お初に、お耳にかかります

 悪い夢のようだ。

 それがユウの感想だった。


 本当に夢だったならば、どれだけ気楽だっただろうか。

 なにせ神社を訪ねてからここまで、あり得ないこと続きである。

 神社で怪物に襲われて、死亡したと思ったら生きていて、機構の人間に記憶を消されそうになって、気が付いたら最寄り駅にいた。


 すぐに動く気にもなれず、呆然と立ち尽くしている。


 周囲を通り過ぎる人々の姿は、日常そのものだ。先ほどまでとは、あまりにも空気が違う。

 この風景に溶け込んでしまいたいが、記憶と身体に残った感覚が、それを許してくれない。

 立ち止まったままのユウを、通行人がチラチラと窺っている。


 突然の変化に、頭が痛くなってしまう。

 足音も話し声も、どこか遠くに聞こえてくる。

 不幸中の幸いというべきか、お陰で思考は遮られず、集中することはできた。

 


 不可解に、感じていることがある。

 駅に移動していたこともそうだが、それはあの男の仕業だろうと予想が付いていた。あの場でユウになにかできたものは、他には存在しないからだ。

 方法はわからないが、機構に所属しているのだ。それくらいは可能なのかもしれない。


 一番は、そこではない。


『ここで見たことを、忘れてもらうだけだ』


 男の言葉を思い出す。ついさっきのはずだが、もう随分と経ったように感じる。


 ユウは、記憶を消されたはずだ。

 それにも関わらず、今日起きたことを、こうして今も思い出すことができる。


 嘘だったのか、それとも途中で思い直してやめたのか。

 可能性は思い当たるが、どれもピンとは来ない。

 あの状況で、そんなことをする必要はまるでない。


 男によるものでないとすれば、あとは失敗したという可能性だ。手間取ったと言っていたから、このほうが現実的な仮説かもしれない。


 しかし、それだけで機構の人間がしくじるかは疑問である。

 なにせ世界中のデータを、千年近くに渡って管理し続けている組織だ。エラーポイントが一つや二つあったところで、いくらでも対処できるだろう。


 では、なぜユウの記憶は無事なのか。失敗したとしたら、その理由は。


 記憶処理の最中に妨害があったとすれば、あるいは。


 妨害したとすれば、誰が。


 ユウと男以外、誰もいないあの状況で、どうやって。



(その様子だと、ちゃんと覚えているみたいだね。どうなるかと思ったけど、ひとまずは安心だ)


 ユウの思考は、唐突に響き渡った声によって中断される。


 聞きなれない声だ。少なくとも、両親やハルキたちではない。

 周囲を見渡しても、それらしき人物は見当たらない。一応携帯端末も確認してみたが、そこからでもない。


(探してもボクはいないよ。今は声だけ送っているからね)


 自分以外に、声に反応している様子はない。

 どうやらこの声は、ユウ一人のみに届いているようである。

 頭の中に直接届いてくるようで、どうにも気色が悪い。


(色々聞きたいことはあるだろうけど、とりあえず家に帰って腰を落ち着けてからのほうが、君にとってもいいんじゃないかな)


 よく聞くと、聞きなれない声ではあるが、知らないわけでもない。

 さきほど男と会話していたときに時折響いてきた、あの声とよく似ているのだ。

 あのときは心の声かと思っていたが、どうやら声の主は別にいるらしい。


「……その前に、まずお前は誰だ」


 とはいえ、言われた通りにすぐ帰ろうという気にはなれなかった。

 どうやっているのかは不明だが、顔も名前もわからぬ相手をいきなり信用しろというほうが無理な話である。

 警戒もあらわにユウが尋ねる。


(まあ、そりゃあ怪しむよね。だけどボクは君の味方だ。その証拠に、さっきだって助けただろう?)


 さっきというのはおそらく、記憶を消されそうになったときのことだろう。声の主はどうやら、妨害したのは自分だと言いたいらしい。


 しかし証拠がない以上、安易には信じられない。嘘を付いていて、機構の男と繋がっている可能性だって捨てきれないのである。

 疑心暗鬼に加え疲労とストレスで、流石にユウも苛立ちが募っていく。だんだんとこの声も耳障りに感じてくる。


「疲れてるってわかるなら、お願いだから黙っててくれ。俺はもう――」


(ハルカ、落ち着いて聞いてくれ)


 黙らせようとしたところで、ユウの言葉が止まる。


 声の主は、深角ユウではなく、ハンドルネームの「ハルカ」で呼んだ。交流は広くないし、学校の友人には伏せている。この名前で呼ぶものはそう多くはない。


(よりにもよって神社に行った日に、ね……アバターを着けるだけのはずが、とんでもないことに巻き込んでしまったね)


 加えて、ユウが八十神社に行った理由も知っている。


 その話をしたのは、覚えているかぎり一人しかいない。

 冷静になってみると、話し方もその相手とよく似ている。


(当然ボクは知っているよ。なにせ、君に神社のことを教えた張本人なんだから)


「……ディーなのか、お前は?」


 ハンドルネーム「D―Knight」。ユウがディーと呼ぶ、掲示板の知り合い。

 二年近くの付き合いになる、数少ない友人の一人だ。


(ご名答。こうして話すのは初めてになるね)


 正体は判明したが、相変わらず疑問は尽きない。


 なぜディーの声が聞こえるのか。どのような方法を使っているのか。ディーはどこまで知っているのか。


 一気にまくしたててしまいたかったが、それはディーによって諫められた。


「なんで――」

(色々聞きたいのはわかってるよ。だけど)


「? だけど?」


(……まずは、移動しようか。そこだと、君が目立ってしまう)


 ハッとして周囲を見ると。

 ずっと一人でブツブツ話しているユウへの、奇異の視線が。

 周囲から大量に、注がれていた。

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