第38話 抗う者たち2
ルベウスが顔の前で片手を振り動かすと、辺りの景色が小さく震えた。一瞬で魔法を展開したようで、周囲は透明なベールのようなものに包まれた。
防音用の魔法障壁を展開したのだとイヴリンにはすぐに理解できたが、ここで気を緩めてはいけない、と自分に言い聞かせる。
イヴリンはなるべく平静を装って微笑んだ。
「アイト先生について、ですか? どうして私にそんな質問を?」
緊張や苛立っている時ほど、余裕たっぷりに笑ってみせる。涼しい顔で欺し、貶しが常の社交界における貴族の常套手段だ。
「はぁ……いい加減、その作り笑いはよしてくれ、聖女様」
対するルベウスはわざとらしく大きな溜息をついた。
完璧な淑女であるイヴリンを前にすれば、ルベウスなど不出来な貴族の端くれ。そんな卑屈な自覚があるからこそ、余計にカンに障るようだった。
今現在、この世界での“聖女”や“聖人”という呼び名は、どれも本来の意味で使用されているわけではない。
それは伝説上の存在――
イヴリン自身、一部で聖女と呼ばれていることは知っていた。耳にする度に訂正しているが、その多くが善意、称賛の言葉として口にしているものなので、あまり強く咎められない。
しかし、目の前にいる男はどうだ。明らかな皮肉として、聖女という言葉を投げかけているのだ。
苦々しい表情でイヴリンが腕を組む。それは、原作ではしつこく主人公に噛みついてくる悪役令嬢、イヴリン・ノルンストの立ち絵の姿とよく似ていた。
「単刀直入に言おう。君は、異世界での記憶を持っているだろう」
その時、イヴリンの綺麗な形をした眉がピクリと動いたのを、ルベウスは見逃さなかった。
「……コランダから何か聞いたのかしら?」
「いいや、彼女が現れる前から推測していたことだよ」
イヴリンの目が吊り上がり、穏やかな微笑みが冷笑へと変わっていく。
極力、立場を弁えた立ち振る舞いをしてきたが、もう取り繕う必要もないと判断したのだろう。
「コランダと話した時点で、いずれこうなることは予想していたわ。それで? 貴方は本当に私の話を信じてるの?」
はたして、今までのルベウスの言動を信用していいものなのか。イヴリンにはまだ判断がつかなかった。
元よりルベウスについては、“要注意人物”としてどうにかして監視する予定だった。しかし、彼が学園に教師として登場してきた時点で、この世界の行く末は全く見通せなくなっていた。
「君の話を信じるしかないから、今こうして話してるんだ。僕はただ、疑問を晴らしたいだけなのさ」
そう答えるルベウスはどこか得意げな表情だった。
「疑問ですって? それなら私だって、貴方に対する疑問だらけよ。……ねぇ、コランダはどうしてこの世界に存在してるのかしら? 彼女の転生召喚には相当の技術と労力が必要よね。到底、貴方一人で成し遂げられるわけがないし、ここまで隠し通せたというのもおかしいわ」
ルベウスに倣ってイヴリンも壁に背を預ける。魔法を張っているとはいえ、辺りは不気味なほど静かだ。
イヴリンは小柄な方ではなかったが、それでも身長差はあるもので、上目遣いでルベウスの腹の底を窺う。
「そんなこと、異世界の記憶がある君ならば、おおよその察しがつくんじゃないかい?」
「ふざけないで。貴方は彼女のことを、何にもわかってないんだから。偶然、前世の記憶が蘇った私とはワケが違う、本当の異世界転生者なのよ!」
原作の終盤では、主人公と攻略キャラとが手を取り合い、持てる力を尽くして、ラスボス――サフィーアの形をした悪魔を消滅させる。
事前にその結末を知っているのなら、できることはあるはずだ。長い年月をかけて、イヴリンは自分なりに対策を練ってきた。
魔力を磨き、国の歴史を学んだ。そして、“最悪の事態”になった場合の助けになるようにと、冒険者ギルドの運営について、父親に進言すらした。
しかし、そんなイヴリンでもどうにもならないことがあった。転生者にだけ与えられるという、破魔の力だ。
つまるところ、この世界で本当に悪魔を消し去ることができるのは、正統な主人公――コランダだけだということを、イヴリンはよく理解していた。
「偶然、か。……いやはや、事の真相は君が思うよりもずっと複雑かもしれないね」
不敵に笑ったルベウスが、ゆらりとイヴリンの前に立ち塞がる。そして、妖しく瞳を輝かせた。
周囲の暗がりが、より一層赤い光を浮かび上がらせる。それは恐ろしくもあり、美しくもあった。
「――――!」
その意味に気付いたときには遅かった。二人の視線が交わったその瞬間、イヴリンの身体には痺れるような感覚が走り、思考が途切れる。
しまった、まさか……咄嗟にいくつかの単語が頭の中に浮かんだが、どれも声にはできなかった。
魅了か、はたまた服従の魔法か。いずれにせよ一瞬にして強力な魔法をかけられた。優れた魔力と知識を持ったイヴリンでも、否応なしに立ちすくんでしまう。
そういえば、原作のルベウスも相当な力を持つ魔術師――鬼才と呼ばれていたことを今になって思い出した。
「はい、コランダの話はもう結構。君に聞きたいのは僕と、僕の父についてだ」
ルベウスが視線をそらすと、イヴリンを締め付けていた緊張がフッと解けた。
よろめく足に力を入れ、何度か肩で息をする。それから恨めしそうにルベウスを睨みつけた。
「何よそれ、そんなこと知ってるわけないでしょう!」
イヴリンの投げ遣りな態度に気に留める様子もなく、ルベウスが会話を続ける。
「質問を変えよう。14年前に起こった魔研の事故については?」
「え……ええ、聞いたことはあるわね。でも、それがどうかしたのかしら?」
原作でのルベウスについてならともかく、彼の父についてなどほとんど知識を持ち合わせていないし、転生後の記憶の中にもない。
そんな質問をしてくるルベウスの意図もわからない。イヴリンは首を傾げるばかりだ。
「当時の魔研所長、僕の父親のオブシウスはその事故に巻き込まれて亡くなった。事故は転生召喚の最中に発生したらしい。――イヴリン嬢、君が持つ異世界での記憶というのはいつ頃覚醒した?」
「えっと、3歳の頃だったと思うわ」
「つまり事故の後だ。これは公にはされていないが……現場に召喚魔法の残滓があったことからも、術式は間違いなく完成していた」
事件当時、その被害は大々的に報じられたが、経緯についてはまともに情報公開されることはなかった。
熱心に事件について追っていたルベウスも、実際に事故現場に足を踏み入れることができたのは、魔研に所属してから何年も経ってからだった。
高揚した口調でルベウスが続ける。
「その証拠が君なんだよ、イヴリン嬢。僕の見立てでは、転生召喚の第一段階である魂を呼び出すことには成功したものの、第二段階である肉体の再現には失敗……というか、術の最中に事故が起こったんだよ」
「え? それってつまり……どういうこと?」
イヴリンは目を白黒させている。いまいち事態が飲み込めていないようだった。
「肉体から離れた魂はいずれ消滅――女神の御許へ還る、というのがこの世界の掟。それならば、異世界から呼び出された魂はどうなる? 肉体を得られず、還ることもできず、周囲に視認されることもない」
「貴方はそれが私だと言いたいのね」
満足げにルベウスが口角を上げて言った。
「転生召喚された君の魂は、何らかの理由によって幼き公爵令嬢に入り込んだ、と僕は推測している。二つの魂は融合……というか、乗っ取りに成功したようだね」
「の、乗っ取りですって? 私だって、好きでイヴリン・ノルンストになったわけじゃないのよ!?」
わなわなと震えるイヴリンは、今にも飛びかかってきそうな勢いだ。対峙するルベウスは手を上げてそれを制止する。
「この件で僕が知りたいのは、誰がどういった理由で、父の転生召喚を妨害したのか、ということだけ。魂の融合に関してはただの推測だし、特別に調査をしたわけではないよ」
「事件当時の記憶なんて私の中にはないわ。あの事故の後から、少しずつ前世の記憶が蘇ってきたんだから」
「ふむ。記憶がないなら、これから起こる未来はどうだ。コランダの話では、君はこの世界の行く末を知っているんだろう? 首謀者の予想なり何なり、思い当たるモノはないのかい」
コランダとイヴリンが暮らしていたという、異世界。彼らの世界では、この世界によく似た風景や人物が登場する創作物――乙女ゲームというものがあったらしい。
さすがのルベウスでも信じがたい話であったが、それを踏まえてイヴリンの言動を振り返ると納得のいく場面が多かった。何より、大真面目にコランダが繰り返し説明してくるもので、今となってはすっかり信じざるを得ない状況だ。
呆れたといわんばかりにイヴリンが首を振った。
「残念ながら、この世界の流れは既に私が知るものからは大きく変化しているの。そもそも、原作では魔研での事故なんて起こらないのよ? 勿論、その原因の一端は私が原作改変、死亡フラグ回避に奔走した影響でもあるわ。でも、それ以上に大きな――絶対的な力が作用しているんじゃないかって、最近になってヒシヒシと感じるのよ」
「つまり、魔研での事故はその絶対的な力とやらによって引き起こされた、と?」
ルベウスが悩ましげに言葉を紡ぐ。“死亡フラグ”が何なのかはわからないが、あまり興味もなかったので触れずに進むらしい。
その様子がおかしかったのか、今度はイヴリンが皮肉めいた口振りで、
「ただの推測よ? 何といっても、ここは剣と魔法の異世界なわけだし、神だの悪魔だのがフツーに存在している世界ですもの。でもね……これがもし原作本来の流れであれば、ルベウス――貴方こそが混乱の発端。とても危険な存在なのよ?」
と事もなげに答えて、微笑んだ。
「僕が危険な存在だって? 今、そう言ったのか?」
驚愕しながらも、ルベウスの頭の中では記憶のピースが繋がっていく。
一瞬だけ、イヴリンは表情を歪めた。イヴリンとしてもここまで話すつもりではなかったが、口にしてしまえば止められなかった。
「えぇ、言ったわね。原作での貴方は、最愛の妹の死を受け入れられなかった。そして……妹の姿をした、凶悪な悪魔を作り上げたのよ」
あぁ、そうなのか、とルベウスは思った。
それが、イヴリンが持っていたあの“ノート”にルベウスとサフィーアの名前があった理由なのか。
「馬鹿な、僕はそんなこと……」
反射的に否定の言葉が口から出てきたが、「していない」とは言い切れない。
神霊化という禁術で、妹の魂を繋ぎ止めていたこと。魔物を基にした人体を作り上げたこと。それらは事実だ。
なんだか目眩がしてくる。ルベウスは額に手を当ててうめき声を漏らした。
これまでの自分の行いについて、罪悪感を覚えたことはなかったし、後悔したこともない。
しかし、この令嬢だけは知っていたらしい。ルベウスが死者の蘇生を企み、その行為がやがて世界に混沌をもたらす……そんな未来があるということを。
「サフィが……悪魔に?」
「まぁ、これはあくまで原作での話よ。どういうわけか、今の貴方は私が知るルベウスとは大きく異なっているように見えるわ」
すまし顔でイヴリンはそう言ったが、実際のところルベウスがサフィーアの蘇生を試みたのは一度や二度ではなかった。
ルベウスにとって、知らない世界から知らない他人を喚び出すよりも、妹を蘇らせる方がよほど重要なことに思えたからだ。
とはいえ、結果は散々たるものだった。まるでサフィーアが拒むかのように、あらゆる実験はことごとく失敗した。
結局、ルベウスができることは一つ。転生召喚――それだけは、自分のためサフィーアのため、絶対に成功させなければならなかったのだ。
「そうね、思っていたほど危険人物ではなさそう。それが貴方に対する私の評価よ? でも、一つどうしても確かめたいことがあるの。――他でもない、サフィーアの最期についてよ」
そう言ったイヴリンの表情は、ひどく物憂げだった。
「なぜ、そこまでサフィを気にするんだ。君とは幼少時に会った程度の付き合いだろうに」
死して神霊と化し、コランダと混ざり合ってしまったサフィが、今になって何かの驚異になるとは思えない。
万が一、そんな事態になってしまったとしても、自分だけは上手く対処できるという自信がルベウスにはあった。
そんなルベウスの考えが透いて見えたのか、イヴリンは決まりが悪そうに顔を背けた。
「あの子を蘇らせると、その仮初の肉体が悪魔の依代になってしまうかもしれないのよ。そうならないように、不安の芽は早めに摘んでおきたかったの」
「くだらない。有り得ないね、そんなこと」
「あら、言い切ったわね。じゃあ、サフィーアを蘇生させるようなマネはしてないのね?」
「あぁ、サフィの蘇生“は”していない。というより、できなかったよ」
驚いたイヴリンが勢い良く顔を上げる。
「試みはしたけど、成功しなかったってこと? それはなぜ?」
「ククッ……君は知るわけもないだろうが、サフィにも僕にも、揺るぎない信念ってものがあってね。僕らはそれが合致する道を選んだんだ」
たとえイヴリンが最悪の結末を知っていようとも、それが現実になるとは限らない。
かつて、それぞれが悩み抜いて選んだ道は、決して間違ってはいなかったのだと、ルベウス自身がそう思いたかった。
「合致する道って――もしかして、それはコランダの転生召喚と何か関係があるの?」
眉をピクリと動かしてイヴリンが尋ねてくる。
さすが勘の良い娘だと、ルベウスは内心で独り言ちながら、短杖を懐から取り出す。
「おっと、僕としたことがお喋りが過ぎたようだ。今の発言は取り消しておこう。……君の記憶から、ね」
・
・
・
(うわぁぁぁ……どうしよ!?)
ルベウスの戻りが遅いから、様子を見に行こうとしただけなのに! すごい場面に遭遇してるー!?
「――――!?」
「――――??」
視線の先で繰り広げられるのは、イヴとルベウスの……絡みッ!!
今、まさに、壁ドン状態! 生・壁ドンッ!!
魔法障壁があるのか、二人の声は私には聞こえない。
でも見た感じ、あま~い雰囲気というよりも、険悪な雰囲気なんだよなぁ。
ってことは、つまりこれは……修羅場ッ!!
さっさと立ち去った方が良いのはわかるけど、もう少し見ていたい気もする!
でも、ルベウスは何をしでかすかわからないし、イヴの様子も穏やかではない。
ここは色々と危ない事態になる前に、私が仲裁しなければ!
普段通りの調子を心がけながら、二人に歩み寄っていく。
「あっれぇ~? 二人とも、こんなところで何してるの~?」
我ながら演技力は皆無。
でも、二人は私に気づいてくれたみたい。
その時のわずかな隙を見計らって、イヴがルベウスを突き飛ばした。強い。
「――コランダッ!」
「ぅわぉっ!」
走ってきたイヴに勢い良く飛びつかれて、一瞬息ができなかった。
ルベウスの方は地面にうずくまっている。イヴってば、手加減はしてくれた……よね?
まだ呼吸が荒いイヴを落ち着かせようと背中をさする。
「大丈夫? ルベウスと何かあったの?」
「ええっと……何も、ないよ!」
んなわけあるかーーーい!! と叫びたくなるのを我慢する。
明らかに普通ではない状況なのに、イヴは必死に首を振って質問を拒否している。
思わず私が苦笑すると、イヴも同じように苦笑した。
「コランダが心配するようなことには、なってないから……」
「そ、そう……? 怪我とかはない?」
「平気平気。それと、はい、これ。私、ここまで忘れ物を届けに来たの」
差し出されたのは一冊の本……ってこれ、私が教室に置き忘れてきたやつ!?
「えっ? あ、ありがとう!」
有無を言わさないイヴの気迫に押されて、とりあえず受け取ったものの、展開が早すぎて頭がついていけない。
それからイヴは床で伸びているルベウスをチラと見て、
「ごめんなさい。ルベウスの機嫌、損ねちゃったかもしれない。……でも、いつかは話さないといけないことだったから」
と寂しげに呟いた。
えーーーっと、全然話が見えてこないけど、私はわからない方がいいことなのかなーーー???
私は努めて神妙な顔をしながら、それっぽい感じで頷いた。
二人には、二人なりの事情があるんだろう……っていやいや、私だって気になるよーーー!!
「それじゃ私はこれで……」
心ここにあらずといった様子で、イヴが立ち去ろうとする。
私は慌てて声をかけた。
「待って、イヴ! あ、あのね……今度また、二人だけで話したいね!?」
イコール、時期を改めて説明をしろと、そういう好奇心がバレバレな発言っ!
イヴは険しい表情を少しだけ緩めて笑った。
「えぇ、私も同じ気持ちよ。また、二人きりで会いましょうね」
さすがは聖女と謳われる、聡明なご令嬢。すぐに私の意図を汲んでくれたみたい。
私が微笑んで肯定してみせると、スカートの裾を摘まんで優雅に一礼する。
しかし、優雅だったのはそこまで。その後は目にも留まらぬ猛ダッシュで姿を消してしまった。
は、速い! なんて逃げ足だ! 聡明さとスピードを兼ね備えた、異様過ぎる自称悪役令嬢だね、ホント……。
「それで……貴方は何をしてくれたのかしら?」
私は相変わらず床に寝転んだままのルベウスを眺めながら深い溜息をついた。
転生聖女×絶体絶命 有路 ちみどろ @chimi_doro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。転生聖女×絶体絶命の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます