第十一話【閉会】
「これより、閉会式を始めます。選手の方は――」
アナウンスが響き、美緒はフロアの壁に寄りかからせていた背中を離した。試合がすべて終わり、コートを形成していたテープも全て剥がされ、モップがかけられた床。その床を眺めていると、自分を含めた選手達の戦いの名残がまだあるように美緒には思えた。試合数は少なかったとはいえ、北海道でのインターハイ代表を決める最後の試合。その熱気は、少なくともまだ美緒の中に残っている。ジャージは上だけ着て、下はハーフパンツのままだ。
ゆっくりと前に歩いていくと、後ろから追ってくる足音が聞こえた。軽く振り向くと栄塚と高山。そして遊佐が更に後ろに続いている。
自然と美緒を先頭にして、閉会式の台座などが準備された場所に着く。立つ場所を指示されて並んでいると、今日戦った選手達がすぐに集まってきた。一日目よりも少ない人数。一人一人、試合会場を歩く中で見かけた顔。名前と顔は一致しなくても、今日この場にいたということだけは分かる。
そう考えると美緒はこみ上げてくる何かの想いに飲まれそうになった。ツバをゆっくりと飲み込んで、その想いは胸の奥へとしまっておく。
(終わったんだな……)
改めて、インターミドル全道予選が終わったのだと自覚する。自分が長い間追い求めていた場所へとようやく踏み入れるのだ。流した涙による目元の腫れは決勝の前に引いていた。それと同時に体にのしかかっていた様々な重さも解放されたようで、美緒は疲れはさして感じていなかった。
あるいは、達成感によるものかもしれない。
「ではこれより閉会式を始めます。まずは大会委員長の挨拶――」
決まった流れに沿って閉会式が進む。美緒を含めた選手達へのねぎらいの言葉。
勝利を掴んだ者、それを逃した者。それぞれに今後の更なる成長を促す。
短い話が終わり、選手の表彰に移ると、美緒は自然と足が半歩前に出た。
「賞状の作成の関係上、先に作成できたものから表彰します。まず、女子シングルス、第一位。朝比奈美緒。浅葉中」
「はい!」
美緒は堂々と返事をして、大会役員達のいる場所へと進み出た。続いて二位、三位と名前が呼ばれるのは自分が制した二人の名。
決勝で美緒は、準決勝までの苦戦が嘘のように相手を終始圧倒して勝利した。痛めていた足もその影響がないと言えるほどに美緒の動きはこれまでで最も流麗で、スマッシュやドロップのキレも冴え渡り、相手に主導権を持たせずに21ー16、21ー15と危なげないまま優勝することができたのだった。
三位には自分と準決勝で戦った岡田が入った。それを見て美緒は改めて自分が辿ってきた道が険しかったことを自覚する。
全国行きが決定し、心の重荷がなくなったことで萎縮することなく試合が出来たことが要因だと美緒は考えていた。
(それに……達成できたのは、ホント、皆のおかげだな……帰る前にお土産買っておかないと)
ぼんやりと考えつつ大会委員長の前に出て、賞状とメダルをもらう。もちろん本当の金ではないだろうが、表面は金色で、ずしりと重い。メダルを取るまでの長い道のりのように感じて、また少し涙腺が緩んだ。泣き出さないように丁寧にお辞儀をして後ろに下がる。続いて二位、三位と賞状とメダルを渡されて三人同時に自分達の場所へと戻っていった。自分の列に戻る途中に高山と栄塚、そして遊佐が笑顔で小さく拍手を続けてくれるのが見えて、どうしてもこらえきれなかった涙を拭いつつ元いた場所へと戻った。
続いて女子ダブルス、男子ダブルスと試合が終わった順番に一位から三位までの選手が呼ばれ、最後に男子シングルス。
美緒はそこで、胸の奥からくる痛みに顔をうつむかせた。
「一位。道下秀和、札幌玉林中。二位、安佐田孝。函館明洋中。三位。遊佐修平。浅葉中」
『はい!』
三人が同時に返事をする。三人が三人とも晴れやかな笑顔で前へと踏み出す。それでも美緒は、遊佐の目元に赤く腫れた後があるのを見逃さない。
美緒が声をからす寸前まで送った声援は、遊佐を勝ち上がらせることにはほんの少し、足りなかった。全てのゲームを延長戦になるまで戦い抜いた遊佐は、最後に力尽きたのだった。
自分も決勝の試合前まで腫れていた。背負っていたものから解放されて気が緩み、涙が溢れた名残。遊佐の流した涙は、その反対のものだろうと分かっているからこそ、美緒は辛かった。自分の応援がもっと届いていれば遊佐は勝てたかもしれない。
無論、それは幻想だ。最終的には選手自身の力が相手に勝ったからこそ、美緒は勝利できた。それでもその力を限界以上に引き出すことができたのは浅葉中の仲間や、他校と友達や、遊佐のおかげだったと信じている。だからこそ、もう少し自分が声を届けれていればと思わずにはいられない。
美緒が心の中で葛藤している中、粛々と賞状などが手渡され、遊佐は銅色のメダルを受け取り満面の笑みを浮かべたまま戻ってきた。心の底から満足しているような表情。
それはおそらく、本当だろう。遊佐は試合に負けてから閉会式が始まるまでの間に、本気で悔しがり、そして満足したのだ。
インターミドル全道予選、男子シングルス三位。
中学のバドミントン生活の二年半の集大成である、その成績に。
そう思って美緒は自分にしてもらったように、小さく拍手を続けて遊佐を見ていた。遊佐は美緒に笑顔を向けて、通り過ぎる瞬間に「ありがとう」と小声で伝えた。
「――以上を持ちまして閉会式を終わります」
大会委員長の礼に合わせて頭を下げて、式は滞りなく終わった。参列者はある程度まとまったグループで去っていく。美緒は先頭だったため、今度は逆に最後尾を歩いていくことになった。今、自分達の先頭を歩くのは遊佐。その後ろ姿を見ていると違和感を覚える。いつもの遊佐よりもほんの少しだけ歩調が重いように感じていた。
(遊佐も疲れてるのかな。それともやっぱり……全国行けないのがショックなのかな)
そこまで考えて、美緒は一つの事実に思い至って顔が熱くなる。
遊佐の歩行の微細な違いに気がついて、その心境を推し量れる。それだけ、遊佐の普段の行動や考え方が自分の中に入ってきているということに。
一年から何度も、何十回も。おそらくは百回以上、共に練習してきた。それだけ普段も一緒にいたのだ。通常の遊佐の言動が焼き付いていてもおかしくない。
(なんか、不思議な感じだな)
自分の中に遊佐がいるような感覚。逆に、遊佐には自分がいるのだろうかと美緒は思う。改めて、好きと告白されたことが頭を占めていく。
(答え、言わないといけないんだよね)
試合も終わり、今日は宿泊して次の日に帰る。朝九時から始まって、今は十六時。もう今日の残り時間は帰って休むだけだろう。試合の前に答えは試合が落ち着いたら、と言った以上、その答えを言わなければならない。美緒の足も遊佐のように少しだけ重くなった。
フロアを出たところで庄司が出迎え、他の通行人の邪魔にならないところまで移動すると口を開く。
「みんな。この数日、お疲れさん。今日はもうホテルに帰ってゆっくり休んでくれ」
「庄司先生。打ち上げはしてくれないんですかー?」
高山が軽く声を上げる。元から期待はしていないと分かる声音。庄司もそれにあわせて頷く。
「自腹なら問題ないぞ。あと、親御さんから預かっている大切な生徒達に何かあったら困るから、ホテル内だな」
「えー、じゃあ誰かの部屋に集まってならいいですか?」
「それはいいぞ。帰りにコンビニは寄れる」
「やったー!」
高山は嬉しそうに栄塚へ言って、二人で夜の打ち上げに備えだす。その二人の後ろを抜けて遊佐が美緒へと近づき、小声で聞いた。
「女子の中に俺っていていいと思う?」
美緒は少しの間、考え込む。ホテルの一室で高山と栄塚。そして自分に囲まれた遊佐の姿は、女子に圧倒されつつも笑って会話していた。
美緒は浮かんだ感情の赴くままに答える。
「……あんまりよくないんじゃない?」
「だよなぁ」
小さく肩を落とす遊佐を見て、美緒は感情を顔に出さないようにするのに必死だった。
夜に女子と同じ部屋にいることが良くない、というのはあくまで建前。
ただ、他の女子と仲良く話している遊佐を考えると不機嫌になる自分がいただけ。
(……なんかシャクだけど)
その先の言葉は思い浮かべることができなかった。
* * *
会場を後にしてホテルに戻った美緒達はすぐに夕食を食べ、更には風呂で汗を流した。一連の流れの中でも眠くなる自分がいたが、せっかく打ち上げをしようと高山達が言っているのだから参加したいと美緒は思っていた。最初は渋っていた遊佐も参加することになり、夜九時から一時間くらい行うということになっている。
浴場から歩いていく間にある壁時計を見ると、時刻は夜八時。あと一時間のうちに部屋に戻ったらそのまま寝てしまいそうだと考える。
(暖かいから風邪は引かないだろうけど……このあたりで時間潰すのもなぁ)
どうやって疲れと時間を潰そうと考えていたところに後ろから声がかかった。
「あ、朝比奈だ」
急に心拍数が跳ね上がり、美緒は背中から汗が吹き出る。体を包んでいた気だるさが一気に霧散して、緊張に体が強ばった。緊張を悟られないように振り向いて、見上げる。予想通りに背が高い遊佐が頬を紅潮させていた。
「遊佐……」
「朝比奈も風呂上がりか。今日は疲れたろ」
「う、ん」
あまりにいつも通りの遊佐に、逆に美緒は気を使ってしまう。おそらく自分の中ではもう区切りはついているのかもしれないが、美緒が一位で全国へ行き、遊佐は三位で行けない。その差をどうしたらいいかと悩むも、とっかかりが掴めない。
「遊佐も、お疲れさま。ちょっと飲み物でも飲まない?」
「いいね。風呂上がりのコーヒー牛乳でも」
「なんか年寄りみたい」
何か少しでも見つけようと、美緒は会話を続けるために自動販売機のコーナーへと向かった。傍には休憩スペースもあるため、そこで話をするつもりだった。
そこで美緒は頭からすっかり抜けていたことを思い出す。スマートフォンを取り出して、手際よくメールを打っていく。
「部の皆にメール送るのか?」
「んん。違うよ。昔の友達にね」
文面を作成し、送信先をまとめて選ぶためにカテゴリを選択する。名前が「親友」のカテゴリに入っている二人の名前をまとめて選択した後で、もう一度だけ文面を確認する。
『全国行き、決まったよ』
シンプルな一言。今まで忘れていたことも、言葉が他に浮かばなかったことも、昔なら後悔したかもしれないが、今の美緒には何も感じなかった。
送信ボタンを押して前を向くと、ちょうど自販機の場所に着く。遊佐とそれぞれ目当ての飲み物を買った後で、休憩スペースにある椅子に腰を下ろした。美緒の前には丸テーブル。その向かいにある椅子に遊佐が腰掛けて向かい合う形になった。
「部の女子とかにはもう送った?」
「うん。そっちには会場から帰る間にね」
「そっか。やっぱり返信凄かったか?」
「ううん。代表してあゆからだけ来たよ。帰ったら皆でお祝いしてくれるって」
改めて遊佐が聞いてくる。美緒は遊佐を気遣いながら返答していく。だが、話を続けていく中でその気遣いも不要だと思えるようになってきた。
「俺はなぁ。ほんとなぁ。ベスト8で体力消費しすぎたのが原因だな。めちゃくちゃ疲れたもんな」
「私がマッサージできれば、もう少し何とかなったかな?」
「それだと嬉しくて逆に脱力しそう」
「なにそれ」
遊佐の物言いに自然と頬が綻ぶ。美緒の笑う顔を見て遊佐は静かに言った。
「ようやく気兼ねしなくなったな」
「……ごめんね。遊佐、私と一緒に全国に行くって言ってくれたのに行けなくて。私が行けたから、どう接していいか分からなくて」
遊佐は「もう散々悔やんだからいい」と笑う。美緒はほっとしてほんの少し緊張がほぐれた。まだ完全に緊張が消えないのは、おそらくまだこの場で言うことがあるから。そのことは自分から遊佐に伝えたいと美緒は思っていた。これまで一番傍で支えてくれた仲間に一番始めに伝えたいと。
切り出すタイミングに困っていると、スマートフォンが震えた。差出人の名前を見ると、見知った名前。親友と思っている、友の名前。
『良かった。これで約束果たせるね。私も何とか行けたよ。全国で会おうね』
ほっと一息ついて文面から目を離すと、遊佐が優しい眼差しで美緒を見ている。恥ずかしくなって目を逸らすと、遊佐が尋ねてきた。
「どうして、そんなに全国に行きたかったんだ?」
遊佐からの率直な質問。それが美緒の内心を読んだものか、ただの偶然かは分からなかったが、遊佐の言葉に乗ることにする。
スマートフォンの画面を遊佐へと向けて、文面を見せる。遊佐は一瞬だけ目を細めてから文章を左から右へと追っていく。画面から目を離したところで美緒も画面を手元に戻した。
「私ね、小学生の頃に二人、凄く仲がいい友達がいたんだ」
美緒はゆっくりと過去の記憶の扉を遊佐へと開けていった。
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