第17話 心臓②
外に出た途端、大量のパトカーがサイレンを鳴らして西から東へと通り過ぎて行った。夜の街はまだ人通りも多く、赤いランプの群れに、道行く人々は目を白黒させていた。レストランの前の道はパトカーで埋め尽くされていて、タクシーは捕まりそうにもない。二人はハイヒールを脱ぎ捨て、駆け寄った近くのコンビニでサンダルを買い急いで履き替えた。ヒカルは
「猪本刑事!!」
レストランから五分ほど走った近くの商店街の入り口に、大量のパトカーと警官たちが集まっていた。
「北条か!」
「犯人は!?」
「この付近に逃げ込んだのは間違いない」
猪本が低く唸り、まだ歩行客の溢れている商店街を振り返った。二車線ほどある幅の通路に、買い物客や大量の制服警官たちが入り乱れている。猪本は商店街の外、脇道の方を指差した。
「ここは雑居ビルが多くて、横道や細い抜け道もたくさんある。お前たちはその一つに張り込んで、怪しい人物が逃げて来ないか見張っててくれ」
「はい!」
二人は敬礼し、大きな声で返事をした。約五百メートルほどの、商店街を形作る大通り。その外側にある、小さな脇道の一つ一つにも、大量の警官たちが張り込んでいた。ここで逃すわけには行かない、という猪本のギラギラとした目つきに、ヒカルも自然と緊張感が高まっていった。
「犯人の特徴は?」
「犯人は十代から二十代行かないくらいの若い女。客引きを装って通行人を人気のない路地裏に連れ込もうとして、失敗して逃走。まだ刃物を所持している可能性があるから、絶対に油断するな」
「女?」
「行くわよ!」
「は……はい!!」
ヒカルの胸中を知る由もなく、先に路地裏に走り出していた
□□□
ヒカルと
「ヒカルちゃん」
「!」
すると、道の向かいに同じような姿勢で身を潜めていた
「警戒して。相手は殺すことに
「分かりました」
ヒカルが緊張した面持ちで小さく頷いた。
「きゃああああああっ!?」
突然、二人が隠れていた路地からさらに数十メートル離れた付近で、誰かの悲鳴が巻き起こった。ヒカルは体を強張らせ、
「ここにいて!」
ヒカルは角から身を乗り出し大通りを覗き込んだ。悲鳴はさらに他の人へと連鎖し、大通りにいた人々はパニックになって逃げ惑っていた。ヒカルがいる路地にも、数名の若い男女が慌てた様子で走ってくるのが見えた。
「居たぞォ!!」
誰かがそう怒鳴るのが聞こえた、ほんの数秒後だった。大通りから、白いパーカーを着た少女がヌッと姿を現し、ヒカルのいる路地に逃げ込んできた。
写真に写っていた、あの少女に間違いない。
ヒカルは一瞬、心臓を鷲掴みにされたかのようにその場に立ちすくんだ。少女は顔を半分ほど覆う黒いマスクに、サングラスをはめて変装していた。右手には、刃渡り四十センチはありそうな、真っ赤な返り血の浴びた脇差が握られている。さらにその後ろから、大量の警官たちが追ってくるのが見えた。
「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
路地の向こうで、拳銃を構えた警官数名の怒鳴り声が飛んできた。だが少女は立ち止まる気配もなく、少し曲がりくねった裏通りを脇目もふらず突っ走ってきた。ヒカルは一瞬
「止まりなさい!!」
ヒカルの姿を目視した少女は、少しだけ走るスピードを緩め……他に逃げ道がないか左右を素早く確認した後……再びヒカルのいる出口に向けて走り始めた。脇差を両手に持ち替え、『突き』の要領でヒカルに刀身の先を向けて猛牛のように突っ込んでくる。ギラリと光る銀色の刃に対し、ヒカルは覚悟を決めて前に飛び込んだ。
後ろに引くと、リーチの差でやられる。
横に避けると、薙ぎ払われる危険性が高い。
「ハァッ!!」
ヒカルが気合いを入れて息を吐き出した。突き出される刀身の横をすり抜けるように、ヒカルは素早く斜め前に足を運び、相手の勢いも相まって上手く体を捻り少女の背中を取った。細身の少女は慌てて振り返ったが、ヒカルはそのままのしかかるように体重をかけ、少女を地面に押し倒した。少女の手を離れた脇差が、地面に音を立て転がった。
「捕らえました!!」
ヒカルが少女に馬乗りになり、無我夢中になって叫んだ。細身の少女はなおも抵抗を続け、ヒカルの下で暴れ続けている。向こうから、警官たちが怒涛の勢いでこちらに駆け寄ってくるのが視界の端に見えた。暴れる少女が、地面に転がった脇差に手を伸ばそうと必死に
その瞬間、ヒカルは絶句した。
そこにいたのは……紛うことなくヒカルの弟、シュウであった。
ヒカルとよく似た顔。いつも家で会う、よく見た顔。
信じたくなかった。
できれば、間違いであって欲しかった。
恐れていた事態に、ヒカルの表情が凍りついた。
日に焼けていない真っ白な肌に、真っ赤な返り血が数滴。血走った目をした
「そ……」
ヒカルが思わず力を緩めた、その時だった。
「そんな……」
シュウが転がった脇差を右手に掴み、のしかかるヒカルの心臓めがけて勢いよく突き出した。
□□□
…………。
…………。
…………。
……。
……寒い。
目が重い。
何だか酷く、疲れてしまった。 ……もう、眠ってしまいたい。
このままずっと、世界が終わるまでずっと眠りについて、楽になってしまいたい……。
「……ですが、一つだけ方法があります。もちろん絶対助かるとは言えません」
何処か、遠くの方で知らない人のくぐもった声が聞こえてきた。
その声に、ヒカルは暗闇の奥深くに沈んでいた意識を浮かび上がらせ、薄く目を開けた。
目の前には、眩いばかりの光が広がっている。ヒカルにはここがどこなのかも、今何をしているのかも分からなかった。眩しい。寒い。体が、水中にいるかのようにずっしりと重かった。眠い。眠い。眠い……。
「後遺症が残るかもしれませんが……よろしいですか?」
何処かで、聞いたことのある泣き声が聞こえた気がした。
その泣き声に、ヒカルは何故か胸がギュウッと締め付けられた。
ヒカルはふと、横を見た。
そこにシュウがいた。
シュウもまた、ヒカルと同じようにベッドの上でぐったりと横になっていた。
ヒカルは
その時だった。
頭から血を流したシュウが、うっすらと目を開け、それからゆっくりとヒカルの方を見た。姉と目を合わせたシュウは、同じように目から涙を流し、何事かを告げようと小さく口を開いた。シュウの右手が、ヒカルの左手に触れその温度が伝わってきた……ような気がした。
全ては混沌とした意識の中で、造られた記憶だったのかもしれない。
ヒカルがその時の光景を思い出すことは、その後一度もなかった。
それからヒカルは再び暗闇の奥に沈み込み、彼女は深い眠りについた。
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