第2話 目覚め2

「――生きてる」


 途切れていたはずの視界が開けて、私は弱々しく呟いた。

 近くの窓から差し込む朝日がやんわりと暖かく心地が良い。


 起こったことを思い出そうとするも、どこからどこまでが本当なのかわからない。これは夢か現か幻か。

 体が溶けたことで暗黒世界へ逆戻りしたはずだけど、今こうしているということは、私はまだ生きてる?それにあの女の子は?探さないと!


「い、たぁ……」

 仰向けになっていたので急いで起き上がろうとしたところ鈍い痛みが節々に走った。

 今回の私はちゃんとしたベッドに横たわっていたようだ。動いた拍子にベッドが軋むので、それなりに年季が入ったものらしい。

 しかしきちんと白い布団が掛けられていたので、誰かが介抱してくれていたみたい。もしかしてここは病院なのかしら。見回しても他に患者らしき人はいないし、個室?

 ぼんやりと頭を働かせていると、突如部屋のドアが勢いよく開いた。


「あー!! ようやく起きたのね!」

「本当!? 急いでルー様を呼んでくるよ」

 部屋に入ってきたのは瓜二つの容姿をした二人の子供……あどけなさの残る愛らしい少年と少女だ。私は突然の出来事に驚いて声を出せずにいた。

 彼らは呆けた私の姿を見ると矢継ぎ早に言葉を交わし、少年は踵を返して部屋を去り、少女は水の入ったグラスを部屋にあった机の上へ置いた。


「よかったぁ。本当に死んじゃったんじゃないかって、心配だったの!」

 椅子に腰かけ、穏やかに笑う少女。その風貌は現代日本では有り得ないもので、コスプレだとしても範囲を超えていると思う。

 先の尖った耳、グラデーションがかった紫色の髪、頬にはスジのような刺青が入っている。


 このファンタジー的配色、前にもどこかで見たなぁ。

 ……あ、そうか。私はまた同じ世界に戻ってきたのか。ドロドロに溶けて一度は離脱した世界、いや、夢……?

 ここが現代日本の病院だと思いたかった私は思わず頭を抱えた。

「大丈夫?どこか痛むの?」

 私の脳内大混乱を知るはずもない少女は、こちらの顔を覗き込んで体調を心配してくれる。

 どこか痛いと聞かれたら、今の私は全身が痛い。しかし、そんなことよりも確かめなければならない疑問が山ほどある。


「ねぇ、ここは……日本ではないの?」

 日本では有り得ない配色をしているのは、もしかしてここが外国だから……とか?だとしても、言葉が通じるのは謎だけどね。

 私の問いを聞いた少女は首を傾げた。

「ニッポン?それは貴方が住んでいた世界?」

 世界、と……そうきたか。いよいよ私の想像を超えた話になってきた。


「ここは以前、貴方が生きていた世界とは違う世界なの」

 固まっている私に追い打ちをかけるように少女は言った。それってつまり……。

「い、異世界トリップ……!?」

 私はカッと目を見開いて叫んだ。

 その様子を見ていた少女は、頬に手を当てながら更に言葉を付け足す。

「そうだねぇ、正確にはトリップじゃなくて転生だよ」



 そんな、まさか!異世界でアレコレなんて漫画やアニメのような出来事だ。

 やっぱりこんなの夢に決まっている。デキは良いけどタチの悪い夢!


 私は黙って力なくベッドに倒れ込んだ。そして目を閉じ、早く夢が覚めてほしいと願った。

 無論、私の願いはすぐに打ち砕かれた。コツコツと部屋のドアを叩く音がしたからだ。先程の少年少女とは違い、ノックをしてから入ってくるあたり良識ある人なのか。


 脱兎の勢いで部屋を出て行った少年を後ろに従え、部屋に入ってきたのは見覚えのある男性だった。

「やぁ、調子はどうだい。破魔聖女アルティメール様」

 低く通った声にハッとさせられる。この人は、ドロドロになった時の……!


 彼は遠慮もなく私の足元、ベッドの縁に腰かけた。ノックをして部屋に入ってくるわりに、勝手に他人様の寝具に座るなんて、礼儀があるのか無いのか。

 彼は以前見た時とは違い、長い髪は柔らかく編み込んで一つに束ねている。格好はもう少しきちんとした服を着ていた記憶があるけれど、今はヨレヨレの白衣を身に着けている。

 キラリと光る眼鏡、その奥に宿る炎のような深紅の瞳は相変わらず。整った顔立ちなのに、薄っすらと目の下にクマがあるように見える。


「あの泥のように眠っていたルー様を、よくこの短時間で起こしたわね」

「聖女様が目覚めたって伝えたら勝手に飛び起きたんだ。アハハ、すごいよね~」

 男性の後ろにいた少年が、いつの間にか椅子に座っている少女の横に立つと、少女もピョンと立ち上がった。

 二人が並んで立つと愛らしい容貌も相まってまるで一対の人形のようだ。二人はキャイキャイ楽しそうに会話をしている。

 私はというと、そこまで和やかな気持ちには到底なれず、沈んだ表情のまま新たな登場人物を睨んだ。

「貴方はこの前の……」

「おや、覚えてくれていたのか。光栄だね。――僕はルベウス・アイト。君を召喚した張本人だよ……ククッ」

 異世界転生、そして召喚……。どうやら、彼――ルベウスも冗談で言っているわけではなさそう。

 一体何が面白いのか、ニヤニヤと笑っているのが不気味だけど。


「あぁ、こっちのちっこい奴らは、アルストとロメリア。騒がしいが害はない」

「なっ!なんですかぁその言い方は!私たちがコランダのお世話をしていたんですよ!?」

「お疲れなのは分かりますが、ルー様はこの三日間、一度も聖女様の様子を見に来ませんでしたよね?」

 最初に噛みついた少女がロメリア。続けてルベウスを非難している少年がアルスト。ということらしい。

 ちなみに、ルベウスは欠伸をしながら二人の抗議を華麗にスルーしている。彼らにとってこういうのが日常茶飯事なのかも。


 それにしても、“コランダ”と“聖女”って……話の流れ的にやっぱり私のことを言っているのかな。

 うーん、どれから聞けばいいか。とりあえず、私も自己紹介しておいた方が良いよね。



「私の名前は、えっと……えー?」

 うそ。ド忘れにしたって笑えない。どういうわけか、自分の名前が口から出てこないのだ。

 口をパクパクさせている私に、ルベウスが憐んだような視線を向ける。

「記憶の欠如、前世の記憶の一部が失われている。やはり二度の剥離によって損傷が出たか」

「なんですかそれは……記憶喪失?」

「君の魂は二度、身体から離れた。一度目は前世で死んだ時、二度目はこの世界に召喚された直後だ」

 頭ではわかってはいたけど、改めて言われると堪える。前世――日本で生活していた時、何が原因で命を落としたのか、私にはわからない。

「前世……。やっぱり私、死んでいたんですね」

 始めは死んだことにすら気付かなくて、ずっと暗闇の夢を見ているんだと思っていたくらい。


 ただ、自分の名前が思い出せないからといって、過去の記憶を全て失ったわけでもない。地球という星の日本という国で、日本人女性として生きていた。それは間違いない。

 より深く思い出そうとすると、頭の中に霧がかかって、そこで記憶が途切れてしまうのだけど。


「それで、だ」

 人がしんみりした気持ちになっているのもお構いなしにルベウスは話を続ける。

「名前が無いと支障が出るだろう。便宜上、我々は君を“コランダ”と呼ばせてもらっている。異論があれば言ってくれ」

「こ、コランダ!?」

 日本人ではまず有り得ない名前!そういえば、みんな西洋風な名前だし、ここはそういう洋風なファンタジーっぽい世界なのだろうか。

 とはいえ、名無しなのは悲しいし、ここはルベウスの言う通りひとまず私は”コランダ”になろうと思う。以前の名前が思い出せるとは限らないけど。


「今の私は名前すらわかりませんから。その”コランダ”という名を拝借してもよろしいでしょうか」

 いまだに信じられないけど、ここが異世界だというのなら、名前も異世界に合わせた方が馴染みやすいかもしれない。


「拝借も何も、君の名だろう。君が決めれば良い。 それと、僕らに敬語は不要だ。堅苦しいのは好きじゃない」

 ルベウスは私を一瞥してから持っていたカルテのような物に字を書き込んでいく。

 その間、アルストとロメリアが嬉しそうにベッドへ近寄ってくる。

「アタシはずっとコランダはコランダしかない!って思ってたから大さんせー!」

「ずっと聖女様、じゃ他人行儀過ぎるもんね」

「そうだ、その聖女様って一体何なんですっ……何なの?」

 敬語は不要って言われた直後、思い切り敬語を使いそうになってしまった。

 私が慌てて言い直す様子に二人はクスクスと笑い、やがて答えを待つようにルベウスの方へと向き直る。


「聖女――破魔聖女とは、この世界に巣くう悪魔を払う唯一無二の力、破魔の力を持った女性転生者のことだ」

「はま……?」

 自分から質問しておきながら、ルベウスの流れるような説明を聞いてもサッパリ理解できない。私、そんな力持ってたかな?


「そこらは追々説明するとして、今は素体の融合深度がどの程度か調べておきたい。ロメリア」

「あいあいさー!」

 ルベウスがカルテから目を離さずにロメリアに指示を出す。するとロメリアが私に歩み寄り、華美な装飾が施された手鏡を差し出す。

 これで自分を見ろということ? 不思議に思いながらも受け取った手鏡に視線を落とした。

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