第三話【初戦】
試合のアナウンスに従って、美緒はコートに降り立った。
第二シードということで二回戦から登場していること。更には試合順も最も遅い位置だったため、結果的に待っているだけで半日と少しが過ぎていた。その間に遊佐は第三シードとして試合に挑み、見事に二回戦突破していた。
「頑張れ! 朝比奈!」
応援する人数の少なさをカバーするかのように、数人分になろうかという大きな声を出す遊佐。美緒がもう少し押さえるように言おうとすると、先に協会役員が注意に向かってい。ため息を付きつつ前を見る。
コートにはすでに対戦相手が入っている。プログラムで見た名前だと同じ二年だが、対戦経験はない。美緒にシード選手に挑むという気負いからか、硬い動きのままフットワークを続けている。
(……よし)
何度か深呼吸をした後で美緒もコートへ足を踏み入れる。シードの下にいるということは、さほど強くはない相手。しかし、それもあくまで全道という広い中での話であり、彼女自身の地区ではトップのほうにいたのだ。そこは美緒と大差はない。
侮るような相手はこの会場にはいない。
開会式前に庄司から言われた言葉を改めて心に刻みつける。
自分は初戦だが、相手はすでに一試合を終えている。その日の試合の感覚というのは、実際に試合をしてみなければ分からないことがある。その日その日で調子も微妙に異なり、得意なショットや不得意なショットが出てくる。普段通りの実力が出るかどうか。出なければこの試合で敗退もあり得るのだ。
審判となる選手――おそらくはこの試合の前に負けた選手――がやってきて、二人に握手を交わすように言う。ネットの上から握手を交わし、その後じゃんけんでサーブ権を取る。
相手もコートを自分がいる側として、試合の準備が整った。
「オンマイライト。瀬田さん。犀利中。オンマイレフト。朝比奈さん。浅葉中。朝比奈さん、トゥサーブ。ラブオールプレイ」
『お願いします!』
瀬田と美緒が同時に互いへと宣戦布告するように叫ぶ。そこからサーブ体勢を取って、美緒はまずロングサーブをコート奥へと打ち上げた。瀬田はゆっくりとシャトルの下に入ると、クロススマッシュで美緒の右側を貫こうとする。だが、美緒はバックハンドに持ち変えて、より前でシャトルを打つ。シャトルは勢いを殺されないままに瀬田のコートの左奥へと突き刺さった。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ナイッショー!」
美緒が声を出す前に遊佐が自分のショットを誉める。それに嘆息しつつも、遊佐を利用して自分のモチベーションを上げようと決める。自分で声を出していこうとするとどうしても体力を消費する。しかし、遊佐の声に乗っていけば気持ちは自然と高揚していく。これまで何度か使っていた手だ。
「一本!」
次のサーブ位置に移動してからサーブを打ち上げる。しかしほんの少し打点がずれたのか、シャトルはシングルスラインを越えてコートに落ちた。
「アウト。ポイント。ワンオール(1対1)」
「ドンマイ!」
遊佐の声を背中に受けながら、美緒は自分の調子を分析する。
サーブ権があるほうがシャトルを決めると得点となるサービスポイント制から、シャトルをコートに沈めたほうが得点となるラリーポイント制に移行したのは、ほぼ一年前だった。去年は足の痛みだけではなく、感覚的に染み付いていたサービスポイント制の得点形式を忘れることが出来なかったことも敗因の一つだろう。
一年経ってサービスポイント制の感覚は消えた。それは相手にも言えるが、少なくともルール改正による変化は、自分にはない。
(だから後は私の加減次第)
相手からのサーブを受ける。
ロングサーブを打つ素振りを見せた瀬田だったが、打つ瞬間に力を弱めてショートサーブへと変化させる。その変化を読んでいた美緒は一歩前に踏み出しただけで追いつき、足の踏み込みの勢いだけでシャトルを押し出した。ネットを越えてすぐ落ちるシャトルを瀬田も前に出てヘアピンで返す。それを更にヘアピン、と二人はヘアピン勝負に入った。その場にとどまって打ち合い、少しでも浮けばプッシュで叩き込まれるという状況の中で、最初に打てなくなったのは瀬田だった。美緒のヘアピン精度に追いつけず、ロブでシャトルを打ち上げようとしたが、ネットにラケットが引っかかるのを恐れて振り切れなかった。
「はっ!」
浮かんだシャトルに美緒は食らいつき、スマッシュで叩きつける。シャトルは瀬田の頭の後ろを抜けてコートに跳ねた。
ポイントが告げられて遊佐の声が届く。
反応速度もいつも通りだった。
(うん。いける。体も軽いし)
体が試合会場の熱気に馴染んでいく。
ただ見ているだけと、実際に試合をしているとでは、体感するものが明らかに違う。実際にネットを挟んで対峙している時と観客として外から見ている時。相手から感じるプレッシャーや、コートを取り巻く熱気や呼吸。何もかもが違う。
コートの中にしかないそれらは、美緒の細胞の一つ一つを活性化させていく。朝から試合の準備への準備はしてきた。食事もほどよく取り、汗も軽く流し、気持ちも集中してきた。だが、それらが全く足りなかったと思えるほどに、コートに入ったとたんに覚醒する。
「一本!」
シャトルを高く遠くへ打ち上げる。今度はセンターラインを狙っての軌道。瀬田はある程度後ろに下がってシャトルの真下で構えていたが、やがて構えを解いた。一つ前のサーブの時のようにアウトになると考えたのだ。しかし、落ちていく軌道を目で追った結果、慌ててシャトルを打ち返す。しかしそれはすでに死んだ球。力を込めて打ち返しても軌道も飛距離も浅いため、美緒が前に詰めてプッシュで叩き込んだ。
「ポイント。スリーワン(3対1)」
シャトルを拾い、羽を整えてから美緒へと渡す瀬田。美緒は、その思考を分析してみる。
(今のでサーブは一勝一敗。ああいう際どいサーブを私が狙って入れられるのかどうか、探ってるはず)
ならばもう一度、今度はミスをした時と同じ状況で、同じサーブを打ってみる。
立ち位置を調整してから瀬田を視界に収める。一打一打重ねていくことで調子が上がっていく。サーブをミスした時と今とでもかなり体の中では感覚が異なっていた。次のサーブは成功する。根拠はないが、確信はある。それを実際に見せるため、美緒は吼えた。
「一本!」
ロングサーブは打ち上げたシャトルは記憶に残っている二つ前のサーブと軌道が重なった。瀬田もそのことに気づいたのか驚いた表情のまま追っていく。そして先ほどよりも早く構えを解いた。
(やっぱり……見ている!)
美緒は前に出る体勢を作り、瀬田がライン上に落ちようとするシャトルを打つと同時に走り出す。ストレートのドライブ気味に飛んでくるロブをまたしてもプッシュで叩き落とした。
「ポイント。フォーワン(4対1)」
「しゃ!」
小さくガッツポーズ。狙い通りのサーブに狙い通りの展開。瀬田は自分の目の前に叩きつけられたシャトルを呆然と見ている。やがて我に返ったのか、慌ててシャトルを拾い、羽を整えて美緒へと放る。明らかな焦り。高く遠くまで飛ばすサーブを、ライン上に落とす。力とコントロールを上手く融合させなければ不可能で、それはそのまま瀬田と美緒の実力差にも現れる。それを感じて顔を歪ませているのだ。
(慢心は、しない。実力差があるなら、それだけ大差で勝たないと)
シャトルを手の中で弄びつつ、瀬田が構えるのを待つ。これからは、おそらく怪しいシャトルなら打ってくるだろうと美緒は思考を切り替える。それはそれで、迷いがなくなるためにやっかいだった。瀬田の戦略を見て、また自分がどのように打っていくか分析を始めることになる。
「一本!」
気を引き締めるために声を出す。ラケットを振りかぶり、勢いよく下から上へと打ち上げる――振りをして、美緒はショートサーブを打った。シャトルはネットすれすれを越えていき、フロントサービスライン上へと落ちていく。瀬田は美緒のラケットの振り方から完全にロングサーブと思いこみ、体ごと移動していたため反応が遅れた。足を踏み出し、ラケットを差し出すも届かずに、シャトルはサービスライン上へと落ちた。
「ポイント。ファイブワン(5対1)」
完全に美緒の掌の上で弄ばれる形になっている瀬田。表情を暗くして美緒を睨んでいる。その視線を受け流して美緒は飛んできたシャトルの羽を整える。
(今のところ、こっちが押してて相手の得意な分野とか見えないけど……どうなんだろう)
このまま自分が押していければ問題はない。しかし、瀬田が美緒のショットを分析して、自分の得意ショットを駆使してくるとすれば、早めの見極めが必要かもしれない。あえて甘いシャトルを上げて打たせるか、このまま行くか。
方向性を決めてから美緒はサーブ体勢に入り、合わせて瀬田も構える。瀬田は確かに暗い表情をしていたが、まだ目の光は失われていない。実力差があることは分かっているからこそ、美緒の隙を探してそこを一点突破してくるはず。美緒はもう一度同じコース、同じ位置にサーブを打つ。三回目は確実に拾ってくる。それをどう打つかで傾向を捉える。
三度目の正直。瀬田は今度こそ振りかぶり、停滞がないままシャトルを打った。
「はっ!」
放たれたのは切れ味のあるドロップ。従来のドロップよりも早く、鋭くネット前に落ちていく。美緒も取れると確信して追ったにも関わらず、シャトルの軌道が明らかに遠かった。
(鋭い……!?)
予想以上の切れ味に焦ってラケットを伸ばす。ネットを越えて床に落ちかけたところでようやくシャトルに触れる。角度と力を調整して、ネットぎりぎりを越えて返すと前に出た瀬田も打ち込めず、ロブを上げて終わる。
シャトルを追いかけてコート中央へと戻った美緒は空いている左サイドへスマッシュを打ち込んだ。前から戻り切れていない瀬田だったが、反射的に振ったラケットがシャトルを捉えて美緒へと返していた。
(瀬田……上手い!)
徐々にエンジンがかかってきたのか、それともまぐれか。シャトルを取るようになった瀬田は美緒の想像以上にレシーブ力があった。ある程度以上の無理な体勢からでも、強引にロブを上げて状況を立て直そうとする。その粘り方は美緒の周りにはいなかったタイプだ。おそらくは相手のミスを誘い続けて地区で三位以内に入ったのだろう。
だからこそ、美緒は力でねじ伏せようと決意する。周りにいなかったからこそ、その防御力を貫けば自分のレベルはまた上がる。
シャトルを素早く追って美緒はシャトルの下に入る。サイドの空きスペース、ではなくあえて瀬田の側にシャトルを打ち込んだ。空いているところに来ると予測していたのか移動を始めていた瀬田は踏み出した足を思い切りコートに叩きつけて、反動だけで体勢を戻す。ラケットに当たったシャトルはネット前に到達する頃には勢いを失ってドロップとなる。美緒はネット前でラケットを構え、シャトルを叩き落とした。
「ポイント。シックスワン(6対1)」
相手が移動する先を読んで、あえて逆方向に打つ。美緒としては、軌道を読まれてもそれはそれで万全な体勢の瀬田を崩すための一打となる。
(このまま……行けるかな)
手に取ったシャトルの羽を見て、審判に換えを要求した。放られた新しいシャトルを受け取ってサーブ姿勢を固めたまま瀬田を見据える。
「一本!」
ロングサーブで放たれたシャトルは美緒の意志を乗せて宙を舞った。
* * *
「ポイント。トゥエンティワンテン(21対10)。マッチウォンバイ、朝比奈」
審判が試合終了を告げて、美緒は深く息をついて試合の体勢を解いた。瀬田は悔しそうに顔を歪ませてシャトルを拾い上げるとネット前に近づいていく。美緒も握手を交わすためゆっくりと歩み寄る。
(なんとか勝った。しんどかったなぁ)
第一ゲームと第二ゲームは共に21対10で、スコア的には美緒の圧勝だった。しかし、内容はラリーが長く続いたため体力の消費も通常の試合の二倍はあったと美緒には感じられた。自分にとって第一試合であったこと。相手にとって第二試合だったことが点数の差の原因だろうと考える。
一年の時から同年代からは突出した力を持っていた美緒は自然と相手の得意なところを打ち破り、試合の中で成長していくというやり方を選んでいた。今回の瀬田のレシーブ力を越える攻撃をしかけていくことも、これまでの自分のやり方。今回ももう少し試合時間を短くするやりようがあったのかもしれないが、自分の体調などふまえて最後までペースを崩さずに貫いた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
瀬田の声には、やりきったという安堵の思いが込められているかのようにあっさりとしていた。二回戦負けの現状で満足したのか、後から悲しみがやってくるのか。どちらにせよ、瀬田の道はここで美緒が断ち切った。そして美緒は更に茨の道を進んでいく。
(まずは、一勝)
決勝まで負けることは許されない。目の前の一つ人との勝利を掴み続けるために、美緒は勝者サインの後ですぐフロアの外へと歩きだした。
朝比奈美緒、一回戦突破。
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