第6.5話 別視点

家族 ~ルベウスとオミナ~



「サフィ……」

 次第に意識が覚醒して、自分がうわごとを言っていたことに気付く。

 重い瞼を擦りながら体を起こすと、見慣れた光景が目に入った。


 ここは僕――ルベウス・アイトの研究室だ。

 食堂で食事をしたところまでは記憶があるのだが……。ここにいるということは、眠っている間にあの三人が運んでくれたのだろう。

 こめかみを押さえて頭を振る。さっきまで嫌な夢を見ていたのに、不思議と頭の中はスッキリしている。



 夢の中には妹が出てきた。

 僕は妹を追いかけ、妹は僕から逃げていく。そして、なぜだか夢の中での僕は酷く疲れていて、今にも倒れそうなほど弱っていた。

 ところが、ついに力尽きるかという時にどこからか暖かな風が吹いて僕の体を包み込むと、あっという間に疲れが消えていた。


 ……というのは、あくまで夢の中の出来事のはずだが、こうして目を覚ました後もどこか体が軽くなっている感じがする。


「何だったんだ、あの夢は」

 夢の中で小さな背中しか見えなかった、僕の妹――サフィは10歳の時に病で亡くなった。

 しかし死の直後に神霊化の秘術を施され、魂だけこの世に留まり続けた。



 死んだ人間の魂はこの世……人間界から離れて、神域におわすという女神の御許へ還るという。


 神霊化とは人為的に霊体を作り出して、魂が還らぬように繋ぎとめておく、女神教会が生んだ秘術であり禁術だ。

 その昔、教会が今よりも力を持っていた時、女神の声を聞く巫女シビュリールの能力を、巫女が死んだ後も活用できるようにと目論んで編み出されたらしい。

 結果、術自体は成功した。しかし、死者への冒涜だと批判を受けたことや、霊体の扱いの難しさから、間もなく禁術として封印された。



 ではなぜ、その禁術をサフィに対して使うことができたのか。

 早い話、禁術を生み出して封印した女神教会に協力者がいるのだ。


 僕は共鳴書シンパシースクロールを手に取り、そこに記されていた文字を読んだ。

 次いで、魔力が込められたペンで素早く文字を書き足していく。

 サフィの神霊化、ひいてはコランダの転生召喚の協力者である、彼女に向けて。



 魔研から出た時点で既に外は日も暮れていた。

 この時間帯は教会の入口、巡礼者向けの正門は既に閉まっている。とはいえ、大した問題ではない。

 僕にとっては慣れた道、いくつかの柵や生垣を飛び越えて、教会の敷地内にある部屋を訪れた。



「もう!遅いわね!ご飯が冷めてしまうわ」

 扉が開くと同時に怒声を浴びせられる。

 毎度のことながら彼女――オミナはお節介焼きすぎる。本人にそんなこと言ったら鉄拳制裁を食らうので口にはしないが。

「悪い、研究所を出る途中で無能な輩に捕まってしまってね。アイツ、僕に術式の間違いを指摘されたのが相当頭にきたらしい。ククッ……」

「……ルベウス、貴方の魔法や研究者としての能力が素晴らしいのはよく知ってるわ。でもね、貴方のその性格にも非があると思うのよ。まず貴方は……」

「ねぇオミナ、これ以上立ち話してるとさらにご飯が冷めるよ?」

 オミナとの会話もそこそこに部屋に入ると、小さなテーブルに二人分の食事が用意されていた。


 別に夕飯を用意してくれと連絡したつもりはないのに、僕がまともに食事をしていないのを見越して、彼女はいつも温かい食事を出してくれる。

 はたから見れば母と息子のように見える光景だが、彼女と僕は親子ではないし、血の繋がりもない。



 今の僕には家族というものがいない。

 女神教会の巫女だった母は流行り病で、魔法研究所の所長だった父は事故で亡くなった。

 今は国家間の戦争こそ起こらないが、魔物が跋扈するこの世界では孤児はさほど珍しくない。現に、僕の母もオミナも孤児院で幼少を過ごした。


 両親を失った僕ら兄妹は孤児院へは行かず、貴族であった父方の親戚筋に引き取られた。

 しかし、父は勘当同然で家を出て結婚していたので、それを快く思っていない者からすれば、子供の僕らも邪魔者以外の何者でもなかった。


 ある時、そんな肩身の狭い生活をしていた僕らに会いに来たのが、オミナ・デルフォーという女性だった。

 母の幼馴染であり同僚でもあったオミナは、なにかと僕らに気をかけて、この教会で暮らさないかと勧めてくれた。


 様々な理由からその誘いは断ったが、その後は教会へ訪れる機会も増え、いつの間にか僕ら兄妹の安息の地となった。

 特にサフィはオミナによく懐き、慕っていた。僕にとっても頼れる親のような存在であり、今でも数少ない研究の理解者だ。



 食事の後は、いつものようにオミナ特製のハーブティーが出される。

 オミナは広い教会の敷地内の一画で花やハーブを育てており、季節ごとに違ったハーブティーを客人等に振舞っている。


「眠っている間にサフィの夢を見たんだ。僕には破魔聖女というものが、サフィが命を賭してまで召喚する価値があるのかいまだにわからないよ」

 ティーカップを口元へ運ぶと湯気で眼鏡が曇る。僕は椅子の背もたれに体重を預け、夢について思い出して深い溜息をついた。

 向かいに座るオミナは、持っていたカップを静かにソーサーに置いてから口を開いた。

「あのね、ルベウス。知らない世界に一人呼び出されたばかりのコランダに、一体何ができるというの。彼女の転生召喚が成功したからといって終わりではないのよ。私たちがコランダを支えないといけないんだから、これからが本番でしょう?……きっとサフィが今の言葉を聞いたら憤慨するわよ」

「さぁ、どうだかな」

 幼い頃から付き合いのあるオミナが言うことだ。サフィの考えそうなことも、もちろん僕の考えそうなこともよく分かっている。



 サフィが命を賭してというのは語弊がある。

 しかし、魂だけになってまでこの世に留まっていたのは、ひとえにコランダの転生召喚を成功させるためだった。


 僕とオミナはサフィの想いを十分理解しているつもりだし、周りに何と言われようとも転生召喚の研究は苦だとは思わなかった。

 だが、たまに虚しさを感じる時がある。世界を救おうと尽力しているはずが、貶されることはあっても褒められることはなく、この先何が起こるのかもわからないのだ。


「あぁでも、優しいメノーアとオブシウスは貴方を褒めてくれるでしょうね。特にオブシウスは転生召喚の計画を、息子が後を引き継いでいると知ったらきっと喜んだわよ」

「あの父から褒められるなんて想像できないけどね。あの時、父が転生召喚で事故を引き起こしたせいで、転生召喚反対の機運が一気に高まって、僕たちは人知れず窮地に立たされている。

大した費用もない上に、隠れて転生召喚を成功させるなんて、これで褒められるだけじゃ割に合わないな」

「ルベウス……あの事故はオブシウスのせいじゃないわ」

「でも、それを調べる手段はないからね。結局のところ、その時一番偉かった父だけが悪者になって終わりさ」


 14年前――生前の父は魔法研究所の所長でありながら、自ら転生召喚研究を取り仕切っていた。

 当時は今よりも国から下りる予算や期待の声も多く、成功は間違いないと言われていた。


 しかし、そこで悲惨な事故が起きた。召喚を行った場所にいたもの全て、父も含めた研究員全員が消滅してしまったのだ。

 事故は局地的なものだったが、被害は大きかった。現場では空間が切り取られたように辺りの地面や壁がえぐられていたという。



 転生召喚は魂だけを呼び出すとはいえ、異世界との交わりを意図的に発生させる強大な魔術だ。

 故に、トラブルが起きた時の対策も何重にも練られていたはず。真面目で几帳面な父の性格だ、抜かりなく用意していたことだろう。


 事故が起きた時、まだ幼かった僕には事故の仔細を伝えてくれる人がいなかった。

 数年が経って、魔法学園に入学してから独自に事故について調べた。

 しかし、事故現場ではあらゆるものが消し飛ばされてしまって、証拠も証言も得られないまま、既に魔研の不祥事として片付けられていた。


 ――何かが引っかかる。

 何か大きな力に飲まれているような、言いようのない不自然さを感じるのだ。

 思い返せば父の死後から、そういった違和感に気付くことが度々あった。

 この不自然さは一体何なのか。何年もかけて事故について調べを進めていったところ、なぜか さる高貴な令嬢の存在にたどり着いたのだが……。



「夢といえば、コランダもサフィを見たと言っていたわね。サフィのおかげで、こちらの世界に生きて返ったんだって」

「へぇ、コランダがそんなことを」

「コランダにはサフィのこと、話したわ。でも、コランダの体については……まだ」

 コランダの転生召喚は、低予算で、秘密裏に、少人数で行われた。

 時間も金も人手も足りていないこの状況で、父と同じ方式で転生召喚を行うことは到底不可能だ。


 そもそも、転生者の生前の体をこの世界でも再現するには、膨大な術式と力のある術者が必要なのだ。

 コランダの召喚に当たっては、冒険者ギルドに腕の立つ――かつ、口の堅そうな魔術師を派遣してもらったものの、何も知らない彼らは実験は失敗したと思っているだろう。

 魂の召喚と融合までは力を借りたが、その後の作業のほとんどは僕が一人で行った。というか、内容的にも実力的にも僕にしかできない作業だった。

 低予算でも秘密裏でも少人数でも、コランダの転生召喚が成功したのは、僕の造った“素体”とサフィの“神霊”のおかげだ。


「コランダの体からは人間の温もりのようなものが感じられなかったの。あの様子だと、魔力も皆無に近いわね」

「まぁ、“素体”がアレなら体温も低いだろう。あのバングルは調整魔具であり、同時に魔力抵抗器なんだ。出力も入力も一切受け付けないよ」

「でも……それじゃ、この世界では生きづらいでしょう?少しでも魔法についての知識はあったほうが良いと思うのよ」

「知識があっても使いこなせるとは限らないよ。今まで魔法のない世界を生きていた人間が、魔法を使いこなせるわけがないだろう?」

 事もなげに僕がそう言うと、オミナはがっくりと肩を落とした。

 そして、しばらく間をおいてからようやく顔を上げた。


「コランダは破魔の力を持つ聖女よ。本人は自覚がないみたいだけど、それは間違いないわ。でも、だからといって完全無欠ではないの。

それどころか、右も左もわからないのだから私たちが色々支えてあげないと……って、さっきも同じ話したでしょ?何度同じこと言わせるの!」

「はいはい、わかったわかった」

「とーにーかーくー!!コランダの力になってあげること!それが今できる最善策よ。……というか、それ以外は私が認めませんからね!?」

 興奮気味のオミナは身を乗り出して、僕に向かって人差し指を突き出した。

 僕の方はというと、頬杖をついて欠伸をしていた。


「ふぁ~……コランダに魔法について教えてやればいいんだろ?」

「私は真面目な話をしてるのよ?破魔の力を引き出せるかどうか、世界の命運がかかってるの。これまでの研究も徒労に終わってしまうかもしれないんだから、できることは何でもしないと……」

「そうは言っても、転生者や破魔の力については、僕らもよくわかってないしなぁ。過去の文献だって少ないし、酷い時は処分されてたりさ」

「もぅ!グチグチ言わない!まずは、キチンとコミュニケーションをとるのよ。つまり、コランダと仲良くなること!いいわね!?」

「はぁ?なんだそれは。意味がわからないね」

「何をするにしても、まずは信頼よ。唯一の希望であるコランダに嫌われてしまったら、元も子もないんだからね」

「ふぅん……そんなものか」


 僕の返事を聞いたオミナは、深い溜息をついて額を押さえた。

 僕と会話しているとオミナは度々このポーズをとるが、癖なんだろうか。



 その後、僕はオミナの部屋を出ていつもの空き部屋に入り、備え付けのベッドに横になった。

 そういえば、ちゃんとしたベッドで眠るのは何日ぶりだろうか。ずっと研究室に寝泊まりしていたからなぁ。


 破魔の力で世界を救うという大義名分はあるが、実際のところ僕にはコランダを召喚する本当の理由――もう一つの野望があった。

 単純な話だ。破魔聖女という存在を使えば、あの奇妙な令嬢に近づけるかもしれないのだ。

 ひた隠しにしているみたいだが、あの令嬢は間違いなく何かを知っている。この世界に関わる重大な事実を。


「コランダと仲良く、ねぇ」

 目を閉じて先程のオミナとの会話をぼんやり思い出していると、いつの間にか意識が薄れて深い眠りに落ちていった……。

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