第四話【意識】

 自動販売機からスポーツドリンクのペットボトルを取り出して、美緒はその場から離れつつ口を開けた。そのまま一口飲み、どこか休めるスペースがないかと視線を彷徨わせる。次の試合の間隔を考えても、自分達の集合スペースに戻って問題ないのだが、美緒は一度、一人で過ごしてから合流するというやり方を好んでいた。美緒自身にもその理由は分からないが、試合とそれ以外で何かしら「モード」を切り替えているのかもしれないと分析している。

 しばし体育館の中を散策して、日光がよく入ってくる窓に面した椅子が見えた。そこに腰を落ち着かせて改めてペットボトルを飲む。


「ふぅ」


 体重を完全に椅子に預けてから試合内容を振り返ってみる。

 さほど苦戦することもなく勝利はできた。最後の方になると多少粘られて試合時間は延びたが、それも微々たるもの。逆によいウォームアップになったとも取れる。


(調子もいい。今日は、油断しなければいける)


 今日は、というよりもいつも必要ではあるが。油断はいつでも美緒の中に入ってくる。それを毎回気を引き締めているのだが、それでも苦戦したり、負けたりすることがある。三年になってから今のところ負けたことはないが、毎回のこの引き締めが力になっていると感じている。


(よし。行くかな)


 頭の中の感覚が試合モードから普通の状態に元に戻っていくのを感じた美緒は、ペットボトルをもう一度傾けてから立ち上がろうとする。しかし、そこにかかった声により、腰を打かせた状態で止まった


「お疲れ」


 そこにいた遊佐を見て、美緒は固まった。少しして足が痛くなったためにとりあえず腰はまた椅子に下ろすと、遊佐は椅子を一つ空けて隣に座った。


「今日も調子良さそうだな」

「……うん。遊佐もね。勝ったんでしょ」

「ああ。今までで一番調子いいかも」


 遊佐は自分の力に対して笑顔を見せる。遊佐もまた一つ上の代に全道から全国レベルのようなプレイヤーがいたため、一年から頭角を現していても勝ちきれなかった。今年は盤石で、ここまで勝ち進んでくる時も追い込まれたというような状況はない。上手くすれば男女共に全国ということはありえる。

 自分と同じ立場ということでの親近感が、美緒の口を開かせる。


「ねえ。遊佐って空気読まないよね」

「え、なんで!?」

「昨日のタイミングで告白とか、こっちのこと考えてるの?」


 当事者しかいないことからも、美緒の口は緩くなる。気分が柔らかくなって浮かんできたのは行きのバスの中でも感じた怒り。告白されて集中が乱れて試合に負けたらどうするつもりだったのか。そのことを連続で遊佐に伝えると困ったように頭をかく。


「あ、ご、ごめん。俺としてはこのタイミングしかないって思ったんだ。すっぱりとしたいというか」

「結局、それ。自分のことしか考えてないじゃない」

「……おっしゃるとおりです」


 遊佐の大きな体躯が申し訳なさそうに収縮する。その様子が楽しくて、美緒は自然と笑っていた。なぜ笑われているのか分からない遊佐は首を傾げるばかり。

 美緒は「ごめんごめん」と軽く謝り、説明を始めた。


「あのね。私だって女子だし。恋愛とか興味あるし。全く異性として意識してない男子から告白されても照れたり緊張しちゃうんだよ」

「それって遠回しに俺のこと言ってる?」

「言ってる」


 前日に宮越に言った言葉をそのまま遊佐へと伝える。自分の言葉に落ち込む遊佐の姿を見ていると、とりあえず自分が告白されて混乱した程度には困らせることができたように思えた。体格も中一の時に比べてだいぶ青年に近づいているというのに、性格はほとんど変わっていない。馬鹿が付くほど正直で、バドミントン馬鹿。


(異性として意識してないって、わけでもないのか)


 自分の言葉を思い返して、一部分修正する。

 試合を見ていて素直にかっこいいと思える場面が増えたり、今のように幼い部分を見て可愛いと思ったり。そのギャップに少しドキリとする。

 顔も少しいかつくなっているが整ってはいた。バドミントン部じゃない女子が遊佐のことを聞きに美緒のところまできたこともあった。


(遊佐って実はモテるのかも)


 自分の中では一番近くにいる男子。それだけに、見えていないものがあるのかもしれない。自分に告白をしてくる遊佐など考えもつかなかったように。いつから自分をそんな目で見ていたのか。遊佐の目に自分はどう映っているのか。気にしだすと次々と疑問が出てくる。同時に頬に熱が集まっていく。


(……私、なに意識してるんだろ。私ってそんな思いこみやすいっけ)


 遊佐のことを考え出して、徐々に緊張をしてくる。隣で落ち込んでいる遊佐を見ていると、次々と遊佐と過ごした日々が思い出される。中一で初めて出会ってから、全道大会に出場する直前の個人練習までも。意識したことはなく、今でも異性としてそこまで見ていないはずだったが、だんだん「その気」になっていく自分に困惑した。


(……答えを知らないからいろいろ想像しちゃうんだ。本人から聞けばいいじゃない)


 意を決して遊佐へと質問しようとしたその時、試合のコールが響く。フロア外にいる選手にも聞こえるように元々音量は大きいが、美緒達のすぐ側の天井にスピーカーが付いていたため、耳が痛くなるほどだった。


「試合のコールをします。三回戦、第八試合。浅葉中、遊佐君。真工中、玉城君。第六コートにお入りください。繰り返します――」

「しゃ! いくか!」


 遊佐は先ほどまでの落ち込みから一転、気合いを入れて立ち上がる。その様子を呆気に取られてみている美緒に、遊佐は笑顔で言う。


「告白は俺が悪かった。ごめん。あの状況で言うの止められなかったんだ。それだけ好きになってた」


 ストレートな物言いに美緒の頬が更に赤く染まる。それに気づいているのか気づいていないのか。遊佐は軽くストレッチをしてから言葉を続けた。


「それで負けたら……マジでへこむけど、朝比奈ならいけると、思う。あれだけバドミントン頑張ってるからな」

「……ありがと」

「じゃあ。頑張ってくるわ! あ、それと」


 一度走りかけて止まった遊佐はそれまでとは打って変わって真剣な顔つきで言う。


「足。気をつけろよ。結構癖になってるだろ、怪我」

「うん。分かった。早く行ってきて」


 美緒が軽く手を振るとそれに全力で手を振り、遊佐は試合へと駆けていく。すぐに姿が見えなくなるとため息をついた。会話の最後の方から体も心も緊張しっぱなしだったからだ。遊佐との会話で緊張している自分がどこか新鮮で、そのまま頬が緩む。

 遊佐との会話で休めなかった分、少しまた休憩を取ってから美緒は待機場所へと戻ると、遊佐の試合を眺めている高山ゆかりがいた。自分の試合のラインズマンをしたことで、次は栄塚の出番ということだろう。


「お疲れ。ラインズマンありがと」

「あ、そっちこそお疲れさまー」


 ラケットを置いた美緒は高山の傍に歩み寄り、感謝の言葉をかける。高山は笑顔で出迎えて、また遊佐の試合へと視線を戻した。


「どうなってる、遊佐」

「勝ってるよ。さすが第四シード」


 遊佐は一回戦を勝ち上がってきた相手に対してスマッシュを惜しみなくたたき込む。最初はスマッシュを見せておいてドロップなど鋭いショットで得点を重ねる技巧派のプレイだったが、体格が一気に成長した二年の後半からスマッシュをメインに押していくようになった。一年次から研究していたジャンピングスマッシュも、遊佐と一緒に完成させたようなものだ。美緒のプレイスタイルが女子にしては攻撃的になっているのも、遊佐との練習が根底にある。


「遊佐君となんかあったの?」

「え?」


 高山はいたずらをしようとする子供のような瞳で美緒を見てくる。その視線は何かを知っているような気がしたが、美緒はなにもないと否定しておく。


「そっか。なんか、今日よそよそしいなって思ったんだけど」


 高山は本当にただ言っただけで何かを掴んでいるわけではないらしい、と美緒は結論づける。だが、傍目から見て違和感があるのは伝わってしまっているのだろうか。そう思うとフォローをしたくなる。


「私の方が試合に集中してるからじゃない? 遊佐はいつも通りだと思うけど」

「……遊佐君はいつも以上だと思うよ」


 指された高山の指先を追っていくと、遊佐が吼えていた。辺りにまでまで気合いをまき散らし、こちらまでプレッシャーが伝わってくるように錯覚するほど。不可視の風が吹いたような気がして、美緒は目を丸くする。


「今のでイレブンラブ(11対0)。いくらなんでも強すぎじゃない?」

「……確かに調子いいみたいだね」


 美緒は、気合いが入っているというよりもテンションが高いというほうが合っている気がした。それは直前に自分と会話したからか。あるいは他の理由か。追求し出すと何か逃れられないものを見てしまいそうで、ひとまず今は思考を止める。


「遊佐は大丈夫みたいだね」

「うん。朝比奈も今回はいけるでしょ」

「そう?」

「消去法で。だって、今まで上の人等がいたから駄目だったんだし。自分達が一番上になればエスカレーター式でいけるよ」

「そうだと、いいんだけどね」


 高山の言葉の通り、現在のところ、自分の全国行きを阻むプレイヤーは見ていない。少なくとも自分の年代にはいない。出場しているプレイヤーの中で下級生は数人いる程度。もしも脅かしてくるとすれば、事前の情報がないその数人か。

 そんな未来のやりとりを経てからしばらく試合観戦に集中する。着実に得点していった遊佐は、やがて最後のシャトルをコートへと叩き込んでいた。


「しゃーい!」


 ひときわ大きな声を上げて、遊佐は第一ゲームを取った。スコアは21対7で、相手に対して高らかにラケットを上げている。そこから勢いよくコートの外にでてラケットバッグを掴むと、すぐさまもう一方のエンドへと向かった。その動きに停滞はなく、早く次の試合がやりたいと言わんばかりだ。


「遊佐ってほんと、子供だよね……」


 さっきの咆哮も、別に相手に対して威嚇したわけでもなく、単純に気合いを前に押し出して上手くいったことに高揚した結果だった。もちろん、ミスショットをすれば全力で悔しがる。それが周囲にはうるさい印象となるが、見ているだけでエネルギーが漲っているのが見て取れた。

 それは試合中ならば、十分に相手へのプレッシャーになるだろう。


「バドミントンのことしか頭にないところは、朝比奈と一緒かも」

「私ってそう?」


 自覚はあったが改めて言われると、美緒は不思議な感覚が浮かび上がった。高山は頷いてから「悪口じゃないからね」と一言謝って続ける。


「朝比奈は、結構うちの男子や他の中学からの男子から人気は高いよ。でもそういう恋愛みたいなこと全く興味なくて、ただバドミントンしか見てないような、そんなイメージだったんだよね」

「……私が人気?」

「きっと浅葉中の女子に聞いたら分かるよ」


 ふふ、と頬を緩ませる高山。しかし、すぐに引き締めて一度咳をする。美緒は、高山が何か重要なことを言おうとしてると直感する。それも、自分の本質に関わるような。


「ただね、私のイメージなんだけど……朝比奈。バドミントンをやるのを怖がってる気がするんだ」

「怖がってる?」


 初めて言われた言葉。そして、自分が思いもしなかった言葉。その美緒の思考が前に出ていたのか、高山は慌てて「本当に私が感じたことだから」と弁解してから続ける。


「朝比奈。バドミントンに凄く取り組んでるんだけど、余裕がないというか。バドミントンを上手くなるために頑張ってるんだけど、バドミントンから逃げてるっていうか。バドミントンから逃げたら上手くなれないと思うんだけど、バドミントンに追われてるみたいに見えるんだよね。向かっていってるって言うより」


 自分の考えを矢継ぎ早に口にした後でゆっくりと息を吐く。そんな高山の姿を見ながら、美緒は考える。バドミントンに追われている。表現はおかしいかもしれないが、何かが心に触れた。


(……そうか。追いかけられてるってところか)


 追いかけられてる。

 何に? と問われて高山はバドミントンと答えた。バドミントンから逃げるためにバドミントンを上手くなろうとする。それは矛盾しているようでしていないのかもしれない。高山には他に表現する言葉がなかったのだ。それは美緒の中だけにあり、他の人にはない言葉。


「しゃーらっ!」


 急に聞こえてきた声に振り向くと、遊佐がスマッシュを叩きつけた後らしく、気合いをむき出しにしていた。今の遊佐の姿が眩しく見えて、美緒は瞼を薄く開く。


(遊佐は……ほんと、いいな)


 バドミントンに真正面から打ち込み、壁を突破しようとしている遊佐。その力に引っ張られるように自分も成長してきた二年と数ヶ月だったと美緒は思う。おそらく、遊佐がいなければこの場所に立つことはできなかっただろう。


(思ったよりも遊佐のこと意識してるかもね)


 本人に全く異性として意識していないとは伝えたが、じっくり考えると意識はしている。恋愛感情ではないとしても。


「遊佐ー! 油断しないでいっぽーん!」


 自分にもしてもらったように声を出す。遊佐は美緒のほうを振り向いて左拳を突き出した。そこから「一本!」と叫んでシャトルを打ち出す。


「ほんと、単純だよね」


 自分が声援を送る分だけ強くなる。そんな気がして、美緒は自然と微笑んでいた。

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