第14話 肺

「お身体は大丈夫ですか?」

「…………」


 三〇四号室の扉が突然開き、向こうから大きな黒のトランクを抱え、藤堂高虎が現れた。ヒカルの表情は、決して『歓迎している』とは言えなかったが……タカトラは笑みを絶やすことなく、軽やかなステップでヒカルの病室へと入って来た。


 ベッドの上で憮然とした表情を浮かべるヒカルの前で、タカトラはテキパキと彼女にドライフラワーのミニバスケットを渡し、閉め切られていた窓を開け空気を入れ替え、埃の残っていた窓枠を『マイ毛バタキ』で拭き取り、食べかけの病院食を脇に片付け、スマホを取り出し動画サイトからクラシック音楽を流し始めた。部屋中に大音量で”心安らぐ調べ”が響き渡り、女探偵が両耳を塞ぎながら怒鳴った。


「何の用だ!」

「何って……お見舞いに来たに決まってるじゃないですか。胸を射抜かれたって聞いて、ヒカルさんが心配で心配で……」

「帰れ!!」

 射抜かれたのなら、死んでいるはずである。タカトラは激昂するヒカルの前に、トランクから取り出したたくさんのフルーツを並べだした。

「今日はたくさんフルーツを持って来ました。一週間入院するって聞いたから、七ダース持って来ましたよ。リンゴに、みかんでしょ。バナナ、桃、キウイ……」

「いらん!!」

 一日十二個計算で果物を食べさせようとする友人に、さすがのヒカルも悲鳴を上げた。


「お前の存在が体に悪い!」

「まぁまぁ。今お茶を煎れますよ」

 ヒカルの悪態にもめげずに、タカトラは爽やかな笑みを浮かべた。彼が後ろを向いている隙に、ヒカルはクラシックを流し続けるスマホを窓から放り投げた。振り返ったタカトラは少し悲しそうな表情を浮かべ、やがて静かな口調でヒカルに切り出した。


「頼まれていた例の件ですが……」

「何か分かったか?」

 ヒカルが顔色を変えベッドから身を乗り出してきた。だがタカトラは、窓の外を眺めながら残念そうに首を横に振った。

「いいえ。さすがに提供者ドナーの個人情報は固く守られていて……いつ誰が、どの臓器を移植され、今現在どこにいるのか。調べることはできませんでした」

「そうか……」

 タカトラの言葉に、ヒカルは小さく肩を落とした。


の連続殺人事件……その犯人の”臓器の記憶”を持った患者レシピエントたち、か。なんだかSFドラマみたいな話になってきたな」

 ヒカルが無造作に心臓部分を上からさすり、果物だらけになった病室を見渡した。タカトラはヒカルのそばの椅子に腰掛け、肩をすくめた。

「臓器を移植されたからって、何も全員が全員殺人衝動に目覚めているとも限りませんよ」

「そりゃ、そうだが」


 ヒカルがボサボサになった長い髪の毛を掻いた。

「問題は相手が自分の正体殺人衝動を隠して潜伏している場合だな。班目こないだみたいにあけっぴろげな奴ならまだ分かりやすいけど……」

「班目京香は、まだ捕まっていません。これ程時間がかかっているとなると、誰かが匿っている可能性もあります」

「あいつが狙ってたのは私の心臓だ。案外まだこの街の近くに隠れててもおかしくはねえ」

「街に潜む快楽殺人鬼……ですか」

 タカトラの顔が不意に陰った。


の再来ですね」

「…………」


 北条医院の病室にしばし沈黙が訪れた。タカトラがゆっくりと顔を上げると、ヒカルは彼から顔を逸らし、じっと押し黙って窓の外を見ていた。窓の向こうを、黒い鳥の大群が慌ただしい音を立てて通り過ぎて行く。タカトラが座ったままポツリと言葉を零した。


「まだ、本人には何も言ってないんですか?」

「…………」

「シュウくんの……『肺』のこと」


□□□


「ゲホ、ゴホッ!!」

「大丈夫か?」

「すみません、気管によもぎが入りました……」


 心配そうに眉を吊り上げる猪本に、シュウは拳で胸をドンドンと叩きながら謝った。涙目のシュウが急いで水を飲み干している間に、ウェイトレス姿の店員が猪本の前にあんみつ”よもぎ”パフェを運んできた。


「お姉さんの体調はあれからどうだ?」

「大丈夫です。今北条先生のところで、勝手に街を出歩かないよう藤堂さんに見張ってもらってます」

「そりゃ良かった。アイツが大人しくしてるってだけで、こっちも『いつ犯人が襲われるのか』とヒヤヒヤせずに済むってもんだ。それで……」

 猪本が皮肉混じりにスプーンでみかんを一切れ掬いながら、シュウに先を促した。

「”誘拐”ですか?」

 シュウはちょっと困った顔で、小首を傾げて見せた。


「僕は探偵なので……交渉できるかと言われると、ちょっと」

「誘拐されたのは資産家・池谷轍の一人娘の池谷佐織さん」

 カフェ『よもぎ』に流れるクラシックの調べに乗せて、猪本が低い声で語り出した。今日も『よもぎ』にはとんと客入りがない。シュウは相槌を打ちながら、入り口横のレジで白髪混じりの老人の大欠伸をぼんやりと眺めていた。


「下校帰りに一人ウィンドウ・ショッピングをしていた時に誘拐されたようだが、あいにく監視カメラには写っていなかった」

「犯人に目星は?」

 シュウが猪本に視線を戻した。



 班目京香に姉が襲われてから、約一週間が経つ。

 あれから、シュウは嫌がる姉を「大事に至ったらマズイから」と説き伏せ、半ば無理やり入院させた。

 その間、シュウは班目の捜索に全力を出していた。

 すぐに捕まるだろうと言う女探偵ヒカルの予測は外れ、班目京香は警察の網をかいくぐり未だに逃亡を続けている。いっぱしの高校生がたった一人で逃げ続けるのには流石に限界があるから、誰かが裏で手を引いているのだろう、と言うのが猪本の見方であった。問題はそれが一体誰なのか、と言うことなのだが……猪本には悪いが、相手が姉の命を狙っている以上、今他の事件にかまけている余裕はシュウにはなかった。



「いや、まだ分かっていない」

 レジに座る老人の奥、半透明になった磨りガラスの向こうで、白い鳥の群れが大きな羽音を立てて飛んで行った。猪本は渋い顔をしたままゆっくりと首を横に振った。

「ただ、一方的だが警察に犯人からの連絡は届いている。奴は人質解放の条件を出してきた」

「狙いはなんです? 身代金ですか?」

 シュウが訝しんだ顔をして声を潜めた。

  

だよ」


 猪本はシュウの目をじっと覗き込みながら呟いた。猪本の言葉に、シュウの顔がみるみるうちに凍りついて行った。

「犯人は人質を解放する代わりに私立探偵・明智ヒカルの心臓を差し出せ……と、こう言ってきてる」

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