第28話 彼女の夢と彼の現1

 私は夢を見ていた。

 意識が明瞭になったところで周囲を見渡す。そこは見覚えのない綺麗な庭だった。

 そして、何となく「これは夢だ」と気づいた。所謂、明晰夢というやつだろうか。


 辺りの生け垣は整えられていて、色とりどりの花が咲き誇っている。

 耳を澄ますと遠くで誰かの話し声が聞こえるのに、近くに人は見当たらない。



 見たところ悪夢ではなさそうなので一安心。

 でも、私ってこんなに身長低かったかな? やけに視線が低く感じる。


「サフィーアさま~!」

 一人で近くのベンチに腰掛けていると、こちらに小さな子供――裕福そうな身なりをした少女が駆け寄ってきた。

 彼女、私に向かって「サフィーア」って言ってる? それって、私、サフィーアになってるってこと!?


「ごきげんよう、イヴリンさま。今日はおまねきいただきありがとうございます」

 脳内は大混乱なのに颯爽と立ち上がった私は少女に向かって優雅にお辞儀をした。

 どうにも、私の意思とは別に勝手に身体が動くらしい。


 おそらくこの視点は“私”ではなく、“サフィーア”のものだ。少女が名前を呼んだことに加え、頭を下げた際に青の差し色を含んだ艶やかな黒髪が見えたし。

 どうしてサフィーアになっているのかはわからないけど……まぁ、夢ってそういう視点の拝借? みたいな時、あるよね。


 問題は目の前に立つ幼い少女だ。

 サフィーアは彼女を「イヴリンさま」と呼んでいた。確かに、少女の容姿は私が知っているイヴリン嬢を一回りも二回りも小さく幼くした感じだ。

 あの威風堂々としたイヴリン嬢がこんなに小さいということは、この夢はサフィーアの生前の記憶? サフィーアはイヴリン嬢と面識があったのね。


「きれいでしょう? あっちにもすてきなおはながさいてるのよ。サフィーアさま、いっしょにいきましょう!」

 こちらの返答を待たずにサフィーアの手を握る小さな令嬢。

 しかし、サフィーアはその場で固まっていた。突然、雷に打たれたように全身に衝撃が走ったのだ。



《――私の声を聞く者に告ぐ。かの邪悪な魂は死してなお地に蔓延る。さすれば私を求めよ。異界の門を開け。真なる破魔の力こそ、世界に安寧をもたらす唯一の希望――》


 頭の中に断片的な声な響く。

 これは……女神の声だ。どういうわけか、私には瞬時に理解できた。それを皮切りに大量の情報がなだれ込んできた。



 そうだ。“私”は――サフィーア・アイト。

 今日は公爵令嬢イヴリン・ノルンスト様の5歳の誕生日パーティで、年齢が近い貴族の令息や令嬢が何人も招かれている。

 私もルベウス兄様と共に参加したのだけど、あまり乗り気ではなかった兄様とはいつの間にかはぐれてしまった。


「――サフィーアさま? だいじょーぶですか?」

 しばらく硬直していた私を心配するようにイヴリン様が見上げてくる。

 5歳になったばかりの彼女より、三つ年上の私の方が当然背が高いのだけど、立場としては彼女の方が上なので敬語は崩してはいけない。と、兄様から教わった。


「……えぇ、だいじょうぶです。しんぱいありませんよ」

 なぜこのタイミングで女神様の声が聞こえたのかはわからない。私の母様は女神の声を聞く巫女だったのだと、父様からよく聞かされていたので、私にも素質があったのかな。

 そんな事情を知るはずもない少女は、私の手を握ったままウズウズしている。

「うちのじまんのおにわをあんないします!」

 女神の声に関しては後で兄様に相談するとして、私はにっこりと微笑んでイヴリン様と一緒に歩き出した。



 イヴリン様とは今日初めてお目にかかった。

 他にもたくさんの子供たちがいる中で、なぜか彼女は他の貴族の子たちを差し置いて私に懐いてきた。


 自分の意思なのか親の指示なのか、彼女に取り入ろうとする子は多い。そうなると、この状況はポッと出の新参貴族――私に獲物を取られたように見えるらしい。

 彼らからの非難の眼差しに耐えられず、私はパーティ会場から逃げるように人気の無い庭に出てきた。まさか、イヴリン様が私を追ってくるとは思いもしなかったけれど。

 ……こんな時、無愛想でもルベウス兄様が隣にいてくれたら助かるのに、どこに行ってしまったんだか。


 元々、私たち兄妹は貴族ではなかった。

 両親を亡くした私たちは、父様の兄――伯爵位を持つアレキシス伯父様に引き取られて養子になった。


 でも、アレキシス伯父様は私たち対してあまり好意的ではないみたい。弟である父様のことを嫌っているみたいだから仕方ないのかな。

 嫡男のアイオルト様もいらっしゃるし、後継者に悩んでいるわけでもない。

 ルベウス兄様は「僕らは道具だ」なんて言ってたけど……そんなの、嫌だな。


 ふと、前を歩いていたイヴリン様が足を止めた。そしてまじまじと私の顔を見上げている。

「あの、イヴリンさま? 私のかおに、なにかついてますか?」

 首を傾げてイヴリン様に声をかけると、彼女は恥ずかしそうに視線をそらした。

「えっと。サフィーアさまとあえたのがうれしくて、つい……」

「ふふっ、そうですか」

 イヴリン様はちょっと変わったお方らしい。しかも、私を知っていたかのような口ぶり。

 うーん……今日まで会ったことはないと思うんだけどな。反応に困っていると、後方から聞き覚えのある声がした。



「サフィーア! ここにいたのか!」

 これはルベウス兄様の声だ。走ってきたのか息が上がっている。


 私はしかめっ面で駆け寄ってくる兄様に軽く手を振る。

「イヴリンさま、こちらは私の兄のルベウス・アイトです。見てのとおり、ぶあいそーな人ですが……いがいとやさしいところもあるんですよ」

 たしか、兄様はイヴリン様への挨拶もそこそこに姿をくらませてしまったから、忘れられてるかもしれない。フォローを交えつつイヴリン様に兄様を紹介する。


 イヴリン様とはいつの間にか手を離していたみたい。彼女はルベウス兄様を見ると、みるみる顔が青ざめていった。

 具合でも悪いのかしら? 心配して近寄ろうとすると、イヴリン様が一歩後ずさった。私のすぐ隣に兄様が立って、肩に手を置いていたからだ。


「もう、兄さまはどこをほっつき歩いていたんですの?」

 イヴリン様が驚いてるじゃない、と兄様を睨む。兄様は弱ったように目尻を下げ、私の頭を優しく撫でた。

「ごめんごめん。見知らぬご令嬢たちから追いかけ回されてしまってね……。振り切るのに苦労したんだよ」

 事も無げに話すその横顔は憂いを含んでいた。


 年の離れた私の兄様は、妹から見ても端正な顔立ちをしていると思う。

 最近は特に女性からの熱っぽい視線を浴びるらしく、こういった人の集まる場所では不機嫌そうにしていることも多い。

 優しくて賢い兄様が魅力的に思われるのは妹として鼻が高い。だけど、少し……ほんの少しだけ、心がザワザワしてしまう。


「――でたわね、ルベウス・アイト」

 小さく唸るような声が聞こえて振り返る。声の主であろうイヴリン様が怯えた様子で私たち兄妹を見つめていた。

 そして、私と目が合うとハッと我に返ったようでその場で飛び上がった。

「あ! ……ごめんなさい! わたし、きゅーようができたので、おへやにもどりますわ!」

 そう言ったイヴリン様は大慌てで身を翻し、庭から屋敷の中へと一目散に駆けていった。



「おやおや、邪魔してしまったかな?」

 変わった言動の少女を見送って、どこか楽しそうに呟くルベウス兄様。

「兄さまのことだから、わざとジャマしにきたんでしょ?」

 私はわざとらしく頬を膨らませて抗議の意を示してみた。


 いつも人より先を読んで行動する兄様だけど、大抵の場合は理解されずに変人扱いされてしまう。

 そんな周囲の評価を全く気にしない傍若無人な兄様は、意味ありげにニヤリと口角を上げた。


「彼女のサフィを見る目が何となくおかしかったからね。ちょっと調べてやろうかと思って波形魔法を展開させようとして……逃げられたよ」

「イヴリンさまはわたしたちよりもエラいんだから、怒られたら大変でしょ! ……たしかに、イヴリンさまは変わった子だったけど」

 兄様、急いで走ってきたように見えたけど、実はしばらく私たちの様子を観察していたのかしら。私は小さく溜息をついて兄様の言動をやんわり諫める。


 ……あ、そうそう。変わった子といえば、私にも変わったことが起きたんだった。


「兄さま、あのね。さっきイヴリンさまとおはなししてるとき、女神さまの声がきこえたの。――ほんとよ? わたし、母さまとおなじように、ミコのチカラをもっていたのね!」

 私は先程の出来事について話した。兄様は一瞬驚いたものの、次第に表情を曇らせていった。

 あれ? もっと喜んでくれると思ったのに。

 いつどこで女神様の声が聞こえるかは予想がつかないから、自己申告だけで証拠はないんだけど。


 俯いた兄様の顔をのぞき込もうと近付くと、そのままギュッと抱きつかれてしまった。

「僕の大切なサフィ。母様と同じように……僕の前からいなくなったりしないでおくれ」

 すっぽりと胸の中に収まった私に言い聞かせるように兄様が呟く。

 私も寂しい時は母様から貰った人形をギュッとしたくなるから、その気持ちはわからないこともない。けど、兄様の急な心境の変化に驚いてしまった。


 人前では気丈に振る舞っていても、兄様は人一倍儚げで、危うい。

 だから「私が支えなきゃ!」と思うし、それと同時に「本当にそれでいいのかな?」とも思う。


 大好きな兄様のために私ができること、するべきことって何だろう。

 それに、女神様は私に何を伝えたかったんだろう。どことなく切迫した声に聞こえたけど……難しくてよくわからなかった。

 ここでイヴリン様と会って巫女の力が目覚めたのは偶然の産物だとは思えないし、全ては女神様のお導きなのかもしれない。


 私の巫女の力と、兄様の将来の安寧――どっちも重要な問題だけど、何か行動を起こすなら早くしないと。

 私に残された時間は、あとわずかなのだから……。


 ――イヴリン・ノルンストの誕生日パーティにて巫女の力に目覚めてから二年後。私、サフィーア・アイトは、母親と同じ病によって命を落とした。



 不意に視界が暗闇に包まれて、意識が混濁していった。

 やがて、奇妙な夢の中から現実へ、深い水底からひっぱり上げられるように徐々に意識が浮上する。


 寝起きの余韻に浸る間もなく、“私”は女神教会の一室、備え付けのベッドの上で跳ね起きた。

「い、今、私が見ていた映像は夢? ……というより、サフィーアの記憶?」

 私の妄想や願望が入り交じった夢というには、鮮明すぎる映像と情報だった。

 これは明晰夢ではなく、私に取り憑いているサフィーアの意識が表面化したもの?


 ……えぇと、ここはひとまず落ち着こう。一人で考え込んだところで、答えはわからない。

 私は手鏡を持って自分の姿を映す。そこにはパッとしない容姿の少女――つまりは、いつもの私がいた。

 異世界でも平々凡々な現実に安堵感を覚えつつ、私は外出の準備を進める。



 今日は学園もお休み。ということで、オミナさん監視の下、ルベウスによる私の身体調査を決行することになった。

 一体何をさせられるのかと内心ビクビクしていたけれど、ルベウスからはオミナさんと共に王都の外、城壁の外にある広場に来いと言われただけだった。


 ルベウスにとって私は実験体……あるいは、便利な駒としか思われていない気がする。

 いやまぁ、実際そうなんだけど、もっとこう……まともに人間として扱っていただきたい。


 サフィーアの記憶の中では、恥ずかしげもなく妹に抱きつくシスコンっぷりを披露していたルベウスも、今や立派にマッド魔術師。

 こうなることを危惧していたのか、サフィーアも兄の将来を心配していたというのに。


 私は渋々ながらも支度を済ませて、長杖を背負ったオミナさんと一緒に広場へ向かうのであった。


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