第33話 揺れる面影1

 私は息を吐いて、小ぶりなマグカップに入った黒く香ばしい飲料――つまり、熱々の珈琲を冷ます。

 今は学園の昼休み中。いつもなら食堂でご飯を食べたり、講義のない日は教会に帰ったりしているのだけど、今日はルベウスの準備室に来ている。

 初めてこの準備室に足を踏み入れた時に比べれば随分と物が減った。ルベウスが事務作業をするテーブルの他に、こじんまりとしたダイニングセットも設置されていたりして、意外に快適な空間ね。少なくとも、魔研にある閉鎖的なルベウスの研究室よりも過ごしやすい。

 私はその椅子に座り、持参した軽食を頬張った。料理が得意というわけでもないけど、たまに教会にある厨房を借りて弁当などを作っている。……こっちの世界でも冷凍食品があれば、もっと色々と簡単に作れるのになぁ。


「それで、どうだったんだい? ノルンスト家へのお呼ばれは」

 私の向かいの席に座ったルベウスが珈琲を啜ってから話しかけてくる。

 昼食を終えてぼんやりとサイフォンを眺めていた私は、それから視線を動かすことなく「うーん」と短く唸った。

「すごく豪華なお屋敷で、出てきたお菓子がどれも美味しかった!」

「…………」

「……冗談だから、そんなしかめっ面しないでよ」

 別に嘘を言ったわけじゃないのに、ルベウスからの圧がすごい。

 私は先日の出来事、イヴリン嬢とお茶会をした際の顛末をルベウスに語った。


「やはり、僕の推測は概ね当たっていたということかな」

 この世界は前世で存在していた乙女ゲームの世界。イヴリン嬢は私と同じく転生者で、ゲームの中では主人公を虐める悪役。で、その主人公というのが、私。

 その事実を思い出すとまた溜息が出てしまう。はぁ~……主人公ならチート級特殊能力か、前世での技術を生かして……所謂、主人公補正の一つや二つあってもいいんじゃない?

 今のところ、自分が主人公だとわかる前と後と、何ら状況は好転していない。ただし、見目麗しい方々が妙に多いのは納得できた。

「でも、同じ転生者でも私とは転生方法が違うみたいだし、彼女自身は破魔の力は持っていないと言ってたよ」

 この世界のルールに則っているなら、異世界からの転生者には女神の祝福――破魔の力が与えられる、らしい。

 かくいう私も「見よ、これが破魔の力だ!」と周囲にアピールできるわけではないので、曖昧なことしか言えないのがもどかしい。


「聞けばイヴリン嬢は“転生”したのではなく、“前世の記憶を思い出した”という感じだ。記憶を思い出しただけでなく、それを発端に意識も変わっていったというのは、もはや人格の“乗っ取り”とも呼べる。問題は一体どうやって、ということ。彼女はその点については何と?」

「たしか、イヴリン嬢は3歳の頃に前世の記憶が蘇ったそうで、同時期には魔研で大きな事故があったんだとか。その事故で亡くなった所長さんが、原作ゲーム通りのシナリオなら、私の転生召喚を行う人だったはずで………ん?」

 喋りながらある事を思い出した。オミナさんから聞いた、ルベウスの両親の話。

 彼の母親は流行病で、父親は事故で亡くなっている。もしかして、それって……。

「あぁ、言っていなかったっけ。事故に巻き込まれた当時の王立魔法研究所長は、僕の父、オブシウス・アイトだ」

 そう言ったルベウスは平然と珈琲を飲んでいるように見えて、眼鏡が湯気で曇っている。

 不機嫌そうに眼鏡を外すと、艶やかな黒髪がはらりと崩れて目元にかかった。

 黒髪といっても毛先は赤く、その髪を耳にかける仕草は、女である私よりもずっと色っぽく見えるから困りもの。

 ミステリアスな風貌に虜になる生徒がいるのも理解できるけど、私は一番近くで行動する助手(手駒とも言う)という立場上、とにかく変に気を取られないよう注意しながら付き合っている。

 ……それでも、たまーに心臓に悪い瞬間があったりして。私は俯いて珈琲を口に含んだ。


「僕は以前からイヴリン嬢の転生と父の死は繋がっているんじゃないかと睨んでいてね。個人的に彼女について色々と調べていたんだ。……けれど、調べれば調べるほど、彼女の行動は突拍子もないものばかりだった。それもそのはず、彼女はこの世界の理を越えた存在なのだから」

 ルベウスはククッと忍び笑いをする。この笑い方は彼の癖なんだろうけど、あらぬ誤解を招きやすく、いかにも裏がありそうな演出に一役買ってしまう気がする。

「そこで君を利用させて貰ったのさ。オミナやサフィは世のため人のため、君が持つという破魔の力を求めていたが、僕が転生召喚を行ったのはそれだけが理由じゃあない。僕が求めたのは、彼女と同じくこの世界の理に縛られない特別な魂――転生者にしか知り得ない情報を引き出すための、新たな協力者だ。事実、君は僕の予想以上に良く働いてくれている。君がいなければここまでの確証は得られなかった。その点では感謝しているよ」

「うぇっ!?……えーと、こちらこそ、どうもありがとう」

 このタイミングでルベウスに感謝されるなんて予想していなかった。

 しかも驚くべきことに、ルベウスがいつもの小馬鹿にしたような笑みではなく、ごく自然に――柔らかく微笑んでいたのだ。

 それは一瞬のことで、私が呆けているうちにいつもの様子に戻っていた。

 色々な意味で……心臓に悪い。


 怖い目にも遭ったけど、彼がいなければ私はこの世界で生を受けることはなかったのだから、ルベウスのことは命の恩人の一人だと思っている。

 ルベウスの他には、オミナさんとサフィーア。この二人は巫女として女神の声を聞き、「世界を救いたい」という切なる願いから、私の転生召喚を手伝ったのだ。

 しかし、ルベウスは違う。下心を持つな、無垢な善意しか信用できない……というわけじゃないけれど、ずっと彼の真意をはかりかねていた。

 常に輪郭がぼやけているような人物像に思えて、言葉を交わしても素直に飲み込めず、あまり良い関係とは言えなかった。

 それが最近は態度が軟化したというか、私のことも普通の人間扱いしてくれるようになったというか。……まぁ、前が酷すぎただけか。

 助手兼生徒として学園に来たことで、隣に立つ場面が多くなったのも関係しているのかも。以前なら亡きサフィーアの想いを無駄にしない為に、と踏ん張っていたものの、最近になってようやくルベウスの為にも頑張りたいと思えるようになってきたり、ね。


 そこで不意に思い出されるのは、イヴリン嬢が言っていた「ルベウスは信用できない」という台詞。

 たしかに、ルベウスはイヴリン嬢とはまた違った悪役オーラが漂ってるし、本人も周囲に好印象を与えようとする気はさらさらないみたいだから、「信用できない」と言われても仕方がないよね。

 でも、原作ゲームのシナリオを知る彼女がわざわざ忠告してくるということは、よほど重要な案件だから……?

 わからない。わからないからといって、ルベウスから距離を置くのも何か違う気がして、私は首を振って脳裏に浮かんだ暗い想像を散らした。



 その後も話し合いをして、引き続き自分の出自は内密にしつつ、イヴリン嬢の行動を監視するという今後の方針を決めた。

 空になったマグカップをテーブルに置いて、私が一息ついたところでルベウスが躊躇いがちに切り出した。

「まだ、完全に信じたわけじゃないがね。あれからサフィの夢を見たり、意識が同化することはないのかい?」

「今のところはないなぁ。あの時はどうしてあんな夢を見たのかもサッパリで。何度か心の中に――サフィーアに呼び掛けてみたことがあるけど、自分の中に呼び掛けるなんて変な感じがしただけだったよ」

 タハハ、と私は力なく笑った。

 すると、ルベウスは思い詰めたような表情で、テーブル上に投げ出していた私の手のひらに自身の手のひらをふわりと重ねた。

 そのすがるような眼差しは、私の心臓どころか身体中をビリリと痺れさせる。

「もし……もしも、君の中にサフィの意識が残っているというのなら、伝えたいことが山ほどある。僕は今も後悔しているんだ。サフィを助けられなかったこと――」

「……わっ!?」

 突然銀の腕輪が震えたかと思えば、まるで見えない糸で引っ張られたように私の腕が勝手に持ち上がり、ルベウスの手をはね除けた。


 あっという間の出来事に呆然としながらも、私はすぐに理解していた。

 今の動作は私の意思ではない。ということは、もう一人の意思――サフィーアによるもの。

 それがルベウスに対する反応だとしたら、明らかな拒絶反応だ。


(あわわわ……どうしよう!?)

 私は振り上げた片手をそのままに、恐る恐るルベウスの様子を確認した。

 ルベウスは目を丸くして固まっている。もしかしたら、ルベウスには単に私が驚きのあまりとった行動だと思われたのかもしれない。

 それはそれで訂正したいけど、今のがサフィーアの意思という事情も言い出しにくいし……言っても信じてもらえるかどうか。

「――ご、ごめんっ!」

 いたたまれなくなった私は、とにかく逃げるように準備室を出るしかなかった。



「あーーー……驚いた」

 胸が苦しい。緊張と恥ずかしさと、無駄に走ったせいで。


 ルベウスは私を通して、亡きサフィーアの面影を探している。

 私だって、サフィーアと言葉を交わせるのなら、色々と聞きたいことがある。けど、彼女と会話することはできないみたい。

 その代わり、言葉ではなく行動で返事をされたわけで、サフィーアの意識はたしかに残っているんだ。


 それにしても、ルベウスには悪いことをしてしまった。

 慌てて出てきたから、どう思われたか今更ながら少し心配。

 でも、さすがにさっきの行動はビックリした。私だったから何とか堪えられたものの、あどけない女子生徒だったら卒倒してたかもしれない。


 火照る頬をぱたぱたと片手で扇ぎ、呼吸を整えるために近くのベンチに腰掛けた。

 魔法学園の敷地面積は広く、複数の建物があるので、中庭や渡り廊下も多く見掛ける。

 聞くところによると緑豊かな庭園もあるらしく、私はまだまだ全貌が把握できていない。

 現在私がいる場所は教室のある棟から少し離れていて、生徒が多く通るような場所ではないと思っていたのだけど……どういうわけか、今回はそうではなかったみたい。


「あら? ……もしかして、コランダさん!?」

 イヴリン嬢だ。どうしてこんなところに?

 反射的に砕けた口調で返事をしようとして、彼女の後ろに人影が見えたのでぐっと飲み込んだ。

 イヴリン嬢の振る舞いから察するに、今は人目を憚る淑女モードらしい。驚いた様子ながら、その声には喜びの色が滲んでいる。

「イヴリン様、ご機嫌麗しゅう。道にでも迷いましたか?」

 返事をする前に、一礼。イヴリン嬢は一緒に行動していたらしい生徒たちをその場で待たせて、こちらへ駆け寄ってきた。

「えぇ、そんなところね。この学園って広いでしょ? 授業のない時間、たまに散歩しているの」

 周りにはどこほっつき歩いてんだって言われるけど、といたずらっぽく微笑んだ。

 彼女が言う周りとは、きっとニビル王子やユギト様やその妹様のことだろう。う~ん……ノーブル!


「今日はコランダさんは一人なのね。いつも一緒にいる男子生徒は?」

「男子生徒……と言うと、フロウ・トリスタラのことですか? 彼とはここでよく会ったりしてますけど」

 バタバタ走ってきたせいで忘れかけていたけど、この場所ではフロウとよく会う。

 私は魔具――共鳴書というものを持っていないので、誰かと連絡を取ったり送ったりする方法がない。

 でもどういうわけか、別に示し合わせたわけでもないのに、ここが何となく待ち合わせ場所になったりしている。

「フロウ・トリスタラ、ねぇ。トリスタラ、トリスタラ……? 思い出せないわ。でも、誰かに似ているような……でも、誰だったか……」

 そんな話を簡単にイヴリン嬢に伝えると、彼女の朗らかな表情が訝しげなものに変わった。声のトーンを落とし、口調に素が出ている。

 私としては誰がゲームに出てた人で、ゲーム通りの行動をするか、なんてのはあまり関心がない。というか、ゲーム知識を持ち合わせていないので、わかるはずもなかった。


「ねぇ、コランダさんとフロウ君って、どういう関係なのかしら? ――あ!? もももしかして、おっ、お付き、合いを!?」

 どういう思考でそこに辿り着いたのか、イヴリン嬢は一人で顔を赤らめて慌てはじめた。

 少し離れた場所にいた生徒たちがソワソワとこちらを見つめている。これには私の方が慌ててしまう。いえいえ、私のせいじゃないですからー!?

 私は冷静を装いながらイヴリン嬢の手を取り、諭すようにゆっくり語りかけた。

「イヴリン様、とりあえず落ち着いてください。――フロウ君は私の良き友人です。恋人なんて大それた間柄ではありませんが、私の数少ない心を許せる相手なんですよ」

「そ、そう……それは、安心したわ……って言っていいのかしら」

「えぇ、イヴリン嬢が想像しているような関係ではありません」

 納得したらしいイヴリン嬢が胸をなで下ろす。それを見て私も小さく溜息をつく。

 彼女は彼女なりに私のことを心配してくれているのはわかる。でも、噂通り猪突猛進というか、突然スイッチが入るというか。

 それがどうにも危なっかしくて、ニビル王子やユギト様を含めて、常に彼女の周りに生徒たちがいるのは、彼女のストッパー代わりなんじゃ? と、私は内心で独り言ちた。


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