第26話 稲妻のごとく1
広い講堂ではたくさんの生徒がうごめいている。授業は終わったはずなのに、皆どことなく落ち着きがない。
私は一番奥の高い位置から講堂内をぐるりと見渡した。
黒や金の他に、前世だったらコスプレ扱いな髪色の人がちらほら目に映り、無意識に自分の髪を一房指に絡め取る。
どういう理由なのか、本当に地毛がこの色なのよね。洗っても乾かしても、何だかどんより鉛色。
ここがゲームの世界、かぁ。……だとしたら、どんなゲームなんだろう?
この世界での生活にも少しずつ慣れてきた。目に見えるモノや触れるモノ、全ては作り物ではなく、間違いなく本物だ。
どうにも私がよく知るゲームでもないし、ゲーム的なメニュー画面が開けるわけでもないし、いまいち実感が沸いてこない。
ふぅと細く息を吐いて、教壇で数人の生徒に取り囲まれている人物を見遣る。
「アイト先生の好きな異性のタイプは~?」「先生、素敵な髪色~! 染色してるの?」
楽しげに女子生徒たちから投げかけられる質問は先程までの授業とは全く関係がない。白衣を身にまとい輪の中心に立つルベウスは眉一つ動かさず、ひたすら真顔のまま素っ気ない返事(たまに無視)をしている。
しかし、真顔なのはだいぶマシな方なのだ。入学式前に「生徒の前で渋面を作ったり苛立ったりするのは厳禁」と教え込んだのが功を奏したらしい。
要は“先生”である時は慇懃無礼な態度を改めろと伝えたかったのだけど、一応それを彼なりに実行しているつもりなのだろう。
いやー……何となく予想はできたとはいえ、こうして間近で現場を見ているとさすがにドキドキしてしまう。ルベウスさん、モテモテな件。
そして女子生徒の積極的なことよ。けんもほろろな塩対応をされてもめげない鋼メンタルには、もはや尊敬の念すら抱く。
人によっては、生徒よりも年上で親よりは年下っていう存在が、新鮮に映っているのかもしれない。
既にルベウスが“ヤバい奴”と知れ渡っている魔研では異端視されていたけど……。せめて、先生としては好印象を与えてほしいものだね。
でも、今の状況はさすがにツラいかな? ここは助手としてアイト先生に助け船を出してあげますか。
教材を入れた木箱を抱えた私は、ルベウスの方へ近付いて声を張った。
「魔道具は準備室に持って行きますね~!」
すると、ルベウスが顔をパッと上げて私を睨んだ。……って、なぜ睨まれる?
彼を取り囲む女子生徒も一瞬こちらに視線を向けてきたものの、すぐに興味を失ったように顔をそらされた。ちょっと傷つく。
この隙に話を切り上げようとしたのか、ルベウスが口を開きかけたところで、また別の生徒から質問が飛び出した。――会話キャンセルが、キャンセルされた!?
またもやルベウスと視線が交差する。その恐ろしく赤い目には明らかに嫌悪感が滲んでいた。「お前、こいつら、なんとかしろ」という圧力を感じる。
……いやいや、これ以上は私には無理です。したたかな乙女たちを無理矢理引き剥がすほどの腕力を、私は持ち合わせていない!
「アイト先生も早く準備室に戻ってくださいよ~!」
私にできるのはここまでだ、という気持ちを込めてルベウスに向かって叫んだ。悪く思わないでね。
睨まれる前にそそくさと講堂から立ち去る。後は野となれ山となれ。
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ルベウスの準備室の鍵を開け、部屋の隅に木箱を置いてからまた元通り鍵をかける。
「ふ~、緊張した」
今日は初めてのルベウスの授業の日だった。
錬金薬学とは。前世ではあり得ない魔法とあり得ない材料で、あり得ない薬を生み出すという、けったいな技術について学ぶ講義だ。……助手のくせに何が何だかわかっていない。
初回は本格的な話をするのではなく、大まかな授業内容の説明が主な、言わばおためし授業だったので、念のためにと講堂に持ち込んだ教材はほとんど使用されることはなかった。
講堂に残してきたルベウスは大丈夫かな。生徒相手にブチギレてないといいけど。
「うーんと、“応用魔法”は……実習場、か」
今日は初助手デビューと同時に、初生徒デビューなのだ。
私はオミナさんから入学祝としてプレゼントされた短杖を小脇に抱えて廊下を歩く。
驚いたことに、この短杖は私が宝飾店で物欲しそうに眺めていた逆さ型の短杖だった。
オミナさんに詳細を聞いたところ、強盗被害にあった宝飾店の店主とは古い付き合いらしく、私が犯人逮捕に一役買ったと伝えたら、お礼に貰ったのだという。
まぁ、本当に犯人を逮捕したのは別の人なんだけどね。
オミナさんと言えば、久方ぶりに女神のお告げ――預言を聞いたんだとか。
女神への祈りを毎日捧げていても、巫女の力を持っていても、女神の声を聞き取ることができるのは稀なんだそう。しかも女神の声は年々微弱になっていて、先日のお告げも囁きのようなものだったとのこと。
そんなこんなで、オミナさんがものすご~く頑張って聞き取ってくれたありがた~いお告げだけど、それは思いのほか味気ない言葉だった。
《運命を求めるなら、運命に抗う者の手を取れ》
――って、言われても何が何だかサッパリ。オミナさんからは「きっと貴方に関係することよ」と言われたけど、運命を求めているのが私だとすれば、抗う者っていうのは誰のことだろう? 見当もつかない。
このように、女神の預言というのは直接的な表現を避けたものが多く、大局的な視点で物事を語られるそうので、一般人には理解しがたい&馴染みがないときた。
残念ながら、明日の天気とかラッキーアイテムとか……そういう庶民的なアドバイスはしてくれそうにない。
さて、たまたま時間が合うからという理由だけで選択した授業、応用魔法。
基礎すら学んでいないのに応用を学ぼうとするだなんて、自分でも無謀なことはわかってる。でも、この授業も初回はおためし授業なので、あまり深く考えずに参加してみることにした。
異世界の魔法学園の授業というものがどんな感じなのか、生徒目線でも体験してみたいもんね。
屋外にある実習場は、主に魔法を実際に行う場所だ。付近一帯には魔法障壁が張られていて、魔法による怪我や事故が起きないよう、あちこちに安全装置が仕掛けられているんだとか。
その実習場まで最短でたどり着くには、またもやあの中庭を通ることになる。
いや、私は何も悪いことしてないんだし、堂々と通ればいいのよ、堂々と。そんなことを頭の中で反芻しながらも、中庭の脇を通り抜けようとする身体はどこかぎこちない。
その時、はらはらと視界の端に薄紅色の花弁が舞い込んだ。つむじ風が吹いて花弁があちこちに飛び散る。
私は咄嗟に前髪を押さえ、中庭の花木の元に立つ女子生徒――その後ろ姿を捉える。
(あの大胆不敵な仁王立ち……イヴリン嬢!?)
私が心の声が聞こえたのか、美しい亜麻色の髪を揺らして、女子生徒ことイヴリン嬢がゆっくりと振り返る。その姿があまりに艶やかで、目が釘付けになった。
こちらに気づいたイヴリン嬢が、弾けるような笑顔で駆け寄ってくる。遠くから見かけた時も華のある人だと思ったけど、近くで見るとその印象が一層深まる。
同学年とはいえ私より身長は高く、スタイルも良いので大人びて見える。けれど、どこかはしゃいだように走る様子はあどけない少女そのものだ。
今回は珍しく一人らしい彼女は、凜とした張りのある声で話しかけてくる。
「やっと会えた! ここにいれば、貴方が通りがかると思ってたの!」
まさかこんなところあっさり出会えるとは。しかも、彼女の意思で私に会いに来た、と? 混乱のあまりよろめきそうになるも、何とか踏ん張って堪えた。
私は片手を胸に当てたまま軽く膝を曲げて恭しく頭を下げる。この世界での挨拶を見様見真似でやってみたけど、間違ってないかな?
「公爵家ご子息様におかれましてはご機嫌麗しく、恐悦至極に存じます」
とにかく失礼のないようにと定型文のような返答をしてみたら、イヴリン嬢は寂しそうに緑色の目を細めた。この時代劇みたいな話し方はお気に召さなかったらしい。というか、私も話しにくいから止めよう。
「……ええと、先日は危ないところを助けていただいて、本当に有難うございました。ニビル殿下にもご尽力いただき、なんとお礼を申し上げればいいか」
イヴリン嬢に会ったら真っ先に言いたかったこと。それは、路地裏で助けてもらった時のお礼だ。
イヴとニビル、二人の声色や背格好を実際に見てみて確信した。犯人逮捕の新聞記事に二人の名前が――公爵子息と王族が事件に関わっていたと記載されなかったのは、お偉方の事情だったのだろう。
「んんっ!? 何とことかしら~? よくわからないわ~?」
私のお礼にイヴリン嬢は白々しく顔を背けた。うん、まぁ、バレバレなんですけどね……。
「――申し遅れました。私、コランダと言います。新入生ではありますが二年で、新任教師ルベウス・アイトの助手も兼任しております」
私は思い出したように自己紹介をする。それを聞いたイヴリン嬢は顎に指を当てて考え込むような仕草をした。そして、私をまじまじと見つめた。まるで奇妙な生き物を観察するように、 頭から爪先までじっくりと。
緊張と気まずさからその場で身じろぎしていると、「フフッ」と小さく笑う声が聞こえた。
「コランダ……さん、ね。私はイヴリン・ノルンスト。知っての通り、公爵家の娘よ。でも、だからといってあんまり謙遜されると悲しいわ。気軽にイヴって呼んで頂戴?」
いやいや、その呼び方はいきなり気軽すぎるでしょう。私が首を左右に振って固辞すると、イヴリン嬢はしゅんとうなだれた。そ、そんなにショック受けることかな?
「そういえば、以前この場所でマディアナという女子生徒に会ったでしょう?」
「え、えぇ、よくご存じで」
「あの後、しっかりシメておいたから。これで安心安全な学園生活を送れるわね」
「………」
イヴリン嬢がやたら生き生きした表情になったと思ったら、さりげなく恐ろしいことを言ってきたので、私は無言のまま頷くしかなかった。シメるって……具体的に何をしたかは聞かない方がいいよね。
それにしても、彼女には聞きたいことが山ほどあったのに、いざ本人を前にすると何から話せばいいのかわからない。そもそも、こんなところで会うなんて思ってなかったから、心の準備が全くできてないよ!
私が視線をさまよわせていると、イヴリン嬢が先程よりも声のトーンを落として言った。
「ねぇ、コランダさん。ルベ……アイト先生とはどういったご関係なのかしら?」
「――え?」
それは予想もしなかった質問だった。私としてはルベウスとイヴリン嬢の関係について聞きたいくらいなんだけど。
「あぁ、ごめんなさい、変なこと聞いてしまって。貴方はアイト先生の助手、というのはわかったわ。……でも、なんだかそれって、ひどく不思議なことに思えて……」
「不思議、ですか」
学園の生徒になることも助手になることも、私からやりたいと言ったのではなく、成り行きでそうなってしまっただけですよ~と正直には言えないので、おどけてオウム返しをする。
何やら難しい顔になっているイヴリン嬢は、腕を組んだまま何度も首を傾げている。
彼女は一体何を知っているんだろう? 悪い人には見えないけど……隠し事は下手そうだなぁ。
さっきから一人でカッと目を見開いたり、がっくり肩を落としたりと、すっかり自分の世界に入ってしまっているようだ。
やっぱり、彼女はゲーム知識持ちの転生者? こめかみを押さえて苦悩する様子は、私のそれとちょっと似ている。
「イヴリン様、実は私も不思議に思っていることがあります」
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは私だった。タイミングを合わせるように、二人の間を柔らかな風が通り抜ける。
「おかしな話と思われるかもしれませんが、私には前世の記憶があるのです。イヴリン様……貴方も私と同じなのではないですか? 私のことをよくご存じなのも、前世の記憶があるからでは?」
普通の人なら「何だそれは」と一蹴されそうな話だけど、彼女は普通の令嬢ではない。多少、踏み込んだことを聞いてみても、彼女の怒りを買うことはないだろう。
しかし、あえて“転生”という表現を使わないよう言葉を選んだら、まどろっこしい言い方になってしまった。そんな私の意図を読み取ったのか、イヴリン嬢は喜ぶような困ったような、曖昧な笑みを浮かべた。
「……その返答は、今はできないわ。でも、貴方には伝えたいことや聞きたいことがたくさんあるの。できれば場所と日時を改めて、じっくり語り……」
「イ~ヴ~さ~ま~!? ようやく見つけましたわよ!?」
私とイヴリン嬢、二人の
「ミ、ミレイ……!」
名指しされたイヴリン嬢が肩をふるわせて声の方へと振り返る。
ミレイと言う名前には聞き覚えがある。ユギト様の妹君で、一年生の美少女だったかな?
以前、校門近くで見かけた時はえらく可愛らしい方だと驚いたのだけど……今回は、別の意味で驚いた。
「ふふっ、自由奔放も度が過ぎると傍若無人になるのですよ、イヴ様?」
今の彼女は表情こそ微笑んでいるものの、有無を言わせない威圧感と緊張感を身に纏っている。獲物を前にした狩人のような鋭さは、兄のユギト様と少し似ている。
ミレイさんはここから少し離れた場所にいるのに、イヴリン嬢は蛇に睨まれた蛙状態だ。中庭に来る前に何をやらかしたんだか。
イヴリン嬢はやっとのことで首だけをこちらに向けた。その背後には笑顔で圧をかけてくるミレイさんがチラリと見える。……怖いから、ホント。
「そそそうだ、コランダさんは寄宿舎で生活しているのよね?」
「……え? いえ、私は女神教会から学園に通っています」
「嘘っ!?………どーりで寄宿舎に張り込んでも見つけられないわけだわ」
イヴリン嬢は私の返事に両目を見開いて驚いていた。そして、最後の方は小声だったけど、しっかり私の耳まで届いてしまった。
もしかして、イヴリン嬢って……私のストーカー?……って、んなわけ無い無い。
私の方もイヴリン嬢のことをコソコソ調べてたけどさ。私と公爵令嬢じゃ、知名度が違うというか情報量が違うというか。
いよいよ杖を手にしたミレイさんを一瞥してから、イヴリン嬢が声を潜めて喋り出した。
「あと、失礼なことを言うようだけど、アイト先生には気をつけた方がいいと思うわ。彼は――信用できないから」
「それって、どういう……」
「近々、女神教会にうちの、めっ―――ぎぁ~~~!!」
無慈悲なミレイさんの捕縛魔法によってイヴリン嬢はあっという間に身柄を拘束され、そのまま引きずられていってしまったので、私たちの会話はそこで強制終了した。
獲物を仕留めたミレイさんは清々しい面持ちで、私に一礼して中庭から去っていった。……何だか、妙に手慣れた感じだったね。
・
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私は一人、ポツンと中庭の隅に取り残されてしまった。
時折、風に吹かれて丸い薄紅色の花弁が舞い落ちてくる景色が、時季外れのにわか雪のようにも見える。
「感動のご対面、だったのかな?」
またもや中庭で思いがけない出会いをしてしまった。本当に何が起きるか予想のつかない世界だ。……イヴリン嬢にはわかるのかもしれないけど。
イヴリン嬢は突然現れて、突然去ってしまう――まるで稲妻のような人だったな。フロウの情報だと令嬢らしい令嬢、なんて言われてたけど、実はアレが素なのかしら。
それに、ルベウスとイヴリン嬢って……? ますますどういう仲なのかわからなくなった。
――って、いつまでもこんなところでぼんやりしている暇はない。
危うく当初の目的地を忘れるところだった。私は応用魔法の授業に行かないといけない。
頭を左右に振って気持ちを切り替えて、急ぎ足で実習場へと向かった。
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