第30.5話 別視点

見つめる先に



 木製の扉を押し開けて店内に入る。扉の上部に取り付けられたベルがカランと乾いた音を立てた。

 僕らの他に客はおらず、ぼんやりとカウンターで頬杖をついている店主に声をかける。彼は腑抜けた声を出しながら姿勢を正した。

 僕の後ろにはそわそわと周囲を観察している、挙動不審な少女がついて歩いている。


 ここは魔研の元同僚が店主をしている魔道具屋。

 一時期、僕と彼は魔研で同じ部署、錬金薬部門に配属されていた。

 勤勉で人付き合いも良い彼には、そんな美点を打ち消すほどの“欠点”……僕に言わせれば、“特別な体質”を持っていた。

 それは、彼が作る薬品は高確率で劇物や毒物になってしまうということ。

 どうして彼だけがそんなことになるのか、はっきりした理由はわからない。彼の持つ魔力によるものだろうと推測されるが、僕としてはそんなことはどうでもいい。

 結局、その欠点のおかげで彼は失意の中、職を辞した。そして実家の平々凡々な魔道具屋を引き継ぎ、今に至る。


 しかし、彼の特殊能力を眠らせておくなんてもったいない。そう思った僕は、彼に提案した。君の作った薬品を、魔道具屋に置いてみてはどうか、と。

 紆余曲折あって店内の一角に劇毒物コーナーを設置したところ、これが中々に好評を博している。「ポーション補充ついでに購入できて便利」と冒険者の間でも重宝されているらしい。

 通常、品質の良い毒薬や麻痺薬、爆薬といったものは、おいそれと入手できるモノではない。といっても、それらを冒険のお供として求める者も多く、効力が低い安物も出回っているのが現状だ。

 その点、ここの店主は折り紙付き。魔研に入る程度の知識と技術を持ち合わせているのだから。しかも、そんな扱いが難しい代物を日用品も扱うような魔道具屋が売っているのはとても珍しい。

 ちなみに便利とはいっても、劇毒物の製造や販売にはルサジーオ国の危険魔具取扱の資格が必要なので悪しからず。



「うーーーーーん」

 さっきから一点を見つめて唸ったりブツブツと呟いている少女――コランダは、僕が異世界から召喚した破魔聖女。そうは見えなくとも、そうなのだ。

 その様子から思案中ということなのはわかるが、この店の裏名物である劇毒物の棚の前に立っているのは気づいているのか。……いないだろうなぁ。


 考え込むと周りが見えなくなる性格。黙ってコランダを観察していると、不意に頭の中で昔の光景と重なった。

 何でも一人で考えて、決めて、行動する――そんな言動を繰り返すサフィをいさめた時、「兄様だって同じよ」だなんて言い返されたっけ。そんなところはやはり兄妹なのかと二人で笑いあったことを思い出す。

 しかし今、目の前に立つ少女は妹とは似ても似つかない。それがどうして妹と重なって見えたのか。


 彼女の前世での年齢は不明だが、外見年齢が近そうな学園の女生徒たちと比べると、一歩引いたような態度を取っていることが多いらしい。

 “らしい”というのも、実際のところコランダについて、僕は何も知らない。知る必要もないと思っていた。

 サフィがその身を犠牲にしてまで、彼女の転生召喚は必要なものなのかと、怨みに近い感情すら一時は抱いていた。

 転生召喚が成功した後も、稀有な研究対象、あるいは便利な手駒として扱うことで自分を納得させていたのだけど……なぜだかコランダを見ていると、負の感情は引っ込んでしまう。

 言わば彼女はサフィの忘れ形見。憎みたい理由も、憎みきれない理由も、結局は同じことなのだ。


 僕はコランダに近付いて、暗い灰色の髪を一房すくい取る。

「ふむ、全く似てないねぇ」

 指の間から髪がさらりと逃げていき、代わりに大きく見開かれた曙色の瞳とかち合う。

 こちらを見上げるコランダは、驚きのあまり言葉を失っているようだ。それが妙におかしくて、ニヤリと口元が緩んでしまう。

 彼女の髪も目の色も、声も仕草も、そのどれを取ってもサフィを彷彿とさせるものはないのに。


 固まっているコランダを尻目に、カウンターに立つ店主へと話しかけた。

「やぁ、いつものヤツを二つ貰おうか」

 しかし店主の返事はなく、あたふたと僕の顔とコランダの顔を交互に見比べている。

 この反応、彼の言いたいことは察しがつく。ならば聞かれる前に先回りして答えてやろうじゃないか。

「違う。――彼女は君が想像しているような存在じゃない」

 恋人、あるいは妹か。そのどちらでもないと否定する。かといって、どんな関係なのかまでは答えられない。

 建前上はオミナが目をかけている孤児で、僕もその世話を任されているということになっているけれど。

 ミュルグが言うには、僕が誰かと並び歩いていること自体が珍しいのだそうだ。そう言われると、たしかに僕は学生時代から基本的に一人で行動している。必要があれば会話も交流もするが、必要がなければしない。僕からすれば、ただそれだけのことだ。


 店主から受け取った物の他に、店内を見て回ってはめぼしい品をいくつか手に取る。

 乾燥させた薬草や魔獣の角など、研究室の備品で不足していた物を補充しよう。

 所在なさげにうろついているコランダは、整然と並べられた品物を見ては「何これ、気持ち悪……」と顔をしかめたり、「うわ! これはすごい!」と目を輝かせたりしている。何とも忙しい奴だ。



 しばらくして、会計を済ませて店を出る。魔研に向かう道すがら、後ろを歩いていたコランダが不意に足を止めて僕に話しかけてきた。

「ずっと考えてたんだけど……私は、ルベウスの大切な妹――サフィーアの魂を奪ってしまったんだよね? 本来なら女神の下に還るという魂を、現世に留めさせて……」

 急にどうしたのかと眉をひそめたものの、魔道具屋で呟いた僕の言葉を受けての反応なのだろう。

 コランダは俯いていて、いまいち歯切れが悪い。


「まぁ、そうなるかな。とはいえ、それがサフィ自身の願いだからね。その意思を無視することも、僕にはできなかった」

 僕がそう答えるとコランダがおずおずと顔を上げた。そして、少し戸惑いながら問いかける。

「ルベウスはサフィーアを生き返らせようとは思わなかったの? 素体とサフィーアの神霊を併せてさ」

「……はぁ~、随分と簡単に言ってくれるね? 死んだ人間を蘇生するなんてのは、古今東西どこの国でも禁術中の禁術だ。まともに成功した話は聞いたことがない。せいぜいゾンビだのスケルトンだの、なり損ないが生まれた挙げ句に、体のいい悪魔の器として妖魔に成り下がってどこかの冒険者に討伐されるのがオチさ」

 その発想は彼女なりに考えた結果なのだろうが、僕からすれば軽率かつ無知としか言いようがない。

 同じく禁術である神霊化は成功させているのだから、不可能ではないと思うのは無理もないか。


「と言っても、それでも蘇生に関する研究や摘発が後を絶たないのは、人間が人間であるがゆえ――さがなのだろう。僕だってサフィが巫女の力に目覚めて、神霊化だなんて言い出さなければ、サフィの蘇生に没頭していたかもしれない」

 愛する者との再会を願う、切なる想いを僕は非難できない。しかし、そういった感情とせめぎ合う理性も、人間は持ち合わせているはずだ。

 この僕がそんな風に前向きに思えるのは、強い意志を持って行動していたサフィの影響なのだろうか。


 僕が柄にもなくしんみりした事を言い出したと思っているのか、コランダは遠慮がちに微笑んだ。

「そっか。ごめんね、変なこと聞いちゃって」

「なに、君が謝る必要なんてないだろう。むしろ、君の方こそ突然異世界に喚ばれて……文句の一つや二つ、あるんじゃないのか? 君にも大切な家族や友人がいたんだろう?」

 コランダは返事もせずに何度も瞬きをして驚いている。そんなに変なこと言ったか?

 なぜか咳払いをして、照れくさそうに頬を掻いたコランダが答えた。

「ううん、逆に感謝してるくらいだよ。一度は命を落としてしまったというのに、またこうして誰かと話ができるなんて」

 容姿は別人になったけどね、と笑いながら付け足して話を続ける。

「しばらくは死んでしまったことに気づかなかったんだ。だって、意識だけはハッキリ残ってたから。そのうち死を自覚したんだけど、問題はそれから。サフィーアが現れてルベウスが喚び出すまで、私は何もない真っ暗な場所にいて、ずっと一人で漂っていたの。そのせいなのかな、前世の記憶がおぼろげでね。家族とか友人とか……よく思い出せないんだけど……私にもそういう人がいたのなら、今はただ健やかに過ごしていてほしいなと思うよ」


 前世の記憶がおぼろげというのは、コランダは魂だけで彷徨っていた期間が長いだけでなく、一度目の召喚が失敗した直後、性急に再構築を行った弊害の可能性も高い。

 けれど、彼女は誰も憎まないし、悲運を呪うこともない。

「ふぅん、意外に達観しているんだな」

 もっとぼんやりした性格なのかと思っていた。こうして会話してみると、そこはかとなく芯の強さが窺える。

「私だってルベウスが他人の心配をするなんて意外だと思ったよ」

 そう言うとコランダはケラケラと笑った。その様子は年相応の少女のようで、安心するようなしないような、不思議な感覚に陥る。


「……ククッ、君の中にサフィーアが眠っているっていう話、信じてみても良いかもな」

 おそらく僕は、コランダが見せる少女らしさの中に、サフィーアを見出したのかもしれない。

 コランダはサフィーアではない。それは誰が見ても明らかだ。それなのに僕は何を期待している? ……自分でもよくわからない。

 こちらの意図や苦悩がわかるわけもない当のコランダは「本当!?」と小躍りして喜んでいた。



 別れ際、僕は魔道具屋で購入した物を思い出して、小さな包みをコランダに手渡した。

「そうそう、忘れるところだった。これを君に渡しておこう」

 怖々受け取った包みを丁寧に開けて、中身を見たコランダは顔をしかめる。

 別に喜ばせるために買った物じゃないからね、その反応は予想通りだ。


「それは催涙剤を入れた小瓶だ。魔道具屋で熱心に見つめていたみたいだからねぇ。護身用に持っておいたらどうだい?」

 魔道具屋でコランダが凝視していた劇毒物の棚にあった物で、数ある劇毒物の中でも実用性の高いものを選んだ。殺傷能力は低いが、魔物でも人間でも相手を問わず使用できる。

 一応使い方について軽く説明しておいたが、要は目標に向けて投げつければ良いだけだ。

「あ、アリガトウ……」

 コランダの声がどことなく棒読みな気もするが、まぁ良いだろう。


 女神教会へと歩き出したコランダの背を見つめながら僕は溜息をついた。

 僕はコランダとは付かず離れず、一定の距離感を保とうとしていた。その方がお互いのためだと思っていたからね。

 オミナから顔を合わせる度に「コランダとは仲良くしろ」と言われても、必要ないと聞き流していた。けれど、今は自らの意思で彼女について知ってみたいと思える。


「なんだかなぁ」

 彼女ならイヴリン嬢に取り入るのも容易だろう。その点は心配ない。

 なのに、棘が刺さっているような、鈍い痛みが胸の中に残る。これは――罪悪感、か?

 僕は不穏な想像を掻き消すように頭を左右に振る。そして、コランダから受け取った荷物を抱え、一人で研究室へと向かった。

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