に当たってきた。


 幸いなことに、変異体バグは脳のデータ破損により、正常な判断力を失い、暴れまわるだけのことがほとんどだった。

 そのため、発見さえすれば迅速に対処することが可能であった。


 加えて、変異体バグの出現ケースを整理することで、よりパターン的に対処することが可能となった。

 原因究明こそ急がれているが、現在では変異体バグそのものは大きな問題ではなくなっていた。

 

変異体バグの出現を補足してからは、移動できないようにすぐに封鎖したし、いつも通りだと思っていたのだけどね……』

「この天原地区にいるのは間違いないはずだが……そこまで限定できているのに行方知れずときたもんだ」


 今回の件も、すぐに対処できるはずだった。

 しかし、大規模な捜査、そして機構の調査をもってしても、変異体バグの行方、その痕跡すらも補足できていなかった。


『二箇所の現場で人を襲って以降は、姿を現していないしね。今までのケースにはなかった傾向よ』


 天原地区に出現した変異体バグは、これまでの個体とは明らかに異なる行動パターンを取っている。

 それはまるで、思考能力が残存し、追跡を逃れるため、潜伏を選択しているかのようだった。


 さらに異質なのは、移動の痕跡を示す記録が、まったく残っていなかった点だ。 これまでの変異体バグは、破壊以外のことはできなかった。

 故に移動、または破壊をすれば、その行動が記録として残るはずであった。


 これまでのデータに該当しない、未確認の変種。

 以上を踏まえると、そう結論付けるしかなかった。


『問題は、どうやって記録を残さず、天原東駅から八十神社まで移動したか、その手段ね』

「手がかりになりそうなのは彼の証言のみ、か」

『なにも聞いていない、確かそう言っていたわね。それが本当なら、物音を立てずに移動していたということになるわ』


「たとえば瞬間移動とか? それなら音なんてしないぜ」

『……現状ではあり得ないとも言えないのが怖いところね』


 仮に瞬間移動が可能だとしたら、封鎖は無意味だし、彼らでも補足には時間がかかってしまうだろう。

 しかし可能性として考えられる以上、笑い飛ばすこともできない。

 頭の痛そうなエリエッタの声が、この状況を象徴していた。


 既存のデータでは対処できない。かといって、現状の捜査でも満足な手がかりは得られない。

 そうすると、今度はやりかたを変える必要がある。


「今得られる情報だけだと、対処は難しいかもしれないな。となると、今は得られない情報が怪しいな。エリエッタ、コアを確認できるように上に頼めないか?」

『コアデータを? 前例のないケースだから、なかなか承認は下りないと思うけど』

「修復まで三日って期限はみんな知ってるはずだろ。突っついて急がせてくれ」

『それをするのは私なんだけどね……まあ、やるだけやってみるわ』


 少々渋ってはいたが、最終的にはエリエッタが了承する形となった。

 それでも二人は、まだ不十分だと考えていた。


『一応申請はしておくけど、通ったとして間に合うかはわからないわ。もう半日過ぎているし、時間的な余裕もない。』


 実行官フィクサーとして、変異体バグを取り逃がすことだけはあってはならない。

 申請はしたが、許可が下りるとも限らない。


 だからこそ、そのときのことも想定して、対策を講じておく必要がある。


「そうだな、どう転んでもいいように、手は打っておかないとな」

『取っ掛かりになりそうなのは、やっぱり妻でしょうね』


 変異体バグを逃せば、今とは比較にならない被害が起きることになる。

 それを防ぐためにも、手段は選んでいられなかった。


 その様子を、一人の警官が遠巻きに窺っていた。

 近づいて話を聞こうとしていたようだが、やがて諦めて、この場から離れていった。


『そうそう、それと今回の変異体バグには特別にコードが付けられたから』

「は? なんでわざわざそんなことを」

『特殊な事例だからね。可能な限り記録しておきたいってことでしょ』

「コードねぇ、まあ別に構わないけど。それで、なんて付けられたんだ」



『“Wormワーム”。これからはそう呼ぶことになるから』

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