第30話 彼女の夢と彼の現3

 念願のサンドイッチを頬張り、しみじみと目を細めた。生ハムの素朴な塩気と、チーズのほのかな酸味が実に美味。美味であるぞー!

 ほくほく顔で咀嚼を繰り返し、ハーブティーを流し込む。今日のオミナさん特製のハーブティーにはスパイスが入っているのかしら。鼻腔を抜ける香りに微かな刺激を感じる。

 ほぁ~……荒んだ心と身体が癒やされるわ~。


 私の両隣に座る精霊ズは魔力を使って疲れたのかウトウトと居眠り、私の肩を枕代わりに寝息を立て始めた。

 さっきまで実力行使な喧嘩をしていた二人、オミナさんとルベウスは、何事もなかったかのように私の向かいの席で食事をしている。


 深呼吸を一つしてから、意を決して話を切り出す。

「ルベウスが言う、反射的防御行動ってさ。私に憑いている“サフィーアの意思”が働いてるんじゃないかな?」

 人間離れした身体能力は魔物のものかもしれない。けれども、ルベウスは「魔物の攻撃性は取り除いた」と言う。

 たしかに、反射行動はどれも私に降りかかる危機を回避するようなものばかりだった。


 魔物の意識がないのなら、他に考えられるのは神霊――サフィーアの影響だろう。

 夢の中で彼女の過去を垣間見たのは、私の中に意識が残っているからかもしれない。

 私は今朝方見た夢の話と、そこから導かれた推測を二人に話した。しかし、オミナさんは眉をひそめて唸り、ルベウスからは一蹴されてしまった。

「神霊に生者のような意識はない。神霊になったサフィーアが、僕たちの呼びかけに反応したことは一度も無かった」

 そう言ってハーブティーを啜るルベウスの表情は暗い。隣のオミナさんは静かに食器を片付けている。


 サフィーアが亡くなり神霊となってから、私がこの世界に召喚されるまで十年間。彼女は人知れず女神教会の地下で眠っていた。

 女神の願いを叶えるべく異世界からの転生者を待つサフィーアは、誰の声にも答えずひたすら眠り続けていたのだという。

 ルベウスの悲痛な叫びも、オミナさんの必死な祈りも、サフィーアには何の効果もなかった。

 そうした遣り取りを何年も続けた末に、二人は「サフィーアの意識はない」という結論に至ったそうだ。


「そうなんだ……」

 事情が事情だけに、私はそれ以上言及することができなかった。

 ことサフィーアの死後について、二人は多くを語らない。だからこそ、様々な想いや複雑な感情を抱えているのだということは察するに余りある。

 私を喚び出した張本人だからとはいえ、この世界での私の生活は二人のおかげで成り立っている。言うなれば保護者か後見人か、身元保証人といったところ。

 そんな二人の心の中に土足で踏み込むような真似はしたくない。言いたいことは色々あるんだけどね。愚痴とか、文句とか。

 私は無言で頷き、カップに残っていたハーブティーを飲み干した。



 食事を終えた後、オミナさんとは別行動をすることになった。

 オミナさんは私が以前訪れた宝飾店に寄ってから教会に戻るということで、アルストとロメリアをお供に引き連れて街へ向かった。

 ルベウスと私も城壁の内側へと戻り、その道中で授業で使う道具や材料の買い出しに行くことになった。


 大通りの屋台から裏通りの怪しげなお店まで、幅広いジャンルの店を見て回るルベウスの後をひたすら追いかける。

 購入したのはエキセントリックな色のキノコや歪な形の小瓶、綺麗な銀色の枝木等々。どれも不思議な物ばかりで見ているだけでも楽しい。

 ルベウスからは「一人で買いに来られるように道を覚えといて」と言われたのだけど、裏通りのお店は一人で来たくないなぁ……。品物も店主も怪しげだったし。


 二人で買い物に来たというのに、キョロキョロ辺りを見回しては驚きの声を上げるだけの簡単なお仕事しかしていない私は、せめて荷物持ちになろうと勇んでルベウスの前に躍り出た。

「結構な量の買い物になったね。私が荷物を持つよ」

 私はぎこちなく微笑みながらルベウスに問いかけた。

 買い物の最中、ルベウスとはまともに会話できていなかった。単に買い物の邪魔をしたくないというのもあるけど、ゴーレム事件もあって何となく話しかけにくかったのだ。

「……なら、これを頼もうか」

 怪訝そうな面持ちでルベウスが荷物を手渡してくる。

 それは二つ抱えた荷物のうちの一つ、軽い紙袋の方だった。

「む、両方渡してくれて構わないのに」

「それは遠慮しておく。落とされたりでもしたら、たまったもんじゃないからね」

 私と違って自然な笑みを浮かべてルベウスが言う。そして、それだけ言うとさっさと歩き出してしまった。

 今のはツンデレとかではなく、本当にそう思っているからこその発言だからね。時々は紳士的に見えることもあるけど、そこをはき違えてはいけない。


 学園で授業をするようになったおかげか、ルベウスが初対面の時よりも柔和な態度をとれるようになった気がする。……表面上はね。

 助手として一緒にいる時間が増えたわりに、彼についてはわからないことの方が多い。

 私は近況報告も兼ねて、久しぶりにルベウスと一対一の交流を試みることにした。


「学園で友達ができたんだ。フロウレンっていう同級生でね、一緒に授業を受けたりしてるんだ。あとは学園の図書館で転生者について調べてるんだけど、あんまり成果はないかな。他には……えーと……」

 こ、これは……私だけが話しかけているだけで、会話と呼べるものなのかしら?

 根本的な疑問を抱きながらも、懸命にルベウスに語りかける。なんだか、おべっかを使っているような気分だよ。

 一応、ルベウスが「へぇ」とか「そう」とか、短いながらも相づちをうってくれるのだけが救い、かな。


 ふふふ、それならこっちだってとっておきの話題があるのだよ。というか、元からこの話をするつもりだったんだけどね。

「あ、そういえば~中庭でイヴリン嬢にあったんだよね~」

 わざとらしく勿体ぶるような口調でルベウスの反応を窺う。一瞬だけ彼の眉がピクリと動いたのを、私は見逃さなかった。


「高位の貴族っていうからちょっと緊張しちゃったけど、美人で明るくて気さくな、とても感じの良い子だったよ。彼女、ルベウスのことを知っているみたいだったね。――ねぇ、こうしてルベウスの企みに協力してるんだから、そろそろ教えてくれない? ……彼女とはどういう因縁があるのかをさ」

 一応、初対面である私にも親しげで、まるで私のことを知っているかのような口ぶりだった、不思議な令嬢イヴリン様。

 誰に対してもそんな調子なのかと思いきや、彼女が去り際に告げたのは……「ルベウスは信用できない」。

 それに加えて、サフィーアの過去で知った幼少の出会い。これはもう因縁と言っても差し支えないだろう。サフィーアを間に挟んで、イヴリン嬢とルベウスは見えない線で繋がれている。


「興味本位で聞いているわけじゃないんだよ? どうにもイヴリン嬢とルベウスって、お互いに警戒し合っているみたい。私はそこに割って入るんだから、事情を知っておいた方が上手く立ち回れると思うの」

 あくまで、ルベウスにとって有益であることを強調して説明してみせる。……まぁ、もちろん二人の関係には興味津々です。

 ふと隣を歩くルベウスが足を止めて、私と目を合わせた。眼鏡越しでもその赤い眼光の鋭さは隠しきれない。

 私はまるで蛇に睨まれた蛙のように固まって息を呑む。この視線には未だに緊張してしまう。

 でも、ここで引いてはいけない。余裕たっぷりな様子を装いながら口角を上げる。


 私の心中を見透かしているのかいないのか、ルベウスはほくそ笑んで言った。

「たしかに、君には話しておくべきか。……ククッ、君が期待しているような、楽しい話じゃあないけどね」

 彼は胸元で抱えていた木箱の中を片手でかき回し、小ぶりな果実を二つ取り出した。

 そのまま木箱を無造作に足下に置き、近くの壁に体重を預けた。それを不思議そうに眺めていた私には、果実を一つ手渡してきた。

 その赤い果実はリンゴよりは一回りほど小さく、スモモのような弾力があった。

 見ればルベウスがためらいなくかじっているので、「食べろ」ということらしい。変な買い物ばかりしていたと思っていたけど、普通の食料も買ってたみたい。

 私は赤い果実を咀嚼して、飲み込んだ。……あら、意外と甘くて美味しい。



「――まず、君が見たという夢について。君に宿ったサフィが見せものかどうかは疑問が残るものの、概ね事実だ」

 ルベウスは落ち着いた調子で語り出す。


「あの時、サフィが巫女の力に目覚めたのはイヴリン嬢との接触がきっかけだった。本来、巫女の力とは、能力保有者が女神に関わる宝物や力に接した時に覚醒すると言われていたのに、ね。その一件から彼女について調べてみたのだけど、とにかくイヴリン・ノルンストは奇妙な娘だった。もしや未知の魔力を持っているのでは? と、様々な可能性を考えてはみたものの、全て推測の域を出なかった。なんせ、彼女は公爵令嬢だからね。僕がアイト伯爵家の養子になって――貴族になったといっても、その立場は遠く及ばない。会話はおろか出会うことすら滅多にない存在だったんだ」


 道行く人々の流れから離れて、ルベウスは気怠そうに溜息をつく。

 客引きや動物の鳴き声、異世界であっても変わらない、ありふれたざわめきが心地良い。

 不思議な騎獣を引いて歩く商人、大きな鍋を背負った料理人、新しい武器を物色する冒険者……目の前を慌ただしく通り過ぎる人々を眺めながら、ぽつりぽつりとルベウスが言葉を紡ぐ。

 私はルベウスの横で話を聞いていて、彼がこみ上げる感情を抑えているように感じた。


「サフィの死から一年後、ようやくチャンスが巡ってきた。イヴリン嬢とニビル王子の婚約を祝うパーティが、ノルンスト公爵家で催されることになったんだ。当時の僕は魔法学園の三年。義父母の縁談話攻撃も一層の激しさを増していたところを利用させてもらってね。あらゆるコネを使って、なんとかパーティに潜り込むことができたのさ」

 ルベウスの義父母というと、サフィーアの過去の中では互いにあまり良い印象を思っていなかったみたいだけど……。

 さすが貴族というだけあって、政略結婚は当たり前の世界なのね。でも、今でもルベウスには女性絡みの噂がない(と、学園の女子生徒が騒いでいた)ということは、義父母の努力は徒労に終わったのだろう。


「僕の目的はイヴリン嬢の謎を追うこと。事前に屋敷の間取りについての情報を買い、十分に手はずを整えた。とはいえ、実際に従者たちの目を盗んで彼女の私室にたどり着くのは骨が折れたよ。軽微な量の幻覚薬と、周囲に気づかれない程度の僅かな魔法を駆使して、やっとのことで部屋に入ることができたのさ」

 ……んんっ!? 黙って話を聞くつもりだったけど、今の発言は聞き流せそうにないぞ。

「もしもし、ルベウスさん? それって不法侵にゅ」

「――イヴリン嬢の部屋で見つけた、一冊のノート。大事そうに仕舞ってあるわりに鍵はついておらず、誰でも簡単に中身を見ることができた。……しかし、ページをめくって驚いた。そこに書いてあったのは全く未知の文字列だったんだ」

 私が割り込む余地などないとばかりに、ルベウスは無表情のままよどみなく喋り続ける。……おいィ!?


「時間の都合上、ノートの一部しか写し取れなかったが、僕としては想像以上の収穫だったよ。しかし、その文字の解読は困難を極めた。外国語でもなければ古語でもないし、彼女の造語とも思えない。片っ端から辞書を読み漁っても、同じ言語は見当たらなかった」

 そう言いながらルベウスが懐から手帳を取り出し、そこから一枚の紙を抜き取って私へと差し出してきた。

 何度も折ったり畳んだりを繰り返しているのか、紙には強固な折り目がついている。

 恐る恐る紙を開いて見てみると、そこには黒いインクで文字らしきものが記されていた。


「解読について半ば諦め欠けていた時、偶然立ち寄った骨董市で古びた本を見つけた。店主によれば、その本はかつて異国で召喚された転生者の持ち物だったそうだ。半信半疑ながら大枚を叩いて入手したそれには、まさしく探し求めていたモノがあったんだ」

 私が紙を持ったままルベウスの方を見上げると丁度良く視線がぶつかった。

 きっと彼は私の答えを待っているのだろう。またもや、ルベウスの推測との答え合わせってことかな。


「あのー、この紙に書いてある文字が、イヴリン嬢のノートに書いてあった文字なんだよね? 私、これ読めるよ。だって……これは日本語なんだもの」

 意味もわからず写し取られた拙い文字。私には見ただけですぐにそれが何の言語なのか理解できた。

 日本語――イヴリン嬢が意識して書いたのかはわからないけど、他人が読めない暗号としてはピッタリだったと言える。


 私の返事を聞いてルベウスは満足そうに大きく頷いた。

「これで点が線に、推測が確信に変わった。つまり、イヴリン嬢は異世界転生者で間違いない。その紙に書いた文字列は彼女のノートの冒頭だよ。異世界語だということはわかっても、全てを解読できたわけではないからね。それは何と書いてるんだい?」

 街の喧噪の中で、翻訳を聞き漏らすまいとルベウスが私の方へ体を近づけてくる。角度によっては覆い被さっているようにも見えなくもない。

 思わず身じろぎしたものの、私の焦りは彼には伝わらなかった。仕方なく、私はその状態のまま紙に記された文字列を読み上げる。


「えーと、何々? 『ここは、ゲームの世界だ。しかも、私がドハマりしていた、女性向け恋愛ゲーム“アルティメール ~聖女の祈りは誰が為~”の世界、そのもの』……って、えぇ!?」

 この世界が異世界で、しかもゲームの世界なのかもしれない。それは薄々感づいていた。けど!

「乙女ゲーーーーー!?」

 私は人目もはばからず、驚愕の声を上げた。

 乙女ゲームがどんなものなのかはわかる。けれども、そのタイトルに見覚えはない。

 タイトルから察するに、破魔聖女アルティメール――つまり、私が大いに関わっているのは明白。……あぁ、なんだか頭がクラクラしてきた。


 事情を知らなければ痴話喧嘩にでも見えているのか、近くを歩く人々がこちらを見ては顔をしかめたりニヤついている。

 ち、違います。これは違うんです……! じゃあ何なのかと聞かれたら、答えられない状況だけど! 恥ずかしさよりも、恐ろしさの方が上回ってるし!


 ルベウスにはイラつかれていると思いきや、むしろ勢い良く肩をガシッと掴まれた。ヒィッ!? ごめんなさいぃ! ……と、反射的に謝ってしまいそうになる。ルベウスって距離の詰め方が急でビックリするんだよなぁ。

「かろうじて解読したノートの一部分には、なぜか僕と妹の名前もあったんだ。……それに気づいた時、僕は恐怖で震え上がったよ。そうして調べていくうちに、僕はこのノートは未来について書かれた“予言の書”だと思っていたが、どうやら君の見解は違うらしい。――改めて言っておこう。この通り、イヴリン・ノルンストの秘密を解けるのは、君しかいないんだ」

 いつになく真面目な表情で語りかけてくるルベウスを、私は直視できなかった。


 私の頭の中ではぐるぐると単語が駆け巡っていた。

 乙女ゲー、転生、令嬢、聖女、前世、予知、改変?

 もう少し落ち着いて考えれば何か答えが導き出せそうな気もするけど、目の前に立ち塞がるルベウスの蠱惑的な眼差しが思考を邪魔する。


(この世界に来てからやたら美形と出会うのは、ここが乙女ゲーの世界だからって思えば納得するような……?)

 アハハと顔を引きつらせて、そのまま脱力。私はへろへろと壁伝いにしゃがみこんだ。

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