序―退屈な日常

 どれだけの月日が経とうと、人間はそう変わらないのかもしれない。

 街中にそびえ立つ、ごく普通の高校の中。

 二―二と書かれた標識の扉、その先の教室にて。

 制服を着た男子生徒が一人、頬杖を付いて授業を受けている。


「――であるため、二十二世紀に入ると人口問題や食料問題は限界を迎え、――宇宙開発もはるか昔に頓挫とんざしており――」


 教壇に立つ教師の講義は、哀れにも彼の両の耳を通り抜けていく。

 彼一人だけではない。教室全体に気だるげな空気が漂っている。ここに限らず、退屈な授業中の教室というのは、大抵そうかもしれないが。

 歴史の授業ということも、ことさら大きく影響しているのかもしれない。今どきは、内容を理解さえできればすんなり頭に入ってしまうのだから、歴史の教科書を覚えるのは、きわめてたやすい。

 教師もそんなことは分かっているのだろう。特に気にする素振りもなく、ただ事務的に教科書を読み上げていく。


「――そこでアメリカ合衆国のデイヴィス・デネット博士を中心として、世界中の科学者たちが一同に会し――」


 目の前に浮かぶ教科書を眺め、男子生徒は通算何度目かもわからないため息をつく。

 ――こんなもの、さっさとデータを脳に保存してしまえばいい、わざわざ教室に集まって、ご丁寧に一文字ずつ読み上げる必要などない。考えているのは、大方そんなところだろう。

 もっとも、それはできないのだが。というよりも、させてもらえない。

 人間らしくない行為だから、というのがその理由らしい。

 馬鹿馬鹿しい、と大きな欠伸を浮かべ。授業など上の空に、彼は物思いにふけっている。

 確かに、今さら人間とその他の違いなど気にする必要もないのかもしれない。

 そもそも、人間らしい生活を、自分の肉体で体験した者など、もはや一人も存在しないのだから。


「――この時から、我々もよく知る『SPHEREスフィア』の開発が始まったわけだ」


 世界が実体を失って、間もなく千年。この生活は、いつまで続けられていくのだろうか。

 あまりにも無意味だ、と。

 退屈を持て余しただけの高校生には、ただ愚痴ることしかできない。



   *



 退屈な授業が終わり、学生たちは篭から放たれた鳥のように、思いおもいの場所へ飛び立っていく。すぐに帰路に着くもの、どこかへ遊びに行くもの、集まって雑談に花を咲かせるもの。放課後の学生の姿は、今も昔もそう変わっていないに違いない。

 それは深角みすみユウとて変わらない。授業中にいくら悪態を付こうと、終われば途端に無意味な雑談で時間を浪費していくのである。


「やっと終わったな。相変わらず、授業の存在意義は不明だな」


 頬杖を付くユウの周りには、二人の男子生徒がいる。一緒につるむことの多い、数少ない友人たちだ。


「でも、なんだかんだ歴史は好きなんだろ? ならいいんじゃないかな」


 前の席から話しかけてきたのがハルカ。こんな名前だがれっきとした男子高校生である。中性的な顔立ちに落ち着いた雰囲気で、女子からの人気も高い。授業をまともに受けている、絶滅危惧種のような優等生だ。


「そりゃ読んだり見たりは好きだけどな。それだったら、家で一人でやればいい話だし」

「まあ確かに、興味あることは自分で調べちゃうからね」


 そういうハルカも、授業で習う程度の内容は知っているはずである。ユウと同じく、このご時世に、歴史などというカビの生えた学問を好む物好きなのだから。

 以前、真面目に授業を聞いている理由を聞いたら、「先生に悪いから」などと述べていた。

 本当に自分と同い年なのか、プログラムの故障で年齢が誤っているのではないかと、そのときのユウは訝しがったものである。歴史好きという共通点がなかったら、とても友人にはなれなかっただろう。


「二人とも、もう授業のことはいいだろ? 愚痴はいいからさ、さっさと行こうぜ!」


 遊び仲間のヒロトは、早く学校から出たくてしょうがないようである。眼鏡をかけて七三分けという風体から真面目そうな印象を受けるが、実態は重度の勉強嫌いであり、成績はいつも赤点スレスレだ。

 今の時代、まず落第などしようがないので、ヒロトの成績は逆に驚異的である。教科書を確認するぐらいならその時間をゲームに当てるなどと宣うヒロトの姿は、ユウにはいっそ清々しくさえ感じられる。


「何か急ぎの用事でもあるのか?」

「なんだ、情報集めてないのか? グリードハッカーズ新作の体験版が今日から配信なんだぜ?」


 そのゲームならユウたちも知っている。ハッキングによってステージを自由に作り替えられる主人公たちが、その能力を使って悪の組織と戦う人気シリーズだ。ヒロトに勧められて、何作か遊んだことがある。

 確かに面白いゲームだったが、ヒロトほど入れ込んでいないため、発売前から情報収集などはしていない。新作の話も初耳だ。


「もう出るのか? 今年の初めにも新作出てなかったか」

「この前のは外伝みたいな内容だからさ、ボリュームもそんなになかったんだよ。多分、今回の本編までのつなぎで出したんだろうな」


 眼鏡を直しながら解説するヒロトの姿は、内容が聞こえなければ、とても知的な会話をしているように映るだろう。その落差と、全く気にする様子のない潔さが面白いと、ユウは密かに評価している。


「じゃあ、俺も帰ったら遊んでみようかな。前にヒロトにやらせてもらったやつも面白かったし」

「お、いいね! 本編だから間違いなく気合い入ってるだろうし、是非やってみてくれ。そして感想も期待してるぜ!」


 興味ありげなハルキに、ヒロトはすぐに飛びつく。以前から語り合う相手が欲しいと言っていたので、あわよくばそのまま新作を買わせようと画策しているのだろう。

 ヒロトの思惑はさておき、ユウとしても興味はあるので、帰って時間があれば触れることはやぶさかではなかった。


「じゃあ俺はそろそろ行くぜ! またな」

「うん、また明日」

「おー」


 適当に手を振り、廊下へと駆け出していくヒロトを見送る。

 すぐに姿は見えなくなり、あとにはハルキとユウの二人が残される。


「……それじゃ、俺たちはどうするか」

「ヒロトもいないし、今日はまっすぐ帰ろうかな」

「そうだね、ヒロトじゃないけど、体験版で遊んでもいいしね。それじゃあ俺たちもさっささと帰ろうか」


 ユウもハルキも、大人数で賑やかに遊ぶタイプではない。特に用事もなければ、駅まで歩いてそのまま別れるのが通例だった。今日はヒロトもいないし、なおさらである。

 教科書を鞄に転送し、荷物をまとめる。教科書の形が崩れ、データに分解され、二人の鞄の内部へ送られる。

 転送が完了したのを確認すると、二人は鞄を抱え、まだ残っているクラスメイトたちの喧噪を背に、教室をあとにする。

 学校から駅まで、約十五分。通学で一番面倒なのがこの通学路だ。

自宅から最寄り駅は大した距離ではないので、駅に着いてしまえばあとは一瞬である。

 寝ようにも寝られず、授業中ずっと起きていたからだろうか。特にたくさん動いたわけでもないのに、全身が疲労感を訴えている。本当に、余計なものを残してくれたものだ。欠伸を噛み殺しながら、ユウは一人で毒づく。

 そこからは、いつもどおり。

 特筆することもなく、二人で適当なことを話している内に到着する。


「じゃあ」

「また明日」


 ハルキとは家が逆なので、駅で別れることになる。簡単に挨拶を済ませ、それぞれ帰路に着いていく。

 駅は至ってシンプルだ。縦に三列、等間隔で並んだ青いビーム状に伸びた光線により、正方形に区切られたスポットがそれである。その中心には中継所として、細長い錐状の塔が鎮座している。塔は鈍い七色の光を、絶えず全身に纏い、その先端から光を放っている。

 ユウはつい最近まで知らなかったが、昔は建物があり、その中を電車という建物が走っていたらしい。狭い箱の中にぎゅうぎゅうに人が押し込まれ、何十分も乗っていたと聞いたときは、なんと恐ろしい時代だと戦慄したものである。

 駅の中に入ると、目の前に画面が浮かび上がる。『一路駅』と表示された現在地を中心に、周辺駅が表示されていく。


「一路駅から一坂東駅へ」


 その中から、自宅への最寄り駅の名前を告げる。

 ユウの足元から、塔の胴体から放たれているものと同じ、七色の光が出現する。光は彼を中心に螺旋を描き、鉄塔の先端まで伸びていく。


『一坂東駅まで。間違いはありませんか』


 いかにも機械音声といった声が問いかけてくる。わざわざ聞いてきて煩わしいという声もあるが、どこか愛嬌を感じさせる声で、ユウは嫌いではなかった。


「ないよ、いつでも始めてくれ」


 授業中の気だるげな態度はどこへいったのか、意味もなく親しげに答えている。

 返答を受け、取り囲む光が猛烈に回転を始める。まさに光速と呼ぶべきか、彼の視覚では捉えることができない。

 同時に、ユウの身体が崩れていく。先ほどの教科書と同じである。

 わずか数秒で、彼の全身は輪郭を失うが、その間も表情は変わらない。

 驚くことではない。この世界では、教科書も人間も、大して違いはない。

 容量の多寡と、自立思考を有するかどうか。大ざっぱに言ってしまえば、それだけである。

 数秒後、らせん状の光が、空の彼方に吸い込まれたように消え失せた。

 後にはユウの姿もなく。駅にはただ、鉄塔とその光のみが残されていた。


 それと同時刻。

 最寄り駅、一坂東にて、ユウの姿が再構成されていた。


 

 自宅までの短い道のり。まばらな人影がギンギンの日差しに照らされ、影法師を浮かび上がらせる。

 頭上の浮遊車道エアリアルラインでは、行き交う自動車が空気を切り裂き、けたたましい滑走音を立てているが、その下はのんびりしたものである。

 かつて人類は空飛ぶ車を夢想したそうであるが、今となっては見慣れた光景である。

 鞄の中から小型の機械を選択し、展開する。手のひらサイズの端末が形成され、ユウの手の中に収まる。

 端末を押し込むと、機体が中心から真っ二つに分かれ、そこから画面が何重にも浮かび上がる。内容はユウが登録したジャンルの情報であり、彼の意思に合わせて、画面は動き回り、見たいものを前面に押し出してくる。

 画面を見ながら歩いていても心配はない。行き交う人が少ないのもあるが、衝突回避のプログラムが組み込まれているし、そもそもぶつかったところで何の問題もない。コアデータである脳さえ無事ならば、いくらでも修復可能だ。

 三二九九年の世界は、そういうところだ。



SPHEREスフィア』。それがこの世界の名前。

 統世管理機構によって管理された、創られた世界である。

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