第23.5話 別視点
必然 ~情報通のフロウ~
新学期の授業説明会も一通り終了して、立ち寄った図書館。
俺――フロウレン・トリスタラは、隅の席で配布された書類を整理してから校門へ向かう。
「うーん、良い天気だ」
昼と夕の間。外の空気はほどよく暖かいけれど、遠くに見える山々には粉砂糖をまぶしたように雪が残っている。少し冷たい風が頬を撫でると同時に、微かに爽やかな香りを運んでくれる。
たしか、今の時期に薄紅色の花を咲かせる木が学園内の――中庭に植えられていたはずだ。
書類を詰め込んだ鞄を小脇に抱え、足取りも軽やかに中庭へと歩き出す。
今日はどの学年、どの派閥の生徒たちの間でも、新しい教師の話で持ちきりだ。
この学園では珍しい年若い男性の教師が着任するということで、特に女子生徒の注目度が高いようだ。
どこか影のある風貌に惹かれる女子は多いらしい。よくわからん。
俺は前の風変わりな古老教師も嫌いじゃなかったけど、新学期を前にして突然姿を消してしまったのだから学園としてはたまったもんじゃなかっただろう。
そこに現れた、若き代役教師。そりゃあ、生徒たちの期待も大きくなるってものさ。当然、俺も彼が気になっている一人だ。
古老教師が担当していた錬金薬学、魔法生物学を受け持つらしいので、是非ともそのお手並みを拝見してみたい。とはいえ、同じことを思っている生徒は多いだろうし、受講者は抽選になるだろうなぁ。
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中庭に近づくにつれ、花の香りも強く感じる。
去年、あの花が咲いていた時は俺の隣には“アイツ”がいて、「頑張ろうね」なんて能天気なことを言い合っていた。しかも、頑張るはずの学業はそっちのけで、アイツはしょうもない噂話ばかり集めていた。……しかし、そうやって収集した情報で飯を食えているのだから、情報が持つ力ってのは計り知れない。
もうあの時と同じように、二人で並び立つこともできないのだろう。ショックのあまりというよりも、まだ理解が追いついていないせいで何の感情も湧いてこない。
廊下の角を曲がり、ようやく視界に薄紅色の花を捉えると、安堵からか思わずフッと笑みが溢れる。
普段ならここにはあまり長居したくないけど、この時間帯――下校時間なら人も少ないだろうし大丈夫かな。それに、ここを抜ければ校門まで近道だ。
思い出に浸るのは後にして、今だけの芳しい香りを楽しみながら静かに、速やかに通り抜けよう。
「おや、あれは?」
通り抜ける前にざっと中庭を観察してみると、ベンチに座る人物が見えた。灰色の髪のどことなく儚げ……というより、幸薄そうな雰囲気の女子生徒だ。
全体的に地味な印象を受けるが、朝焼けを思わせる――曙色の瞳だけは生気に満ちている。内側から光が溢れるように輝き、澄み切った中に力強さが見える。
女子生徒は呑気に両手を突き上げて背伸びをしている。見覚えのない顔だし、堂々とあのベンチに座るだなんて、何も知らない新入生以外考えられない。
「声は……かけられそうにないな」
ベンチに座っている女子生徒は全く気づいていないようだけど、コツンコツンと複数の靴音が近づいてきている。
……あーもう、最悪のタイミングだ! 俺は反射的に近くの柱に身を隠し、じっと中庭の様子を窺った。
――間もなく、甲高い女子生徒の声が辺りに響いた。
「ここはアンタみたいな田舎くさい小娘が、居ていい場所じゃないのっ!」
やれやれ、お騒がせ三人組のお出ましだ。
現れたのは三人の女子生徒。皆、派手なドレスで着飾っていて、その中で一番小柄ながら一番存在感を放っているのが、伯爵令嬢マディアナ・ハイマン。残念ながら俺と同じ二年生だ。
彼女の両隣にいる取り巻きの二人は……長身の方がレイチェル、小太りの方がサーシャ……だったかな?
俺はこいつらを避けるように移動していた。結果的に俺は接触を回避できたけども、別の人が絡まれている場面に遭遇してしまったようだ。
こいつら、勝手にこの中庭を自分たちのものだと言い張ってるんだよなぁ。
上級生には伯爵以上の貴族がいないから意見できないみたいだし、俺みたいな平民には最初から発言権はない。
結局、貴族と言ってもその中に階級があり、発言力や影響力が違うというのだから手に負えない。
一応、この学園は生まれや育ちを問わず、一定の魔力がある者なら等しく学べる場所……ということになっているのだから、学園側も早いとこ対処してほしい。
「そ、そうだったんですか。知らずに座ってしまい、申し訳ありません。お察しの通り、新入生でして……」
マディアナの特等席ことベンチに座っていた哀れな女子生徒は、特に驚くでもなく柔和な笑みを浮かべて立ち上がった。その様子は落ち着いていて、どこか余裕すら感じられる。
パッと見は貴族のようには見えないものの、それなりに教養は備えているのか。流れるようなお辞儀はとても自然な所作だ。
ただし、こちらがどんなに丁寧に謝罪したところで、お騒がせ三人組が大人しく引き下がるとは限らない。
向かうところほぼ敵なしで一年間を過ごしてきたんだ。そんなに物分りの良いお嬢さんたちじゃないのさ。
案の定、マディアナたちは頭を下げる女子生徒を見てクスクスと嘲笑っている。機嫌が良いんだか悪いんだかわからなくて不気味だな。
彼女らを黙らせることができるのは、生徒の中ではおそらくあの数人のみ……。しかし、どの面子も俺なんかがおいそれと話しかけられるような存在じゃあない。だからと言って、この状況を隠れて見ているだけというのも情けない話だ。
なぜか三人組がざわついているけど、この位置からだと何が起きたのかよく見えない。まぁ、おおかたマディアナが女子生徒をビビらせようとしたのだろう。よくあることだ。
一旦、身を隠している柱に背を預けて深呼吸をすると、そこから冷えが伝わって身体に染み渡った。
「――君たち、どうかしたのか」
低く、冷たい声がした。控えめながら警戒、威圧を含んだ声色だ。気配を消していたのか、近づいてくる足音は聞こえなかった。
驚いて思わず柱の裏で身体を縮こませてしまい、情けないやら悔しいやら。俺は身体をそのままに顔だけを覗かせる。
「マジか……」
突如現れたのは、ユギト・ウーシア。冒険者ギルドのルサジーオ支部長、イアソン・ウーシアの息子だ。
魔法学園に入るほどの魔力は勿論のこと、剣の腕前はそれ以上。実際に見たことはないけれど、ギルドのランク分けでいうとA級かS級並だと聞く。
品行方正で容姿端麗。ファンの間ではその髪色と洗練された身のこなしから、“銀の貴公子”なんて呼ばれているそうだ。
学園内では同級生であり幼馴染であるイグニビル王子の護衛を務めていて、唯一帯刀を許可されている生徒でもある。
様々な出自の生徒がいる学園の中で、一国の王子が一般の生徒と同じように過ごしていられるのは、信頼と実力を兼ね備えたユギトが側にいるおかげだろう。
あの理想的王子の露払いでありながら、隣に立っていても引けを取らない存在感の持ち主だ。
彼の情報は高値で売れるものだから、個人的な接点は持てなくともネタは仕入れておきたい。
……こんな状況でも情報屋もどきの習性が出てしまうあたり、完全に“アイツ”の影響だな。
「ユギト様!? こ、これは……私たちは彼女と……和やかに、お喋りをしていたのですわ!」
ユギトはお騒がせ三人組を黙らせることができる数少ない生徒の一人だ。そんな彼がどうしてここに? 偶然にしてはタイミングが良すぎないか?
しかし、彼が現れたことで一気に状況が変わった。三人組は笑えるくらいに動揺しまくっている。
これで女子生徒は無事に帰宅できるだろう。この流れだと、彼女もすっかりユギトに心酔してしまいそうなものだが……そうはならなかった。
「……お騒がせしてしまい、すみませんでした。私はこれで失礼します」
女子生徒は硬い表情のまま、やたらキレのあるお辞儀をした。
仲裁に入ってくれたらしいユギトを含め、周りの人がポカンと驚いていると、あっという間に女子生徒は走り去ってしまった。
「何なんですの、あの子!」
残されたマディアナが困惑を隠せない様子で呟いた。取り巻きの二人もコクコクと頷いて同意している。
一方、ユギトも何度も瞬きをして驚いている。ふむ、クールな彼にしては珍しい表情をしている。
それにしても、たしかに変わった子だった。学園の生徒のようだし、またどこかで会えるかもしれないな。
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それから、マディアナたちお騒がせ三人衆はユギトからの責められるような視線に耐えられず、逃げるように中庭から立ち去ってしまった。
これに懲りて大人しくしてくれると良いんだけど……あいつら、学習能力なさそうだしなぁ。
続いてユギトも中庭から離れようとしているので、その前に俺も行動を起こさねば。
俺は長らく定位置になっていた柱の影から飛び出して、駆け足でユギトの元へ向かった。
「君は……?」
ユギトとマディアナと同じく俺も二年生だけど、彼らと違って目立つ存在ではないので向こうが俺のことを知っているかは怪しいところだ。
「俺は……目撃者です。ベンチに座っていた女子生徒が、三人組から絡まれているところを見ました」
同級生とわかっているのに、緊張のせいかつい敬語になってしまった。まさか、しがない平民である俺が、冒険者ギルドの若きスターと言葉を交わす日がくるとは……。
ユギトは俺の説明を黙って頷きながら聞いていた。
彼がそんな性格ではないと知っていても、「黙って見ていた卑怯者」なんて罵られるんじゃないかと、思わなかったわけではない。
しかし、ユギトにとってもあの三人組の行動は目に余るのだろう。考えあぐねるように俯いていた。
……よし、これで目標は達成だ。ここから先、俺にできることはない。彼に伝えておけばもうこの件は大丈夫だろう。
その後、二言三言交わしてからユギトとは別れた。
俺は校門に向かい、ユギトは校内に戻った。てっきり同じく校門に向かうのかと思っていたのにな。忘れ物でもあったのか、誰か人と会うのか……俺には関係のないことだけど、興味はある。
まぁいいや。彼をストーキングしてまで情報を得る気はないし、さっさと街へ向かわないと。
無駄に時間を食ってしまったから、走って間に合うかどうか。校門を抜けてから更に歩調を速めると、握った拳にも力が入る。
「待ってろ、安売りー!」
今日は大通りにある精肉店の月に一度のセールなのだ。去年はまだ知る人ぞ知る程度の知名度の店だったのに、最近は情報誌で取り上げられたことで一気に客が増えてしまった。店側にとっては嬉しい悲鳴だろうけど、以前から通っていた客としてはライバルが増えてしまって恐怖の悲鳴だ。
遅れを取り戻すために、俺は脇目も振らずに大通りの石畳を蹴った。
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