第32話 主人公2

 イヴリン嬢は扉を閉じてから、そこにお札のようなものを貼り付けた。「防音対策よ。念には念を、ね」

 そう言っていたずらっぽく笑み、先に座っていた私の向かいの席に腰掛けた。

 テーブルに置かれた三段のトレイには、見るも鮮やかなお菓子がいくつも乗っている。紅茶が入ったポットもあり、ふんわりと甘い香りが漂う。

 見たことのない果物や変わった形のクッキーとか、とにかく色んな種類のお菓子がある。


「貴方のために用意したのよ。どうぞ召し上がって?」

 うっ……私、そんなに物欲しそうに眺めてたのかしら? ちょっと恥ずかしい。

 イヴリン嬢は手際よく紅茶を煎れて勧めてくれる。勝手に肩肘張ってただけとはいえ拍子抜けしてしまう。

 イヴリン嬢の部屋は私の部屋の三倍、もしかしたらそれ以上の広さで、本棚には魔法に関するものや歴史についての書物が多く見える。

 学園での成績も上位だと聞くし、まさに才色兼備なお嬢様よね。


「えぇと、今日はお招きいただきありがとうございます……」

 いきなり本題に入るのも気が引けるので、まずは当たり障りのない切り口でいこう。

 四角に切り分けたショートケーキ、そこに乗った大きな苺をフォークで一刺し。そのまま苺だけをパクリと食べてイヴリン嬢は微笑んだ。

「んもー、今はそういうのナシ! 身分がどうとかそういうの気にしないで、楽にしてくれていいから」

 軽い調子で喋るイヴリン嬢は、紅茶とお菓子を交互に口にしている。中々の食べっぷりだなぁ。

 私も彼女の言うとおり、ひとまず目の前のお菓子をいただくことにした。

(おぉ……新食感!)

 手に取ったのは謎の果物のタルト。見た目もさることながら、味も不思議な果物ね。

 その後、私たちは学園でのことなど他愛ない会話をして緊張をほぐしていった。



 お互いを敬称なしで呼び合えるくらいに打ち解けてきたところで、イヴが持っていたカップを置いた。

「――そろそろ本題に入りましょうか。既に気づいているかもしれないけど、この世界はね……ゲームの世界なの」

 イヴは世界の元になっているというゲームの詳細を教えてくれた。

 ある程度のことはルベウスからの情報で心得ていたつもりだけど、初めて知ることも多かった。


 この世界の原作とでも言うべきか、女性向け恋愛ゲーム“アルティメール ~聖女の祈りは誰が為~”

 ゲームの主人公は前世の記憶を持ったまま異世界転生した少女。転生者だけが持つという女神から授かりし力――破魔の力によって世界を救うために、彼女は異世界に召喚されたのだ。

 主人公は破魔の力を覚醒させるべく学園の生徒として過ごすことになり、そこで出会った見目麗しい男性と交流を深める。

 そして最後は彼らの協力を得て、諸悪の根源である悪魔の親玉を倒す……というのが物語のあらまし。

 シリアスな世界観や丁寧な描写、魅力的な攻略キャラで、乙女ゲーマーたちの中ではかなりの人気作だったのだという。


 うーーーん……ゲームの話を聞けば聞くほど、今の私の境遇そのものすぎてツラい。

 ところどころ、個人的な見所や推しキャラについてイヴが熱く語ってくれたのだけど、情報量が多すぎて私には理解しきれなかった。

 ゲームについて話すときだけ、いきなり別人のように早口で喋り出すって……彼女、オタクね。いや、それは一向に構わないけど、私が相づちを打つ暇すら与えてくれない!


 イヴが教えてくれた攻略キャラについては、知っている人物の名前がいくつか挙がった。

 ルサジーオ国の王子様、イグニビル・ルサ・メソテース。銀の貴公子、ユギト・ウーシア――彼らが乙女ゲーのキャラだと言われると、驚きよりも納得が上回る。たしかに、そんな気はしてたよ。

 他にも何人か名前を聞いたけど、どれも記憶にないので今のところ接点もないみたい。とりあえず一安心、かな?



「どうして私がそんなことを知っているかというとね、私も“転生者”なのよ。でも、主人公――貴方のように破魔の力は持っていないわ。一応、イヴリン・ノルンストもゲームの登場キャラでね。あの手この手で主人公を虐げる、高飛車で狡猾なお嬢様キャラよ。ゲームの終盤では主人公たちに断罪されて処刑さたり、ルートによっては妖魔に殺されてしまう……自ら死亡フラグを立てていくタイプの、哀れな悪役令嬢ね」

 そこまで言ったところでイヴは紅茶で喉を潤した。

 今の様子を見ている限り、イヴが悪役だなんてとても思えない。

 それにやっぱりというか、彼女は私が破魔聖女であることを知っているのね。それなら今すぐにでも破魔の力を目覚めさせる方法を教えてほしいものだけど、その点はゲーム内でも深く掘下げられていなかったのだという。な、なぜに……。


「前世の記憶が戻ったのは、私が三歳の時。ここが私がやりこんだ乙女ゲーの世界で、しかも私は悪役に生まれ変わっただなんて最初は信じられなかったわ。でも、ゲームに関する記憶をノートに書き綴った後、それを元にゲームの情報と現実の情報を照らし合わせてみたりして……結局、認めざるを得なかったのよね。それから私は自分の死亡フラグ回避に奔走して、今に至るってわけ」

 アハハ、とイヴが力なく笑った。それ以上は語ろうとしなかったものの、私よりも長く異世界で生きている彼女には、彼女なりの苦悩があったのだろう。

 それにしても、悪役令嬢……ねぇ。前世でも見聞きした覚えがある。彼女はキリリとした美人さんだし、高飛車令嬢だとしたらかなりのハマり役だと思うけどね。


「でも、ゲームとは違うこともあったわよ。ゲームの冒頭、立ち絵もなくて文字でしか出てこないんだけど……転生者、貴方を召喚するのは魔研の所長さんなのよ。ところがその所長さん、この世界では既に亡くなっていたの。たしか、前世の記憶が戻った時と同時期かしらね、魔研で大きな事故があったそうよ。――ねぇ、コランダ、貴方はどうやってこの世界に転生したのかしら? この国ではもうずっと転生召喚が行われていないのに……不思議でたまらないのよ」

 腕を組んで私を見つめるイヴの緑の瞳は、いつになく妖しく輝いている。私の心を見透かそうとしているような鋭い視線に、思わず身じろぎしてしまう。

「うぐっ、それは……アレが、アレでして……」

 ここで正直に「ルベウスが非合法な方法で転生召喚を行ったんです~」とは言えないし、言ってはいけない気がする。

 ルベウスだけじゃなくオミナさんまで立場が危うくなってしまうし、同じ転生者とはいえ、極秘中の極秘案件を勝手にバラすわけにはいかない。

 私はしどろもどろになりながらも「魔研にて極秘で転生召喚が進められていた」ということでイヴをひたすら説得した。

 別に間違ったことは言っていない。ただ、その首謀者がルベウスであることは明かさないだけで。

 イヴは納得していないみたいだけど、それ以上の追求はしてこなかった。聡い彼女のことだから、ルベウスが一枚噛んでいることには気づいていそうだけど。



 それから、私たちはゲームや学園での話だけではなく、前世での思い出を語り合った。

 こういった話ができるのは転生者だからこそ。故郷から遠く離れた場所で同郷の人と出会ったような、ひどく懐かしい気持ちで心が満たされる。

 時折、しんみりしてしまう場面もあったけど、終始和やかな雰囲気で時間が過ぎていった。


 聞けばイヴの前世は女子高校生だったそうだ。彼女は私と違って前世の記憶が鮮明に残っていて、少しだけうらやましい。

 あまり踏み込んだ質問をすると墓穴を掘りそうなので口にはしないけど、私のように転生召喚が行われたわけでもないのに、突然前世の記憶が蘇る……転生者だと自覚するなんてあり得るものなのかしら。

 ルベウスもイヴの転生方法については気にかかっていたみたいだし、帰ったらちゃんと報告しておかないとなぁ。


 イヴが煎れてくれた紫色の紅茶を見つめながら、私はポツリと呟いた。

「やっぱり主人公、なのかな? 私って」

 私もこの異世界には違和感があったこと、イヴが同じ転生者なのではないかと感じていたことなどを伝えた。

 イヴは片手にフォークを持ったまま、うーんと低く唸った。

「乙女ゲーの主人公は貴方、それは間違いないでしょうね。貴方が現れたことで、ゲームでのイベントと同じ出来事が起こったから」

 おそらく彼女が言っているのは、路地裏での出来事だろう。あの時はニビル王子が駆けつける前にイヴが強盗を倒してしまったんだっけ。

「アレはね、花雨祭のパレードで警備任務中のユギトと、お忍びで街に来ていたニビルと出会うイベントだったのよ。つい、我慢できなくて私が手を下してしまったけど……」

「なるほどねぇ。でも、あの時助けてくれたこと、本当に感謝しているよ。イヴが来てくれなかったらどうなっていたか……想像したくないや」

 彼女は自分を悪役だというけど、それはあくまでゲームの中での話。この世界のイヴリン・ノルンストは心優しい公爵令嬢なのだ。私だって主人公だと言われても、身の振り方を変えようとは思わないし。

 それに、乙女ゲーの主人公が私でも、見方を変えてこれが悪役令嬢モノならイヴが主人公だよね。

 それを彼女に伝えると、驚きながらも照れたように片手で頬を覆った。普段は気品ある令嬢として振る舞っているけど、ふとした瞬間にあどけない可憐さが顔をのぞかせるのよね。

「たしかにそうかもね。――私、このゲームの中で一番好きなキャラが主人公なの。攻略キャラもみんな格好いいけど、それ以上に主人公が格好良くて可愛くてね! 貴方に会えたのが本当に嬉しいの!」

 気持ちが高ぶってきたのか身を乗り出して喋り出すイヴリン嬢を、私は生暖かい目で見守る。

 同郷の縁以前に、彼女にとって私は憧れの存在になっているみたい。いやいや、私はそんな崇高な存在じゃないですよ。


「それにしても、初めて貴方を見た時はとても驚いたわ。ゲームでは主人公の立ち絵はなかったけど、たまにスチルに映った絵だと、もっとこう……日本人っぽい容姿だったのに。名前だってデフォルトだと普通の……。あぁ、やっぱり転生召喚の儀の際に何か……?」

「あ、あぁ!! そういえば! 新しく街にできたドーナツ屋さん、知ってる!? 一度行ったんだけど、今度はイヴと一緒に行きたいなぁ!」

 先程までの勢いはどこへやら、またもやイヴが一人で考え込んでしまいそうになるので、私は必死で話題をそらした。

 容姿の変化やコランダという名前については私も知るところではない。むしろ、私が知りたいくらいだ。

「――ドーナツ屋さん!? コランダと一緒に? 行く! 行きますわっ!!」

 ここでいらぬ詮索をされても気まずいので、適当に思いついたことを口走ったら、思いのほかイヴが食いついてきた。ちょっと引くぞ!


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「また遊びに来てね、約束よ?」

「その前にドーナツ屋さんに行かないとでしょ?」

「そうね、それも楽しみだわ!」

 イヴはニコニコと眩しい笑顔で私をお屋敷から見送ってくれた。

 学園で顔を合わせる時は、こんな風に砕けた調子で喋ったりすることはできない。寂しいけど仕方ないよね。

 去り際に共鳴書シンパシースクロールの交感を熱望されたけど、そもそも私は共鳴書なんて持っていない。

 私がそう言うとイヴからは猛烈に驚かれてしまった。前世でいうと「スマホ持ってない」くらいの驚かれ方だ。


 来た時と同じように帰りもまたノルンスト家の馬車に揺られ、穏やかな夕日に照らされながら女神教会までたどり着いた。

「あ~……喋り疲れた! ルベウスへの報告は今度にしよう」

 お洒落なイヴの部屋とは打って変わって、殺風景な自室のベッドに倒れ込んだ私は深い溜息をついた。


 転生者転生者、と呟いて天井を見つめる。

 私と、イヴ……同じ転生者だというのに、何もかもが違う。

 私には彼女にも言えない秘密があるけど、それは彼女も同じ気がする。きっと、お互いに手の内は完全には明かしていない。

 悪意がないのはわかる。でも、イヴは自分の死亡フラグ回避とは別の目的があって行動してるように見えるのよね。


 私からは彼女の死亡フラグ――要は攻略キャラたちとの親睦は十分に深まっているように見えるんだけど、彼女自身は彼らからの好意にさっぱり気づいていないみたい。そんな鈍感なところも主人公っぽいのにな。

「よし! 考えるのはやめ! もう寝よ寝よ!」

 さっさと余所行きの服を脱ぎ捨て寝間着に着替えた私は、夕食も食べずに布団を頭から被った。

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