第16話 心臓
「それで? 何か悩み事でもあるんじゃないの?」
「北条先輩」
ヒカルが目の前に並べられたディナーから顔を上げると、そこに北条
「珍しいじゃない。貴女の方から食事に誘うなんて」
「…………」
ヒカルは諦めてナイフとフォークから手を離し、少し顔を曇らせてナプキンで口を拭いた。レストランに広がる客たちの声や、優雅なクラシックの調べ。ヒカルの表情とは対照的に、しばらく二人の間に沈黙と、活気溢れる店内の音が流れた。
「あの……先輩は今回の事件、どう思ってますか?」
「連続殺人事件?」
やがてヒカルがゆっくりと切り出した。
「こないだの事件から……」
「池谷一家が襲われた事件ね」
資産家・池谷轍の妻が心臓をくり抜かれて殺された事件。
その残忍な犯行の類似性から、この事件は模倣犯か、もしくは今世間を騒がせている連続殺人鬼の仕業ではないかと言われていた。さらに犯人は池谷轍や小学生に上がったばかりの一人娘を襲い、未だに逃亡中である。警察はこの街全域に検問を敷いて、誰一人逃さないように全力で警戒に当たっていた。ヒカルもまた捜査に協力と言う形で駆り出され、探偵事務所に寝泊まりし家に帰れない日々が続いていた。
「犯人は、まだ未成年の可能性もあるとか」
「そうねえ」
「あまり先に犯人像を決めつけてしまうのは、良くないでしょうね。だけど、最初の事件が発生してから未だに尻尾すら掴めていないところを見ると……犯人は私たちが警戒すらしていない、思いもよらない人物かもしれない。案外みんなの前では、普通に振舞ってるかもしれないわ」
「
ヒカルの声は、いつの間にか少し震えていた。
ヒカルの頭の中には、高校生になる
ヒカルは
そのせいで元々大人しかった性格も萎縮し、歪められているのではないかということ。
女装をしたり、普段絶対着ないような服を家族に黙って買い揃え、夜な夜などこかに出かけるようになったこと。その期間は、今回の連続殺人事件が発生した時期とぴったり重なっていた。
そして
ヒカルが
「その……
「さあ、分からないわ。本やドラマの中では見たことがあるけど」
ヒカルはテーブル上の牛フィレ肉から顔を上げ、おずおずと
「だけど、誰にだって表の顔と裏の顔はあると思うわ。学校や職場なんかでみんなと一緒にいる時の性格と、家族や一人きりでいる時の性格。程度の差はあれ、公私が丸っ切り同じな人の方が少ないんじゃないかしら?」
「誰にだって、ですか……それって」
「ん?」
「……いいえ」
ヒカルは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
果たして自分は、どれだけ弟のことを分かっているのだろう?
社会人になり、一緒に居られる時間も少なくなってきた。いじめにしても、子供の頃みたいにずっとそばで守ってあげられればいいのだが、そういう訳にもいかない。むしろ姉としては、命に関わるような
だけど……本当に
もしかしたら別の理由で……と考えてしまうのは、探偵という職業柄、誰かを疑うことが常日頃になっているせいだろうか?
自分の家族を疑いたくはない。単なる偶然であれば、どんなに気が休まることだろう。
だが、とうとう自分たちの住むこの街でも事件が起こってしまったことが、ヒカルをさらに
「……警察では今なんと?」
ワインレッドの、派手なドレスを身に纏った
「私みたいな新米の婦人警官には、何の情報も降りて来やしないわよ。ただ、『夜出歩く中高生にもしっかり声かけしろ』って、それだけ」
「……私にも、高校生になる弟がいます」
ヒカルは紺のスーツの端をぎゅっと握りしめ俯いた。
「その……」
「…………」
「もし本当に、
「待って」
突如ヒカルの言葉を遮り、
「猪本刑事からだわ」
「!」
「犯人らしき少年が、通行人を襲い現在も逃亡中」
やがて戻ってきた早雲の第一声に、ヒカルは息を詰まらせた。
「この付近よ。行きましょう!」
「はい!」
もしかしたら自分の弟は、
そんな疑念を振り払うように、ヒカルは弾かれるように椅子から立ち上がり、北条
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