転換点(後半) ―遭遇―

 SPHEREスフィアシステム、そして統世管理機構によって管理されたこの世界で、事故など滅多なことでは起きない。確かに速報にふさわしい内容といえるだろう。

 テロの疑いとなればなおさらである。


 天原東駅といえば、八十天原駅のとなりである。事故かテロかははっきりしないが、いずれにせよ近辺にいて良いことなど一つもない。

 早くここから立ち去ってしまうべきだろう。

 記事を確認すると、つい数十分前のことらしい。もしかすると、ディーもこの速報を見て、メッセージを送ったのかもしれない。


 とはいえ、もう退散するのだから要らぬ心配である。歩きながら、内容だけ確認することにした。

 帰路に向かって、ユウの両足が地面をけり上げる。


 その歩みは、しかしすぐに止められてしまう。

 つまずいたわけではない。ただ、ユウ自身が思わず立ち止まってしまったのだ。


 メッセージの内容について、予想は正しかった。

 ただその内容が、想像以上にユウを急かすものだった。


 気付くまで送り続けていたのか、先ほどから何件も通知が届いている。

 内容はどれも同じく、ただ一言。


『すぐにそこを離れろ』



 メッセージを確認したのと同時だった。

 後方から大きな、爆発にも似たけたたましい轟音が鳴り響く。

 思わず振り返ったユウの視線の先には。

 半壊した神社の本殿。そしてもう一つ。


 地面から這い出るように伸びた、細長い影。

 ユウの胴よりも太いそれは、何メートルもある胴体をくねらせている。

 身体は幾つもの節のように分かれており、一見して手足は確認できない。地球に住んでいたころの人間ならば、ミミズを連想したかもしれない。

 異なっているのは、全身が角張っていて、生物らしさをまるで感じさせない形状をしている点である。


 ミミズを知らないユウにとっては、形容のできない怪物である。突然の事態に、思考がフリーズしてしまっている。


 ユウにとって不幸だったのは、警察のアバターを解除していなかったことだ。

 それが偽物であると知らない怪物の正面には、拳銃を所持した警察官が一人。


 怪物は、ユウを敵と認識した。


 地響きを立てて、怪物が動きだす。

 頭部と思わしき部分の先端が、ばっくりと割れて。

 その中を、沿うように並ぶ鋭利な牙とあわせて、まるで大きな口のようだった。


 そのまま身体をうねらせて、本殿から突進してくる。


「なっ――⁉」


 警官の姿をしていても、身体能力は変わらない。

 加えて混乱していたため、反応が遅れてしまった。

 慌ててかわそうとするが、間に合わない。


 直撃は避けられたが、左半身は怪物の正面にある。

 そして、ユウの左半身が怪物に触れると。


 そのまま、跡形もなく消滅してしまう。


 バランスが崩れ、支える手足も足りず、ユウは地面に倒れ込んでしまう。

 怪物はそのままの勢いで地面もえぐり、反対側に抜けていく。


 痛み自体はそれほどでない。痛み自体は存在していても、激痛は感じないようになっているからだ。


 しかし、ユウの受けた衝撃は、激痛など比較にならないものだろう。

 なくなった左半身を確認する。

 あの怪物の正体は不明だが、とにかく今重要なのは、ユウを破壊できるということである。


 人や建物など、他のデータに対し、こうして直接的に干渉することなど、通常は不可能である。機構によって厳しく制限されているし、できたとしても、機構の審査を通った企業に、特定の対象に限って一時的に許可が下りる程度である。


 それを、怪物はおかまいなしに破壊してみせた。

 建物も、地面も、そしてユウも。

 先ほどの速報記事がよぎる。テロの疑いとあったが、この怪物となにか関係があるのかもしれない。


 いずれにせよ、このままではユウ自身が危険である。

 なんとかこの場を離れようとするが、片手片脚では這うのが精いっぱいである。


 そして怪物が、それを悠長に待っているはずもなく。

 怪物は身を翻し、再びユウに向かって突進し始める。


 回避することも叶わず、近づいてくる怪物を眺めることしかできない。

 無意識に、握り込んでいたままの拳銃を、怪物に向ける。

 せめてもの抵抗だったが、怪物はお構いなしである。


 当然、銃弾が放たれるわけもなく。


 怪物に触れた拳銃が、むなしく粉々になる。

 続けて右腕。左腕と同じく、跡形なく消滅してしまう。

 なくなった右手の先から、熱を感じる。痛みは抑えられているはずなのに、脳まで灼けるような錯覚が走る。


 目前に怪物の頭部が迫る。


 ユウの瞳に移り込んだ怪物は、なぜか焦っているようにも見えて。

 表情などないのに、なぜそう感じたのか。


 疑問に答えが出ることもなく。


 ユウの頭部が、怪物に触れて消滅する。


 途端に、視界が真っ暗になる。


 脳さえ無事ならば、ユウは無事だっただろう。

 しかし脳が消滅してしまった以上、もはやどうしようもない。

 ユウの運命はただ一つ。


 「死」のみである。


(死……これが、死ぬ、の、か……)


 それは思考なのか、単なるデータの残骸か。

 とうに考えることは不可能なはずだが。

 暗闇の中、言葉が浮かんでは消えて。


 四月二十五日、午後四時十二分。深角ユウは、世界から消滅した。


 そしてその瞬間を。

 物陰に隠れ、息を切らせながら。

 子供のように小さな人影が、目撃していた。



   *



「……君は本当なら、あそこで死ぬことはなかった」


 消滅したはずの意識に、声が届いてくる。


「ボクが、あそこまで導いてしまった。君の死は、僕が原因だ」


 この口調は、ユウにも心当たりがあった。

 いつもは文字だが、今は声として聞こえてくる。


「だから、ボクが責任を取るよ」


 ユウには答えることができない。ただ、独白を聴いている。


「システムではない、一人の友人として君に力を貸そう」


 暗闇の中に、光が灯ったような気がした。


「本当は機構に任せるべきだろうけど……それではボクの気が済まない。それに、今回の変異体バグは少々厄介かもしれない」


徐々に光が、闇をかき消していく。


「勝手かもしれないけど、君にとっても悪い話じゃない。それは保証するよ」


 意識が、浮かび上がる感覚がする。


「追ってこちらから連絡するよ。詳しい説明はそのときにしよう」

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