一章

成り立ちと、なれ初めと

 遠く、およそ千年前。

 人類の抱え続けてきた問題はとうとう限界に達し、このままでは種の存続が危ういというところまで追い込まれていた。


 人類滅亡だけは避けなくてはと、人々は宇宙―――かつての世界には、そのような場所があったらしい―――への移住計画を考えた。が、宇宙開発計画などはるか以前に停止しており、そのノウハウを有しているところなど、もはや一国たりとも存在していなかった。


 滅亡へのカウントダウンを無意味に数えるだけの中、最後の手段として一つの計画が立てられた。

 肉体を捨て、人間をデータ化し、地球を模した仮想世界に移住させる計画を。


 実体を持たず、起動のための媒体を必要とせず、電源やその他のエネルギーも必要とせず、半永久的に稼働し続けることが可能な人工世界。


 それを可能としたプログラムは、人工世界の開発時のコードネームから取られ、そのまま『SPHERE(スフィア)システム』と呼ばれた。


 そしてそれは、そのまま新世界の呼び名となった。


 病気もなく、事故の心配もない、寿命を全うできる世界。

 餓死の心配もなく、栄養を気にせず好きなものが食べられる世界。

 土地を広げることなく、建物の内部を拡張できる世界。

 窮屈な乗り物に揺らされることなく、一瞬で目的地まで移動できる世界。

 そして、自動車が空を飛ぶ世界。

 当初は肉体を失い、管理されることへの反発も大きかったが、その利便性、なによりも差し迫った状況から、次第に受け入れられるようになっていった。


 こうして始まった『SPHERE(スフィア)』は、研究チームから派生された組織、統世管理機構によって管理され、現在もこうして存続している。


―――以上、学校で必ず教わる、誰でも知っている常識である。



 一坂東駅から少し離れた、高層マンションの立ち並ぶ住宅街。

 そのなかの一つに、ユウとその家族が住む部屋がある。

 どれも似たような外観をしているが、勝手知った場所である。間をくぐり抜け、迷うことなくたどり着く。


 ユウの部屋は三階にある。玄関ホールで三階を指定すると、駅のときと同じく、彼の身体は一瞬でそこまで移動する。まだ社会人は仕事をしている時間だから、ここも人の姿は多くない。

 三階にも幾つもの部屋があるが、三〇三号室がユウたちの居室である。部屋の前まで来ると、自動的にロックが解除される。

 この時間だと両親もまだ帰ってきていない。中に入るとひとりでに、無人の室内に証明が灯っていく。


 照らされた部屋の中は、リビング、ダイニング、キッチンが完備されているだけでなく、そのほかの部屋も幾つもある。外から眺めたときに比べ、内部は不自然に広いが、室内の容量を拡張しているためである。

 このおかげで、狭い面積の土地だろうとお構いなしに、全員がある程度の部屋に住むことができる。俗にいう三LDKが、一般家庭の平均くらいである。


 昔は一室しかないような狭い部屋もざらにあったと聞く。SPHEREスフィアで暮らすようになって、そのようなことはなくなったのである。


 病気はあるし、事故になるし、なにも食べないとすぐに死ぬし、土地は限られているし、移動にもいちいち窮屈な箱に乗らなくてはならない。それが、かつて人々が住んでいた地球という世界らしい。

 そのような話を聞くたび、SPHERE(スフィア)始動当初には反発が大きかったというのが、ユウには信じがたかった。


 もちろん、生まれたときから既にそうであったユウたちとは、根本的に立場が異なることは理解している。しかし、それを抜きにしても、利便性がまるで違う。脳さえ無事ならば瞬時に治療可能だし、限定的とはいえ瞬間的な移動も可能だ。


 当然、なんでもできるという訳ではない。一般の人々は少なからず制限が課せられているが、それでもこれだけの利点があるのだ。なにを躊躇うことがあったのだろうというのが、ユウの正直な感想だった。

 ユウと同じような意見を持つものは、今の世界では少なくない。もっとも、ユウほど極端な例は少ないだろうが。


 ――深角(みすみ)ユウは、人とその他の差異に対して、あまり頓着がない。


 別に拗らせているとか、斜に構えているというわけではない。幼少期に一人でいる時間が長かったため、父が寂しくないようにと買い与えてくれた知育用会話アプリケーションとよく話していたのである。昔から活発に動き回る性格ではなかったため、それこそずっと話していた。


 そのせいか、その会話アプリのことを本当の人間と思い込んでしまったのである。事実を知ったあとも、別に自分がおかしいとは思っていなかった。

 むしろ、パターンで会話できないぶん、本物の人間相手のほうがわずらわしいとさえ感じるようになってしまっていた。

 それ故、交流を避けてまた一人で過ごすようになってしまった。人の記録を見るのは楽しかったので、歴史は好きになっていたが。


 それが変わっていると気付いたのは、中学生のときだ。

 その頃になると、より考えが先鋭化し、「人間と物に差などない」と主張するようになっていた。そして、黙っていればいいものを、インターネット上で大々的に触れ回っていた時期があった。思えばあのときは、本当に拗らせていたのかもしれない。

 当然中学生の言うことなど、適当にあしらわれて終わることがほとんどだったが、中には親切に反応してくれる物好きも少数ながらいた。


 『肉体を失うことは、それだけ当時の人たちには恐ろしいことだったんだよ。確かな姿を失い、データ上で管理される存在になることが。自分たちがなにか、不確かなものになってしまうのではないかとね』


 その中でも印象的だったのが、この返事だった。どうにも要領を得ない解答だったが、ユウには不思議としっくりきたのである。それが面白くて、そのまましばらく二人で話し込んだものである。


 そのときの相手とは、今でも交流を続けている。色々教え、あるいは諭してもらったお陰で、今は大分落ち着いている。根本的な考えは変わっていないが、少なくとも大っぴらにすることはなくなった。

 こうして平穏な学校生活を送れているのも、その相手の功績と言えるかもしれない。


 そして今日は、そのときの相手との、毎週行っている交流の日である。

 彼はもういるのだろうか。まっすぐ帰ってきたため、時間が余って暇だったのもあり、無性にそのことが気になってくる。


 自分の部屋に入ると、机の上に置いてある機体を手に取る。帰り道に弄っていたものよりも一回り大きなそれは、室内で使用する据え置き型である。小型のものに比べ、動作が快適で用途も幅広い。

 表示された画面の中から、目当てのアプリケーションを起動する。世界中の人と自由にコミュニケーションを取れる、いわゆるSNSというものだ。

 今の主流は、アプリケーション内で作成されたワールドに疑似的に移動することで、実際に会って話しているかのような体験を可能にするタイプだ。ワールドを自分たちで改造して遊べるほか、専用のアバターを用意することも可能で、誰でも気軽に参加できるため人気は高い。


 対してユウが起動したものは、掲示板と呼ばれるスペースに文章を入力して交流する、骨董品と呼んで差し支えない代物だ。もっと手軽で面白いものがたくさんある中、わざわざこのタイプを選択するものなどほとんどいない。実際、掲示板にいるのは、いかにも癖のありそうな変人ばかりだ。


 そして彼は、その掲示板の住人の一人である。今いるかは知らないが、フレンド登録もしてあるため、個人宛のメッセージで直接確認するのが手っ取り早い。


『ハルカ:今大丈夫か?』


 『ハルカ』というのが、ユウのハンドルネームだ。利用し始めたばかりのころから使っている、特に深い理由もなく付けた名前だ。今となっては変えるのも面倒なので、そのまま使い続けている。


 適当なニュースを眺めていたら、返信のメッセージはすぐに来た。


『D-Knight:ちょうどいいね、ナイスタイミングだよ』

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