第25話 ひかれ合う縁2
私の言葉を聞いたフロウはキョトンと目を丸くしている。
あれ? 何か変なこと言ったかな? 私は首を傾げた。
「あ、あぁ……いや、意外な人の名前が出てきたから、ちょっと驚いただけ」
私の視線に気づいたフロウが苦笑しながら言う。
「てっきりユギト君のことでも聞かれるのかと思ってたからさ」
「へぇ? 何で?」
「何でって……声をかけてきたユギト君のこと、気にならない? 格好いいでしょ?」
「そりゃ気にはなるし格好いいとは思うけど、私には意識することすらおこがましいというか、遠くで拝んでいるだけでいいというか」
「それはもう、謙虚を通り越して自虐的なんじゃ」
思ったことを言っただけなのに、なぜかフロウは不満げだ。ユギト様のことを聞いて欲しかったの?
大人しそうに見えて意外にハッキリとした物言いをする人ね。冷静かつキレのあるツッコミだ。
「――それで、イヴリン・ノルンストについてだったね」
フロウは呆れた様子のまま、鞄から一冊の手帳を取り出した。
「公爵令嬢のイヴリン様、ね。彼女も男女問わず人気度の高い生徒だよ。えーと、性格はまさに令嬢らしく清麗高雅。でも、気の合う友人からは猪突猛進な性格だと言われているね。婚約を破棄したニビル王子やユギト君とは幼馴染みで、ユギト君の妹、一年生のミレイさんとも昔から仲が良いみたいだよ」
メモ帳に書き込まれた情報が多いのか、パラパラとページをめくる音がする。
名前の挙がった方々というのは、あのキラキラオーラ四人組のことだろう。うーん、今思い出しても目映い。
「あとは一つ年下の弟さんがいて、父親のランドン氏はお役人さんだね。俺もあんまり詳しくないんだけど、たしか国防に関わる仕事をしているそうだよ。ならず者の溜まり場という否定的なイメージが根強かった冒険者ギルドに資金援助や指導をして、この国の冒険者ギルドの地位を向上させた大物なんだって」
「冒険者ギルドの……っていうと、その繋がりで娘のイヴリン嬢とユギト様は仲が良いのかな」
「そう考えるのが自然だよね。王子、公爵令嬢、冒険者ギルドの期待の星――学園の生徒でなかったら、みんな接点すら持てない遠い存在だよ」
フロウが話してくれたイヴリン嬢についての情報は、ルベウスから聞いた情報とも大きな食い違いはない。フロウを疑っているわけではないけど、信憑性の低い噂話が紛れ込んでいることだってあるしね。玉石混淆ってやつだ。
「基本情報はこれくらいかな。――どう? 満足してもらえた? 情報屋だって信用が第一だからね。嘘か本当かぐらい、それなりに精査してるよ。……まぁ、信憑性は低くても、面白そうなネタは集めてたりするけど」
私の心の中を見透かしたようにフロウは静かに言葉を紡ぐ。手帳を閉じて、私の反応を待っているようだ。
「フロウ君の情報が信用できるっていうのはわかったよ。それと一つ、変な質問をしてもいい? イヴリン嬢は、予知能力を持っていたりするの?」
当然ながら、フロウが知っているのはイヴリン・ノルンストという公爵令嬢の個人情報だ。私はその先――彼女が転生者だという可能性を考慮した、少し踏み込んだ質問をしてみた。
あんまり変なことを聞くと私の方が怪しくなっちゃうから、そこだけは注意しないとね。
「え、予知能力だって? それは知らないなぁ。もし仮に彼女がそんな力を持っていたら、婚約破棄の回避だってできたはずじゃない?」
胸の前で腕を組んで、眉をひそめるフロウ。その様子だと本当に知らないみたいね。
気になるのはイヴリン嬢の話題となると必ず出てくる、“婚約破棄”という単語。
婚約破棄された本当の理由は、当事者とその親族や親しい者以外は知らないそうだ。
うーむ、“婚約破棄”された“令嬢”、かぁ。なんだか頭の奥の方がむずかゆいような。前世の記憶が少し戻ってきそうな気配が。
「……ハッ! そうだ、発想の逆転だよ! 予知能力を使ったことで婚約を破棄した!……とか?」
脳内に電撃が走ったように突然戻ってきた、部分的すぎる前世の記憶。いつぞや、そういう題名の本を読んだことがある。
つまりはアレよ。婚約破棄モノってことよ! と、フロウに言ってもわからないだろうけど、思わず前のめりになって熱く語る。
急に勢いづいた私に気圧されたらしいフロウは、距離を取るようにスーッと背中を反らせる。そして、予想通り冷ややかな視線を私に向けてくる。
「とか、って言われてもねぇ。そんなことして、イヴリン様にはどんなメリットがあるの?」
「そ、それは~……」
この世界がゲームの世界で、ゲーム知識を持った転生者であるイヴリン嬢が、都合の悪いイベントやフラグを回避する為にとった行動で……って、言えるわけないでしょー! というか、それは私の憶測か妄想に過ぎないし。
考えあぐねた私は口をパクパクさせて、ついにはテーブルに突っ伏した。駄目だ、どう答えても私が頭のおかしい人に思われてしまう。もう何が現実なのかわからなくなりそう。
「たしかに、イヴリン様は貴族にしては変わった人だと聞くけどね。無駄に偉ぶったりしないし、平民にも普通に会話してくれるそうだよ」
身もだえている私をなだめるような口調でフロウが話しかけてくる。
それってつまり、他の貴族は無駄に偉ぶっていて、平民とは会話すらしないってこと? ちょっと想像したくないなぁ。
「彼女の真摯な姿勢に感化された貴族も多いみたいで、少しずつ意識改善されつつあるとか……ないとか」
語尾を濁らせたのは、私に絡んできたマディアナ嬢を思い出したからだろうか。彼女らの態度はいかにもいけ好かない貴族サマって感じだったもんね。
正直、私にはこの国の貴族というものがイマイチ理解できていない。公爵は王族の次くらいに偉いんだよね~という程度。
それでも、魔力の保有量や身分による格差みたいなものは、そこはかとなく感じ取ることができる。
「他にも、新しい魔道具や日用品の開発にも熱心に取り組んでいて、そこで得たお金の大半は様々な施設や団体に寄付しているんだって。そういった慈善事業や分け隔てない態度から、かつてこの世界を守り文明をもたらしたという異世界の使者――“破魔聖女”になぞらえて、イヴリン様を“聖女”と呼ぶ人もいるらしいけど……大袈裟な表現だよね」
そう語るフロウの目はどこか遠いところを見つめているようだった。たとえ貴族や王族と同じ学園に通っているとはいえ、彼はあくまで平民にすぎない。その言葉の節々からは「自分の立場は弁えている」という意思が伝わってくる。
「――聖女?」
同じく貴族でも王族でもない私は、もう一人の聖女の存在に心底驚いていた。
言葉のあやってことなんだろうけど、ルベウスとオミナさん以外の人から初めて“聖女”という単語を聞いた気がする。
イヴリン嬢について情報を得ようと話を聞いたのに、結局は新たな謎が生まれてしまった。
「私、イヴリン様と会って話がしてみたい。彼女がよくいる場所とか、知らない?」
背筋を伸ばし、真っ直ぐフロウを見つめる。大真面目……そう、私は大真面目に言っているのだ。しかし、フロウは瞬きを繰り返し、やがてクスクスと含み笑いした。それが落ち着いてからようやく話し出す。
「そうだなぁ。同じ学年なんだから、同じ授業を受ければいいんじゃない? でも、イヴリン様は周りに常に人がいる――人気者だから話しかけるのも一苦労だと思うよ」
それとなーく小馬鹿にされた感があるけど、一応ちゃんと答えてくれるあたり、やっぱり律儀だ。
彼の言うとおり、学園屈指の有名生徒にお近づきになるのは中々大変そう。ひたすら空気に徹しようとしている私には難易度高めだ。
「まずは、何事もやってみる! 駄目だったら、その時対策を考える!」
しかし、四の五の言ってる場合か! 根拠はないけど、頑張れば! 頑張れば何とかなるかもしれない! というか、そうでないと困る。
仮にもイヴリン嬢とは面識がある。これまた根拠はないけど、彼女も私のことを知っている――そんな気がしている。
「そっか……頑張ってね。もしうまくいったら、話を聞かせてよ」
フロウの口元は緩やかに弧を描いているものの、目は笑っていない。そんなことできるわけない、と思ってるんだろうなぁ。無理もないけどさ。
私の返事を待たずにフロウはゆっくりと立ち上がる。
「そろそろお暇させてもらおうかな。――あぁそうだ、次はアイト先生の話も聞かせて欲しいな」
そのまま片手を上げて別れの挨拶をする。……って、なんでルベウスの話? 需要があるってこと!?
思わず私も釣られて立ち上がる。静かな図書館にカタカタと椅子の脚が床を擦る音が響いた。
ふと、背を向けて去り行くフロウに意識を向ける。なぜかその姿が以前教会で見た光景と重なった。
水色の髪を一つに束ねている少年。寂しそうな背中が扉の向こうに消える。よく似たようなシーン、見たことあったような?
断片的な映像が頭の中で浮かんでは消える。
あぁ、そうだ。彼とは入学前にも一度会っているんだ。
「――ねぇ、フロウ君。前に、女神教会で会わなかった?」
やや躊躇いながらもその背に向かって問いかける。少し間を開けて、フロウが歩みを止める。俯いていて表情は読み取れない。
もしかして、私の勘違いだった?
「たしか、花雨祭の時だったかな。女の子と一緒に、巫女様から……あ」
そうそう、教会で同じような歳の女の子を介抱していたんだよね。女の子には悪魔の呪いが……と、そこまで思い出して言葉に詰まった。
フロウが深く溜息をついて、弱々しい笑みを作った。
「そっか、見てたんだ。あの時のことは……」
「い、言わないよ!? ――言う相手もいないから、心配しないで! ね?」
彼の身体が、声が微かに震えている。怒りか悲しみか、どちらにしても、溢れる感情を抑え込んでいるように見えた。
“呪い”だなんて、気軽に口にしてはいけないんだろう。そして、できれば誰にも知られたくない。
あの時、オミナさんから呪いについて話を聞いていたんだから、喋り出す前に気づくべきだった。私のアホー!
余計なことを聞いてしまったと、肩をすくめる。フロウは力なく首を左右に振って「気にしないで」と呟いた。
やがて彼は再び歩き出して、本棚と本棚の間へ姿を消した。
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学園生活に浮かれていたわけではないけど、緊張感が薄れていたのかもしれない。
悪魔という存在は恐ろしく、そこかしこに暗い影を落としている。
謎の令嬢、悪魔の脅威――全ては“破魔聖女”に繋がっているんだ。
私はテーブルに置かれた赤い本を手に取り、足早に図書館を後にした。
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