再起動

 人や建物など、形のあるものは、SPHEREスフィアでは一括して「オブジェクト」と呼ばれている。

 オブジェクトは、大ざっぱに二つのデータに分けることができる。

 「コアデータ」か、それ以外かだ。


 コアデータは、オブジェクトの存在そのものを定義した、まさしく核となるデータだ。その他のデータは、あくまで肉付けに過ぎない。

 人間ならば、脳がコアデータに当たる。


 コアデータさえ無事ならば、オブジェクトはいくらでも修復可能である。

 しかし、コアデータが破壊されてしまったら、もはや修復は望めない。

 

 つまり、脳を破壊されたユウは、間違いなく消滅、死亡したということである。



――だというのに、二度と見るはずのない景色が、ユウの視界に広がっていく。


 霧散したはずの意識が、思考を回転させる。

 大の字で倒れていることに気付いて、身体を起こす。

 姿はいつの間にか、警官のアバターから元に戻っていた。


 先ほどの出来事は夢だったのではないか。

 一瞬だけその可能性がよぎったが、すぐに否定される。

 周囲を見渡せば、あのときのまま、荒れ果てた境内が残っているからだ。

 怪物に削り取られた地面が目の前にある。崩れた本殿もそのままだ。


「お、気が付いたか」


 突然後ろから声をかけられ、思わず息を止めてしまう。慌てて振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。


 身長はユウの頭二つ分は高く、かなり長身だ。最初は警官かと思ったが、よくみると色合いこそ似ているが、制服の意匠がところどころ異なっている。

 右肩にかけられたマントなどは、明らかに警官の装備ではない。


 なにより特徴的なのは、胸元に付いているマークである。

 中心には、国々が描かれた地球。

 それを覆うように一回り大きな球体が取り囲み、さらにその上から、帯のような線が十字に結ばれている。


 このマークは、ユウにもよく見覚えがあった。

 なにせ、教科書にも載っているくらいの代物である。


「俺については……これを見れば、言わなくても問題ないだろ?」


 SPHEREスフィアの維持・管理を担う、この世界の核といえる組織。

 一般の人々の間では、単純に『機構』と呼んでいる組織。


 つまりは、統世管理機構のシンボルマークだ。


 胸元を指して、男がそういうのも当然だろう。

 この世界で、機構を知らない人間などまずいないのだから。


「ちょっとした要件でね、ここに派遣されてきたんだ。すまないが、少し話を聞かせてくれ」


 有無を言わせず、男はそのまま話を進めていく。

 もっとも、それも仕方ない話なのだろう。

 機構が現地の組織に任せず、人員を派遣してくるなど、よほどのことでなければありえない。

 まず間違いなく、「ちょっとした」では済まない事態が起きているのだろう。


 男は視線だけ動かして、簡単に周辺を一瞥する。相変わらずの惨状だが、特に驚く素振りもない。


「話?」

「俺が来たときには既にこの状態だったからな。ここで倒れてたってことは、なにか見たんだろ? それを教えてほしいんだ」


 口ぶりからすると、ユウが起きるまで待っていたようである。

 ここで起きたことについて、この場で倒れていたユウがなにか知っているはずだと期待しているのだろう。


 聞きたいこととは、十中八九ユウを襲った怪物のことだろう。

 それ以外に、機構が辺鄙な神社まで派遣してくる要件があるとは思えなかった。


「もしかして、あの怪物のことか……?」

「話が早くて助かるな。その怪物について、君の見たことを全部教えてくれ」


 どうやら予想は正しかったようである。

 だが、それがわかっても、ユウには話せることはほとんどない。


「……見たとはいっても、大して覚えてないしな……なにせすぐに――」


 怪物が神社から生えてくるように出現してきた。

 そのまま、本殿や鳥居を破壊しながら、ユウに襲いかかってきた。

 そこまでは覚えている。


 しかし、それだけである。その後すぐにユウは脳を破壊されてしまったから、その後のことはなにも――


 そこまで考えたところで、ハッとして全身を確認する。

 突然話しかけられた驚きで忘れていたが、ユウは脳を破壊されて死亡したはずなのだ。

 それがこうして、何事もなかったように言葉を交わしているなど、明らかに異常である。


 全身くまなく確認するが、手も足も、なにごともなく存在しており、思い通りに動かせる。

 横を見ると、男が笑いを噛み殺している。


「ハハハ、安心しろ。やられてた手足は、俺が治しといたからな」


 種明かしをするように、男がその疑問に答える。

 全身が元通りになっているのが不思議だったが、それは男のお陰らしい。


 それにしても、脳まで破壊された人間を治療できるのは流石に驚きである。機構に所属しているだけあって、一般人とはできることが桁違いなのだろう。


「来たときにはボロボロになっていたから、駄目かもと思ったがな。コアが無事で運が良かったな」


 ところが、どうも全部この男によるものというわけではないらしい

 聞き取れなかったわけでもないのに、思わず聞き返してしまう。


「コア……頭は無事だった……?」

「そりゃそうだ。さすがにコアまでやられてたらどうしようもないだろ」

「そうだ……当たり前だ、な……」


 男の言っていることは至極正論である。コアデータが破壊されたら消滅してしまうのだから、ユウが生きている以上、破壊されていなかったことになる。その点について、否定のしようはない。


 だからこそ、記憶との齟齬が不可解である。

 記憶の中では、確かに頭部が破壊されたはずなのである。

 目撃したわけではないが、まさかあの一瞬で助けが来たわけでもないだろう。


「それじゃあ、そろそろいいか? 俺もこれで中々忙しい、話を聞かせてくれ」


 少々じれたように男が急かしてくる。

 結局ユウが生きている理由は不明だが、これ以上待たせるわけにはいかなかった。元々非合法のアバターを使用するためにやってきたのだ、変に勘繰られると厄介である。


「ああ……あの怪物は、神社から飛び出してきてた。その瞬間を見たわけじゃないけど、建物から身体が出てたから間違いなかったと思う。手足もなくて、胴体だけがひたすら伸びたような見た目だった」

「なるほど。それから?」


「俺を見て、突然襲ってきたんだ。逃げようとしたんだけど、避けきれなくて……そのまま意識を失ってたんだ」

「その後は、さっきまでずっと気絶していたのかい?」

「多分、そうだと思うけど。俺も混乱していたから、はっきりとは覚えてないんだ」


 男は真剣な表情で、ユウの一言一句を聞きとっている。

 話をしながら、ユウはあのとき死亡したというのも、実際にはなかったのではないかと思い始めていた。

 記憶が混乱していたから、そう思いこんだだけかもしれないと。


「怪物がここからどうやって離れたかは知らないか? 直接見てなくても、変な音を聞いたとか、なにか心当たりがあれば話してくれ」


 どうやら男は怪物の逃走経路が知りたいようである。

 だが、ユウは途中で死亡、もしくは意識を失っていたため、その後のことはわからない。怪物が出現したときも、気が付いたら怪物が神社を破壊していた、としか把握できていなかった。


「本当に気絶してたんだ、どうやって逃げたかは本当にわからない。なにも見てもいないし、なにも聞いてない」


「なにも聞いていない? それは本当か?」


 気になる点があったのか、男がギラリと目を光らせて、ユウに問い詰めてくる。

 なにかまずかったのかと、必死に記憶をたぐり寄せるが、やはり思い当たることはない。


「本当、のはずだけど。少なくとも、俺には心当たりはないし」

「なるほど……わかった」


 男は口元に手を当て、なにか考え込んでいるようだった。ユウの話が多少なりとも参考になったのかもしれない。


「ありがとう。他になにか気付いたことか、気になったことはあるか。些細なことでいいんだ、なんでも言ってみてくれ」


 ここで、脳が破壊された件について話すべきか。

 試しに聞いてみたら、なにか分かるかもしれない。


(それ以上、なにも話すな)


 不意に、どこからか、ユウを止める声が聞こえた気がした。

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