第31話 主人公1
午前中のうちに学園での業務兼授業を終えて、私は一人で女神教会に戻った。
女神教会にはどこかで見たようなメイドさんがオミナさんと談笑していた。
「コランダ! 貴方を待っていたのよ!」
私の姿を見つけたオミナさんは手招きをして、隣のメイドさんは折り目正しく一礼をした。
「どうかしたんですか? ……貴方は、えーっと」
小走りで二人に近付いて一礼を返す。頭を上げてからメイドさんに見覚えがある理由がわかった。
「コランダ様、初めまして。私はイヴリン・ノルンスト様付のメイド、ダフネ・トレジアと申します」
そうそう、ノルンスト家のメイドさんね。たしかイヴリン嬢の通学用馬車の近くにいた場面を目にしたことがある。
でも、そのメイドさんがどうしてここに? 私が首を傾げていると、オミナさんが経緯を説明してくれた。
「イヴリン様が貴方を屋敷に招きたいそうよ。ダフネはそのお使いでここに来たの」
「えぇ、いつぞや、そんな約束をしたような……?」
イヴリン嬢ってば、学園の中庭での話をちゃんと覚えていたのね~!
以来、学園内でイヴリン嬢とはまともに会話できていなかったので、自然消滅してしまったのかと思っていた。
イヴリン様がいかに気さくな方であろうと、高貴な位の人であることは変わらない。
異世界から来たとはいえ、周りに世間知らずだと思われるのは避けたいので、自分からイヴリン嬢に話しかける……なんてことはせず、努めて地味な学園生活を送っていた。
実はイヴリン嬢から熱視線を向けられていることには何度か気づいたのだけど、彼女の周りにはニビル王子を筆頭に高貴な方々が絶えず取り巻いている。銀の貴公子ことユギト様や、その妹のミレイ様等々、それぞれにファンクラブのようなものが存在していると耳にしてしまい、ますます近寄りがたい雰囲気に。
イヴリン嬢も私に気を遣ってくれているのか、取り巻きガードを突破してまで話しかけてくることはなかった。
一方で同じ生徒でもフロウとは気兼ねなく交流をしている。彼と話すのは緊張しない……と言ったら失礼だけど、落ち着いて会話ができて、情報収集までできるのは大変有り難い。
彼は学園の寮で生活しているそうで、街についての話題も豊富だ。主に新しいお店ができたとか、特売日はいつだとか、庶民的な事柄が多いのだけど。
着実にこの世界にも慣れてきた今日この頃。あらゆるものに驚いていた当初よりも、だいぶ耐性がついたはず。
しかし、先日ルベウスから見せられたイヴリン嬢のメモには度肝を抜かれた。そこには私の存在意義に関わる重大な――乙女ゲーのあらすじが書いてあったのだ。
たしか、“アルティメール ~聖女の祈りは誰が為~”だったっけ? もしかしたら私がそのゲームの主人公かもしれないだなんて、とてもじゃないけど信じられない。せめて、端役のモブだったらわかるけど、ねぇ。
「私がここに来たのはお嬢様のご指示でもあり、私の意思でもあります。――オミナ様、数年振りにお目にかかりましたが、お元気そうで何よりです」
そう言ってダフネさんが柔らかな笑みを浮かべた。佇まいは凜とした大人の女性といった印象なのに、ふんわりと笑った表情はとても愛らしい。
「貴方も楽しそうに仕事をしているみたいで嬉しいわ。貴方は昔から真面目な子だったから、根を詰め過ぎていないかと心配だったのよ」
オミナさんも負けずとも劣らない優しい笑みをダフネさんに向けている。二人は昔からの知り合いなのかな?
思ったことが顔に出すぎているのか、オミナさんの読心術がスゴいのか、口に出していないはずの私の疑問にもオミナさんが丁寧に答えてくれる。
「巫女名を賜ってからは“デルフォー”を名乗っているけど、私の本来の名前はオミナ・トレジアというの。ダフネとは姉妹じゃないわよ? 私たちはトレジア羽翼院――要は同じ孤児院で育ったのよ」
「オミナさんが育った孤児院……ということは、ルベウスの母親であるメノーアさんとも同じ出身なんですね」
私の言葉にオミナさんがコクリと頷き、隣のダフネさんに視線を向けた。
「ダフネがトレジア羽翼院に来た時、私は既にこの教会の見習い巫女として生活していたわ。でも、何度か羽翼院に顔を出すことがあってね。そこでこの子と知り合ったのよ」
「オミナ様からは魔法の手習いや礼儀作法など、様々な知恵と知識を教えていただきました。それに羽翼院に寄付もされていたとかで……」
「あら! 寄付の話は内緒にしておいてって、院長に言ったはずなのに。んもう、そんなに大したことはしてないんだから恥ずかしいわ!」
ダフネさんはオミナさんを心から尊敬していて、オミナさんもダフネさんのことを可愛がっていたのね。とても仲睦まじい光景です。
それにしても、前からオミナさんはスゴい人だと思っていたけど、想像以上にスゴい人だった。徳が高い……!
その後、私は余所行きの服装に着替えてから、ダフネさんに案内されるがまま、ノルンスト家所有の立派な馬車に乗り込んだ。そのままダフネさんが前方の御者に合図を出すと、ゆっくりと車体が動き出した。
実は私、前世でも馬車というものには乗ったことがないので、今回が馬車初体験。思った以上に揺れが少ないので驚いていたら、ダフネさんが「この馬車はお嬢様の発案で、風属性を注入した魔石を緩衝装置として利用しているんです」と教えてくれた。
ダフネさんの穏やかな表情を見れば、イヴリン嬢とは主従を越えた信頼関係を築いているのだとわかる。
ダフネさんが言っていた“魔石”というのは、魔力を蓄える性質のある鉱物で、属性魔法を注入して利用する異世界生活必需品の一つ。火属性を入れて暖を取ったり、氷属性を入れて冷房に使ったりと用途は多岐にわたる。中でも質の良い魔石は、杖の核石として加工されている。
……そうはいっても、魔法がマトモに使えない私にとっては、“なんか綺麗な石”くらいの認識なんだけど。
つまり、この馬車は振動を逃がすために風属性の魔石を使っているので、普通の馬車よりも揺れない構造らしい。質の善し悪しで多少の差はあっても、魔石は安い物ではない。それを高級馬車に利用するなんて、まさに財力が成せる技、さすがは公爵家ね!
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馬車は活気ある商店街を抜けて、邸宅が建ち並ぶ閑静な通りに出た。当然ながら用事がないので、私はこの辺りに立ち入ったことはない。
物珍しそうに窓から街並みを眺めていると、馬の嘶きと共に馬車の動きが止まった。
どうやら目的地であるノルンスト家に到着したみたい。あっという間だったなぁ。
ダフネさんが先に馬車を降り、私を屋敷まで先導してくれる。
「うっわぁ~! 想像以上~!」
広くて綺麗な庭に、豪奢なお屋敷! サフィーアの意識の中で垣間見た時とは迫力が全然違う。
風に乗って甘く爽やかな香りが届く。キョロキョロと周囲を見渡してみると、色とりどりの薔薇が見事に咲き誇っていた。
(そういえば、自慢のお庭だって、小さなイヴリン嬢が言ってたっけ)
正しくは私に言っていたのではなく、サフィーアに対して言っていたのだけど。
自分が体験していないことでも、体験した記憶があるというのは妙な気分ね。
「お嬢様ッ!?」
突然、ダフネさんが悲鳴を上げた。
何事かとダフネさんの視線の先を追うと、両手でスカートの裾を摘まみながらも猛然とダッシュして近付いて来る人影――というか、イヴリン嬢が見えた。
その表情……なんと晴れやかなことか。かえって嫌な予感しかしない。私は思わず後退った。
やはり主人のことならお手のものなのか、事態を収めてくれたのはダフネさんだった。
ダフネさんは口元に手のひらを添えて、駆けるイヴリン嬢に向けてフゥと短く息を吹いた。
「はうあっ!」
間の抜けた声を上げて、イヴリン嬢が動きを止める。よく見ると足元に風の魔法が纏わり付いている。
イヴリン嬢はその魔法のおかげで足が動かせないらしく、体勢を崩しそうになっている。
(あぁっ、倒れそう……!)
私が気を揉んでいると、ダフネさんが目にも留まらぬ早さでイヴリン嬢に近づき、その肩をしっかりと支えた。
一瞬の出来事で、何が起こったのか理解できない私をよそに、ダフネさんはイヴリン嬢を窘めている。
猛ダッシュしてくる公爵令嬢と、忍者の如く素早く冷静な行動をするメイドさんとか……着いて早々、ショッキングすぎるでしょ。
「――改めまして、ようこそ! ノルンスト家へ!」
イヴリン嬢から熱烈な歓迎を受けながら、私は屋敷の中に足を踏み入れた。
先程は嬉しさのあまり、淑女らしからぬ行動をしてしまったらしい。元気いっぱいな淑女って、ホントに無敵ね。
イヴリン嬢の自室に向かうべく階段を上がっていると、一人の少年と出会った。
「あっ、姉さんいいところに! 新製品の話なんだけどさ」
少年は書類を片手にイヴリン嬢に近寄る。身長はイヴリン嬢と同じか少し高いくらいで、赤茶色の髪は光の加減で赤紅色にも見える。
彼の口調から弟ということは察しがつくものの、容姿はあまり似ていないような? 二人とも、整った顔立ちというのは同じだけど。
「ごめんなさいね、ヒューイ。その話はまた今度にしてくれない?」
イヴリン嬢はにっこりと微笑んだ。ヒューイと呼ばれた少年は、そこでようやく私に気づいたのか、慌てて姿勢を正して一礼した。
「す、すみません! 私、ヒューイ・ノルンストと申します」
やっぱり私って存在感薄いのねー……それはわかってるし、目立つこともしたくないんだけどさー……そもそも、周りが存在感ありすぎなんですよー。
私は固い笑顔を浮かべながら自己紹介をした。
挨拶もそこそこに、ヒューイとは別れた。それから自室に向かう途中、イヴリン嬢がヒューイについて補足説明をしてくれた。
ヒューイは私とイヴリン嬢よりも一つ年下の16歳。血の繋がった姉弟ではなく、歳の近い遠縁の子供を養子にしたのだ、とイヴリン嬢は平然と家庭内の事情を語ってくれた。ていうか、私が聞いても大丈夫?
なんでも、ヒューイは魔法学園に入るほどの魔力はなく、その代わりに商才を開花させているのだとか。父親の名義を借りて会社を興し、イヴリン嬢発案の魔道具を開発・販売をしているそうな。
いやぁ、どういうわけか私の周りは高スペックな人たちばっかりだなぁ。……悔しくなんかない、悔しくなんかないんだ。
間もなくたどり着いたイヴリン嬢の自室。その扉の前でイヴリン嬢は深呼吸をして、後ろで静かに控えていたダフネさんに言った。
「ダフネ、人払いをお願いできるかしら」
主人から命を受けたダフネさんは「かしこまりました」と答え、部屋から遠ざかっていった。
屋敷前でのドタバタ劇のせいで、もうどの動作も忍者っぽく見えてくる。有能忍者メイドさん……!
「さぁさぁ、どうぞお入りになって!」
自ら扉を開けて、私をエスコートしてくれるイヴリン嬢。
どう見ても友好的な彼女だけど、これからするであろう話について考えると少しだけ緊張してしまう。
この世界について、転生者について――その謎が明らかになるのか、否か。
お互い、この時を待ちに待っていたのだ。気を強く持って挑もう!
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