転換点(前半) ―折悪く―
翌日。学校が終わるとまっすぐ自宅に戻り、準備を整える。
学校から直接向かうことも可能だったが、学校の制服のまま行くというのは、心情的に避けたかったのである。
私服に着替えて、ヒュームから教えてもらった場所に向かう。
地図上では距離があるが、駅を利用すれば関係ない。県をまたぐとなれば話は別だが、都内に限るならば寄り道程度の感覚で移動できる。
「八十天原駅まで」
現在の東京は九十九の区画に分かれており、東からそれぞれ「一区」「二区」など数字で呼ぶのが一般的だ。その影響か、駅の名称にも区画の数字を用いているところが多い。
八十天原駅も例に漏れず、八十区にある駅だ。学校や自宅のある一区からははるか西にあり、気楽に移動できるとはいえ、用事でもなければいくことはない場所だ。知り合いに会う可能性も低いので、今のユウには好都合と言えるが。
身体が転送し、あっという間に駅に移動する。
そのまますぐに向かおうかと考えたが、一応知らせておこうと、まずは携帯端末でヒュームにメッセージを送ることにした。携帯端末でも全く問題ないのが、掲示板型SNSの数少ない利点である。
送信が完了したのを確認し、今度こそ彼から教わった場所に向かって歩き出す。
開発や競争の盛んな東の地区に比べると、この辺りは大きな建物も少ないが、それでも駅前には高層ビルが散見される。
建物の内部容量は拡張可能だが、際限なしではない。建物のサイズに応じて最大容量が定まっており、それ以上に拡張することはできない。
そのため、容量を喰う複雑な機器を用いる工場や、雇用人数の多い大会社は、相応の規模の自社ビルを用意している。
一般人が普通に生活するだけならば、そんな規模は必要ない。しかし満たされればさらに多くを求めるのが人の性で、みんな労働でお金を稼ぎ、大きな家に住むことを目標にしている。
「物質的な充足を得ることが不可能になったから、代わりにいくらでも詰め込める入れ物を求めるようになった」と、どこかの偉い先生が言っていたが、なんのことはない、やっていることは千年前と変わりない。
正面では太陽が爛々と輝いている。
道行く人々や建物を照らし、影を作り出すが、それだけである。再現しているだけで、気温の調節には一切関与していない。
照り付けるような暑さも、突然の強風も、今まで感じたことがない。
季節に応じて、気候は勝手に調節されている。完璧に管理されているから、自然災害など起こりようもない。
人間はいまだに太陽をありがたがり、空を見上げながら、地面の上を歩いている。自動車がとうの昔に空を走り出してからも、人の営みは変わらない。
人々は寝て起きて、食べて、学校や会社に通う。勉強して、進学して、就職して、結婚して、子供を育て、最後は死ぬ。
ところどころ便利にはなったが、根本的にはかつてと同様の生活を営んでいる。
「地球を継ぎ、人類を繋ぐ」
それが機構の、設立当初からの変わらぬ理念である。
その意向が、今でも反映されているのだろう。
病気は排除したくせに、疲労や睡眠はそのまま残されている。
休まないと疲れるし、眠らないと頭が回らない。
食事に関しても、長期間なにも食べないと脳の処理能力が低下するため、最低限は必要である。
不便なことなど、すべて切り捨ててしまえばよかったのに。肉体を失った今でも、かつてのあり方に固執している。
――まるで、それらを残しておくことで、自分たちは間違いなく人間であると言い聞かせているようではないか。
それが現在の
これから向かうところも、ユウにとってはそんな印象を与える場所だった。目的がなければ、まず足を踏み入れることはないだろう。
「次を右に曲がって……突き当りで左に……」
端末で地図を確認しながら進んでいく。駅から離れ、人通りが少なくなってきたころ、ようやくそれが見つかった。
「八十神社……ここで間違いみたいだな」
時代錯誤の赤い鳥居。その先には、これまた今の時代には不釣り合いな古臭い本殿や拝殿が見える。鳥居の上には「八十神社」と記されている。
ヒュームの情報が正しければ、現在『エラーポイント』となっている場所の一つである。
今でこそ閑古鳥が鳴いているが、
しかし、ほどなくして人々は悟った。人間が創り、人間によって定められたこの世界に、神がいるはずがない。
いたとして、こんな世界まで見ているはずがないと。
現在では訪れる人間もほとんどいない。土地で特に困っていないからそのまま残っているだけの、お飾り同然の場所だ。
もっとも、そのような場所だからこそ、信ぴょう性が増してくるのである。
『D―Knight:八十神社の本殿横。正面から見て右手だね、影になっていて見にくいけど、本殿の一部に乱れている場所があるよ』
鳥居をくぐり、指示通り本殿の横を調べる。
薄暗くて確認は容易ではなかったが、探すことおよそ五分、果たして情報通り、該当する箇所が見つかった。
「これか……話は本当だったみたいだな」
砂利に紛れて見えづらいが、本殿の下部が一部、塗装が剥がれたようになっている。
しかし、剥がれたところから本壁が剥き出しになっているのではなく、その先にはなにもない。
剥がれているのではない。表示が乱れているのである。
ごくまれに、建物などの表示がこのように乱れている場所がある。基本的には瞬時に修正されてしまうが、人気のない場所などでは、こうしてしばらく残っていることがある。
そういった場所のことを『エラーポイント』などと呼んだりする。
かといって、大きな問題になることはない。本当に表示が乱れているだけなので、ほぼ影響がないといっていいからだ。
しかし、エラーポイントには一つだけ、大きな特徴がある。
エラーが起きている故か、その場所で起きたことは記録に残りにくいという点だ。
警察の捜査では、必要に応じて各種、場所や時間など特定の記録が記されたデータ、『ログデータ』を参照するが、ここではその期間の情報が断片的にしか読み取れない。
放っておくと悪用されかねないが、そもそもエラーポイントであることを確認するためには、わずかな表示の乱れを見つけなければならない。
人気のない場所だと確立が高いというだけで、出現するのも稀な現象だ。
ログデータを確認して、初めて発覚したという事例も珍しくない。
ともあれ、警官のアバターを一度だけ使ってみたいが、可能な限り人に目撃されたり記録が残ったりするのを避けたいユウにとって、エラーポイントの存在は好都合だった。
ヒュームから場所を知っていると聞いたときは正直眉唾であった。
嘘ならばそのまま帰るつもりだったが、どうやら情報は確かなようである。この分だと、他の地点も同様だろう。
エラーポイントを発見するなど、よほどの偶然がない限り一般人には不可能である。こうなると正体は学生かもしれないという仮説も怪しくなってくる。
だが、彼の素性については後回しだ。エラーポイントも見つかったのだから、あとはアバターを着用するだけである。
今一度周囲を見渡し、自分以外に誰もいないことを確認する。
そして鞄の中から警官のアバターを選択し、スキン機能を適用する。
自分の姿がアバターに置き換わるといっても、特殊な演出があるわけでもない。 適用を選択した瞬間には、すでに処理は完了している。
普段より目線が高くなっている。
手元を見ると、がっしりした両手に、青い制服の袖が見える。頭の上には、トレードマークの帽子がある。
どうやら無事、警官の姿になれたようである。いざなってみるとあっさりしたもので、大した感慨も湧かない。
とはいえ、なにもしないのではさすがにもったいない。
右手を前に出して、構えてみる。ユウの意識に応じて、手の中にデータが集積していく。手の形に合わせるように、やがて拳銃の形を作り出す。
犯人に向けるように、両手で銃を構えてみる。あくまでアバターの付属品なので、もちろん実弾が出ることはない。
雰囲気を出すための、ただのアタッチメントである。
そのまましばらく、目的もなく境内をうろついていた。こうして警官の姿で歩き回っていると、傍目には捜査しているように見えるかもしれない。
実際には寂しく一人遊びをしているだけなのだが、これは仕方ない。まさかハルキやヒロトを巻き込むわけにはいかない。
結局のところ、この行為は警官の姿をしているという事実に楽しみを見いだせるかどうか、その一点に尽きていた。
そしてユウにとっては、ひたすらにむなしいだけだった。
無駄な時間。そう感じるようになるまで、さほど時間はかからなかった。
これ以上いても仕方ない。万が一ここに人が来ても面倒である。さっさとここを引き払って、アバターを破棄してしまうことにした。
ユウが引き返そうとしていたそのとき、携帯端末に通知が届いた。駅に着いたときにメッセージを送っていたので、返信が来たのかも知れない。
端末を起動すると、メッセージの通知ともう一つ、速報と書かれたニュース記事が前面に押し出されていた。
『天原東駅前にて原因不明の爆発事故発生。テロの疑い』
記事にはそのように書かれていた。
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