第37話 抗う者たち1
教室の扉が開け放たれる。滞りなく授業は終わり、一人また一人と生徒が席を立っていく。
「それじゃ、私は先に戻ってるね!」
道具を入れた木箱を抱えるコランダは、いつも飾り気のない見習い神官服を着ていた。助手をしている時は、さらにその上に質素なエプロンまでつけている。
没個性的すぎる、華やかさなど微塵もない格好だ。しかし、事情を知るルベウスからすれば、コランダという異質な存在を覆い隠す、良くできたカモフラージュのようにも見えた。
コランダは空いた片手を左右に振って、教室から立ち去る。その姿が見えなくなったところで、ようやくルベウスも動き始める。
「ぼんやりとだけど、シャカイ人だった記憶がある」と話すコランダは、慣れない環境の中でも真面目に働いている。
ルベウスには、“シャカイ人”というものが何なのかはわからないが、きっと彼女の故郷――異世界に存在していた、勤勉な国民を指す言葉なのだろうと推測している。
以前、コランダからシャカイ人としての立ち振る舞い、というものを教わった。その内容といえば、挨拶がどうとか姿勢がどうとか……普段なら気にも留めない些末なものだった。
一応、貴族に身を置くルベウスは、幼少時に貴族としての礼儀作法を教え込まされた。しかし、彼にとって貴族の当たり前は窮屈で仕方がなく、それを強要する養父母についても内心では恨んでいた。
それでもコランダの話に耳を傾けたのは、純粋に異世界での話に興味があったからだ。結局、想像していたような情報は得られず、その時は時間を無駄にしたと思っていたが、最近になってコランダの助言の中には、少しは“使える”ものもあると気が付いた。
「アイトせんせ~! これ、私が作ったクッキーなんです。受け取ってくださ~い!」
いつの間にか女子生徒が数人、壇上に立つルベウスを取り囲んでいる。皆一様に瞳を輝かせ、ほんのり頬を上気させている。きっと、コランダが去ったのを見計らって駆けつけたのだろう。
ルベウスは眉をピクリと動かしたものの、努めて無表情を維持する。少し前までなら、嫌悪感を露わにしていたシチュエーションだが、ここでコランダの助言が活きる。
「……ありがたく、受け取るとするよ」
女子生徒の一人から差し出された小さな紙袋を、危険物でも触るように指先で摘まみ上げる。台詞とは真逆な、失礼極まりない動作だったが、女子生徒たちは嬉しそうにはしゃいでいて、全く気にしていないようだ。
『感謝は述べつつも、しっかり断ろう』……というのが、ルベウスに“囲い”や“貢ぎ物”が発生する状況について、見兼ねたコランダの最初の助言だった。
最初の数人はそれで大人しく身を引いていったが、めげないどころか猛然と乗り込んでくるような、パッションみなぎる女子生徒も何人か存在した。
案の定、すぐにルベウスは辟易して、授業後はすこぶる機嫌が悪くなった。そして、その八つ当たりが自分へ飛び火するのでは……と、危惧したコランダが次なる提案を打ち出した。
『心理的距離を詰めようとする人に対して、離れようとするのは逆効果なんだってさ。それなら一度、態度を軟化させてみるっていうのはどうかな』
物は試しと、実際にこうして受け取ったことが、吉と出るか凶と出るか。とりあえず、今は目の前に立ち塞がる面倒――女子生徒たちが去ってくれさえすれば、後のことはどうでもよかった。
そもそも、ルベウスは「受け取る」とは言ったが、「食べる」とは言っていない。性格上、良く知りもしない人物から貰った食べ物など、端から口にする気はないのだ。
「貴方たち、アイト先生が困っているわよ? こういう場面は引き際が綺麗でないといけないわ。アイト先生に良い印象を持たれるためにも、ね?」
力強く、穏やかな声がした。
ルベウスを含め、その場にいた全員が声の主を見ては目を丸くした。
「――イヴリン・ノルンスト嬢」
微笑みをたたえて一礼する女子生徒。新緑のような鮮やかな色の双眸が、真っ直ぐにルベウスを捉える。
彼女の凜とした立ち姿や所作は礼儀作法の手本そのもので、他の生徒とは明らかにオーラが違っていた。
そんな公爵令嬢から諭されてしまえば、誰もがそれに従って教室を去るしかない。女子生徒たちは軽く会釈をしてから、早足に離れていった。
予想外な人物の登場とまさかの助け船に、いまだルベウスは混乱していた。
何と返事をすればいいのか、考えあぐねているうちに、イヴリンが一直線に近寄ってくる。
「これ、助手のコランダさんが忘れていったのでしょうか」
イヴリンが差し出した一冊の本、それは授業で使用した資料だった。彼女の言う通り、コランダが置き忘れていったのだろう。
ここは有り難く受け取ろうとルベウスは腕を伸ばしたが、空しく宙を掴んだ。一度は差し出した本をイヴリンが取り上げたのだ。
……一体、何を考えている? 立場も忘れてルベウスが睨む。それすらはね除けるように、イヴリンは不敵に笑った。
「私がお持ちいたしますわ、アイト先生」
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ルベウスが目指す準備室は、普段生徒たちが授業を受ける場所とは別の棟にあった。特に用事がなければ、生徒の出入りはできない。
その準備室に辿り着く前に、何気ない日常の一コマを演じながら、ぽつりぽつりと探り合うように言葉を交わす。
「本当に、お久しぶりですね。こうして二人でお話しするのは、誕生日パーティ以来でしょうか」
「……えぇ、よく覚えておいでですね」
これは、互いに待ち望んでいた邂逅だった。緊張を悟られないように、周囲に不審に思われないように、普段通りの態度を心がける。
「公爵家の娘とはいえ、私にかしこまった態度は不要です。ここでは、先生に教えを請う一介の生徒ですから」
イヴリンは非の打ち所のない貴族令嬢でありながら、一風変わっていることでも有名な人物だ。
それは、彼女について調べ続けていたルベウスもよく知るところだった。
魔法学園では地位や出自に関わらず、国中から強い魔力を持った生徒が集まる。
『学業に身分は存在しない』という教育理念を掲げてはいるが、現実はそんなに優しいものではない。
身分が引き起こす、生徒同士のいざこざは日常茶飯事で、生徒による自治的組織――生徒会も苦心している、永遠の課題だった。
生徒たちは魔法の他にも、身分に振り回されずに済む立ち回り方、器用さを学ぶはめになるのだ。
そして、身分にまつわる問題は、生徒間だけではない。生徒と教師の間であっても、それが原因で不和が生じることは珍しくない。
その点、イヴリンは完璧だった。彼女は爵位を振りかざす横柄な貴族ではなく、生徒としても授業態度は良好という、魔法学園では稀有な存在だ。
「誕生日パーティ……あの時は私とアイト先生と、サフィーア様も一緒でしたよね。――あの、その後、サフィーア様は……」
イヴリンは決まりが悪そうに語尾を濁らせた。話題が話題だけに、気を遣っているのだろう。ルベウスにもそれが理解できたので、一呼吸置いて静かに答える。
「あのパーティから二年後、病で死んだよ。サフィーアも母親に似て、身体も丈夫な方ではなかったからね」
とても平坦な声だった。そこに怒りや悲しみといった、強い負の感情が潜んでいる様子はない。
それは、ゲームキャラクターとしてのルベウス知るイヴリンにとって、奇妙な姿に見えた。
イヴリンは思案していた。
悲劇の始まり――まだ幼かったサフィーアの訃報については、貴族間の噂話で耳にしていた。
ゲームの知識を持ってしたところで、全てを思い通りに変化させられるわけはない。頭では理解していても、やはり歯がゆい。
「幸か不幸か、あの出会いをきっかけに、妹は巫女の力に目覚めたんだ。それから病床に伏せるまで、その力を使って懸命に生きたよ。まるで自分の命が尽きることを知っていたかのようにね」
「そうでしたか……」
巫女の力と魔力は別物だ。ゲーム中、その力を持っていると明言されていたのは、女神教会の巫女だけだった。
それに、ルベウスは随分と冷静だ。妹の話題となるとどうしても感情的になってしまう……そう予想していただけに、この反応はイヴリンを驚かせた。
何かが……いや、全てがおかしい。ルベウス・アイトというキャラクターは、もっと“狂った”人物だったはずだ。それこそ、教師になんてなれるはずがないくらいに。
――ゲーム通りの設定であれば、ルベウスの妹のサフィーアは、歪な過程を経て密かに存在している。
と言っても、サフィーアの肉体は既に失われていて、人格も消滅している。それでも、ルベウスの執念によって、魂だけを現世に無理矢理繋ぎ止められていた。
その狂気は破滅を呼び込む。やがて、ルベウスはサフィーアを蘇生しよう画策、成功する。魔物を利用して作った身体に、サフィーア“だった”壊れた魂を組み込んだのだ。
しかし、本当の問題はその先にあった。姿形こそサフィーアであっても、そこには人格というものが宿っていなかった。つまり、物言わぬ人形が出来上がったのだ。
結局、それは体の良い容れ物として、実体を持てない悪魔にとって格好の餌食となってしまう。凶暴な悪魔に乗っ取られたサフィーアは、ルベウスを以ってしても制御不能になり……ついには世界に仇なす存在、所謂ラスボスに転じる。
要するにルベウスというキャラは、最愛の妹を蘇らせようとして、最悪の悪魔を呼び出してしまった……という、愚かで悲しい“黒幕”キャラでなのである。
こういった事情や経緯が明かされるのは、ゲーム内でもキチンとイベントをこなした場合、終盤になってからだ。
前世、イベントやスチルを全て回収していたおかげで、神にも近い“予知”ができたイヴリンは、ルベウスの企みにも速やかに対処できると思っていたのだが――
何食わぬ顔で歩きながら、イヴリンはルベウスの反応を窺ってみる。聞かれたことには答えるが、不思議とルベウスから何かを尋ねてくる気配はない。
徐々に生徒の姿は減り、目的地に近付いていることがわかる。二人の硬い足音だけが、どこか白々しく響く。
このままでは何の成果も得られずに、会話が終わってしまう。焦っていても態度は冷静に、イヴリンは話題を探す。
「前々から気になっていたのですが……アイト先生はコランダさんとどういう間柄なんでしょうか。ちょっと、変わった組み合わせですよね」
イヴリンにとって、ルベウス以上に不可解な存在なのが、コランダだった。彼女についての謎は多いが、主人公ということは間違いないだろう。
それならまずは、コランダとルベウスの関係性を探りたい。主人公と黒幕が一緒にいるというのは、あまり良い状況には思えないからだ。
しかし、何ともありきたりな質問だ。やれやれと首を振ってルベウスが答える。
「ククッ……コランダについて聞きたがる生徒は、君以外にもいるんだよねぇ。何が気になるんだか。――コランダは孤児院の出身だ。最近になってオンファロス女神教会の巫女に引き取られて、その巫女様直々の要請によって僕の助手を務めることになったんだ」
それから、ニヤリと不気味に口角を歪めた。
「……というように、普段は説明している。けれど、本当に君が聞きたいのはそんなことじゃない」
ギョッとしたイヴリンが足を止める。内心を言い当てられたことに、動揺を隠せない。
「そ、それはどういう意味でしょう」
「わかるだろう? こういう、回りくどい遣り取りは止めようじゃないか、と提案してるんだよ」
白衣を翻し、壁に寄りかかるルベウス。その眼鏡の奥に潜む燃える赤が二つ、イヴリンを責めるように射る。
「――君は、僕の何を知っている?」
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