第13話 右目③

「『……おかけになった番号は現在電波の届かないところにいるか、電源が入っておりません』」

「姉さん……!」


 国道を北に向かうタクシーの中。

 何度電話をかけても応答しないヒカルに、シュウは焦燥を隠せず座っていた革のシートを拳で叩いた。陽が沈み、窓の外で通り過ぎて行く夜の街並みは次第に電飾の色とりどりに彩られていく。タクシーは運良く帰宅ラッシュの渋滞に捕まることもなく、順調に進んでいた。だが、信号に捕まりほんの少し動きがストップするだけで、シュウはまるで一時間でも二時間でも待たされたような気分に突き落とされた。


 『電話に出ない』ということは……。

 エンジンを切り遊休停車アイドリング・ストップする車内で、シュウは最悪の事態を想定して表情を歪めた。

 万が一姉が何らかの形で、あの眼帯少女が事件に関わりがあると感づいていた場合……わざと自分からの連絡を断ち、一人で犯人と決着をつけようとしている可能性もある。

  

 いや……今回は少し勝手が違う。いつもなら姉犯人を殺しはしないかと心配になるところだが、今回の相手はトリックもへったくれもない、劇場型の異常バラバラ殺人者だ。何だか嫌な予感がして、シュウはざわざわと内臓の辺りが蠢くのを感じていた。



「ありがとうございます、もうここでいいです!」

 やがて目的地西高校が近づくと、シュウは大きな声でそう叫び、支払いもそぞろに急いでタクシーを飛び降りた。

 周辺の道路は、報道関係者の車が群がり少々混雑していた。車の群れの隙間を縫うように走り、シュウは大勢のカメラマンやリポーターたちが集まっている校門に向かった。

「すみませんっ!」

 シュウは人混みから外れて待機しているTVスタッフの一人に話しかけた。

「ん?」

「この辺で二人組の女性を見かけませんでしたか? 僕の姉なんです……っ!」

「へ? 二人組?」

 もの凄い剣幕でやって来たシュウに、しかしバンダナ頭のTVスタッフは首を横に振った。


「いや……ご覧の通り人で溢れかえっててね。悪いけど、見てないな」

「そうですか……」

「あ、でも」

 がっくりと肩を落とすシュウに、バンダナ頭がタバコを咥えたまま、ボリボリとこめかみを掻いた。


「もしかしたら、映像に写り込んでるかもしれないな。この辺りは昼過ぎからずっと撮ってたからね。動画サイトに随時ニュース上がってるから、何ならチェックして見たら?」


□□□


「お姉さん、覚えてますか? 数年前ワイドショーを賑わした、連続快楽殺人鬼の少年」

「……ッ!」


 ヒカルは、後から波のように襲って来た痛みに耐え唇を噛んだ。彼女の目と鼻の先で、眼帯少女が熱を帯びたような視線で興奮気味に囁き、それからヒカルの胸元に細い指をそっと這わせた。


「オイ、やめ……ッ!?」

「名前は、何だったかしら……当時は未成年だったから、公表されていないかも」

 京香はヒカルの上にのしかかったまま、彼女のシャツのボタンをゆっくりと外し、服を脱がしていった。そして、露わになったヒカルの黒のブラジャーの上から、心臓に狙いを澄まして矢じりを宛てがった。


「ぅ……!?」

「とにかくその子が警察に追われ敢え無く射殺された時……脳死したその子の肉体から、可能な限りの臓器が全国の患者たちに提供されたんですよ」

「!」

 京香がヒカルの面前に手のひらを広げ、それからゆっくりと指を折って数えた。

 

 心臓。

 膵臓。

 小腸。

 肺が二つ。

 肝臓が二つ。

 腎臓が二つ。

 そして、眼球が二つ。



 一人のドナーが一度に救える患者の数は、十一人。



「御察しの通り、私は右目をもらいました」

「……ッ!」

 京香が自分の眼帯を指差してほほ笑んだ。それから彼女はヒカルの背中に手を回し、ブラジャーのホックを外した。暗闇の中、雪のように真っ白なヒカルの肌を覗き込み、京香はますます愉悦に浸った。


「右目が見えるようになった時は、嬉しかった……でも。でもね」

 ひたすら猫撫で声を出していた京香が不意に表情を固くし、能面のように真顔になった。ヒカルは胸元を這う矢じりの不快感に耐え、歯をギリギリと食い縛った。矢じりはぐるぐるとヒカルの皮膚の上を滑っていたが、やがて胸の真ん中でピタリと止まった。


「それ以来、右目はずっと”夢”を見てたんです」

「夢?」

「ええ。人を殺す夢……」

 呆然とするヒカルの目の前で、京香は左目からつう……と一筋の涙を零した。


「目を閉じても、開けていても。ある時急に、右の世界が真っ赤に変わるの。横で楽しくおしゃべりしていた友達の顔が、突然ぐちゃぐちゃに切り刻まれる幻覚に変わったり……」

「…………」

「怖いなんてもんじゃなかったわ。前の持ち主の映像が見えるなんて、そんなこと、フィクションの中だけだと思ってた! それである日、私が家族とTVを見ていたら、また右目が”夢”を見て……それから気がついたら私、手に包丁を持っていたの」

 ヒカルが、痛みの衝撃からだんだんと感覚が戻ってきた自分の指先をピクリと動かした。


「それで私……本当に恐ろしくなって、右目をくり抜いたの」

「う!?」


 京香が虚ろな笑みを浮かべ、自分の眼帯をそっと剥がして見せた。白い眼帯の向こうには、ぽっかりと空洞が広がっていた。ヒカルは、京香のその闇よりも深い穴を覗き込み絶句した。


「だって、そうでしょう? あのまま右目が夢を見続けていたら……私は私じゃなくなっていたわ。右目に宿った快楽殺人鬼の意思に操られて、危うくお父さんとお母さんを殺してしまうかもしれなかった。それから、私思ったの。こんな怖いことは、もう私だけで十分……」

 妖しく光る左目と、空虚な右目に覗き込まれ、ヒカルは唾を飲み込んだ。


 


 私以外にも、

 同じように少年の臓器を移植されて苦しんでいる患者がいるなら、

 

「……って。だから私は腎臓の片方を持つ少女の居場所を突き止めて、こっちに引っ越しを」

「っぃい加減にしろッ!」

「きゃっ!?」


 ヒカルが渾身の力を振り絞り、独眼の少女を突き飛ばした。京香は尻餅を付き、少し驚いた様子でヒカルを見つめた。ヒカルはよろよろと、肌蹴たままの上半身を起こし、手元に転がっていた折れ曲がった金属バットを握り直した。


「勘違いすんなよ……ッ」

「……!?」

「何も右目テメーだけが、になってるワケじゃねえからな!」


 ヒカルがバットを杖代わりに何とか立ち上がり、剥き出しになった自分の胸の真ん中を親指で『トントン』と差した。暗闇の空気をビリビリと震わせる、およそ探偵とは思えないその殺気に、京香もすぐさま起き上がり臨戦態勢に戻った。


□□□


 シュウは校舎の壁を沿って裏側に回り、夜の住宅街を彷徨っていた。

 バンダナ頭のスタッフが言っていた通り、二十四時間体制で生中継されていた動画に、確かに姉と、それからセーラー服を着た少女の後ろ姿が写っていた。シュウが校門に到着する、約二十分前。動画の中で二人は報道陣の横を通り抜け、今シュウが向かっている方向へと消えていった。


「どこにいるの!? 姉さん……!?」


 しかし、そこから先が分からない。シュウは辺りに目を凝らして唇を噛んだ。ポツンポツンと等間隔に置かれた電柱の明かりが、狭い夜道をぼんやりと照らしている。静まり返った校舎の裏手側には民家やアパートが立ち並んでいたが、どこにも二人の人影らしきものは見えなかった。シュウはやがて雑草の生い茂った空き地へと辿り着いた。


 もし、自分が殺人鬼なら……。


 シュウは立ち止まって、流れる汗を拭い、夜風に揺られる雑草を見つめた。


 もし自分がなら、何も報道陣が集まっているこんな時に誰かを殺そうとは思わない。だけど今回の相手は、マトモじゃない。被害者をバラバラにしておいて、わざわざ見つかりやすいよう目立つ場所に置くような劇場型だ。

 例えばもうすでに、こんな風に背丈の隠れる草むらの中で、死体を解体していたとしたら……。

「返事してよ、姉さんッ!」

 シュウが最悪の考えを振り切るように踵を返し、闇夜に叫んだその時だった。


「あれは……!?」

 シュウは目を見開いた。突如、真っ暗だったフェンスの向こう側から、パッと仄かな明かりが灯された。


□□□

 

「……お姉さんこそ、勘違いしないでください。私はもう、右目を取ってあの人から解放されたの。私が行っているのは、救済。殺人鬼の人格に怯える子羊たちを救うための、救助活動なの」

「へえ、そうかい。じゃあ今テメーが手にしたそりゃなんだ?」


 京香はヒカルから目を離すことなく扉の近くまでじりじりと後ずさりし、棚の中に隠してあった大きな弓を手に取った。

「フフ……目が見えなくなるまでは、弓道部だったの。関西あっちでは、結構イイとこまで行ったんですよ」

 京香が弓を構えほほ笑んだ。それから矢じりではなく今度は本物の矢を持ち、キリキリと弦を絞ってヒカルに照準を合わせた。片目の殺人鬼は窓から差し込む月明かりをバックに、背筋をピンと伸ばし、凛とした姿勢を保った。


「お姉さんの心臓も、すぐにくり抜いてラクにしてあげますね。それから、校門の前に飾って上げる。右目は、私がもらって帰るわ。もしかしたら、今度こそ私にピッタリかもしれないから」

「すげえな。何言ってるか分かるけど、何言ってるか分かんねえ」


 ヒカルが参った、とでも言うように肩をすくめた。

「残念だけど、テメーもう十分その殺人鬼に毒されてんよ……」

「シッ!!」

 京香が躊躇いもなく弓を放ち、闇を引き裂いた矢はヒカルの露わになった肌に突き刺さった。

「ぐあ……!!」

 だが飛んできた矢は心臓ではなく、わずかに狙いを外しヒカルの肋骨に突き刺さった。探偵ヒカルが激痛に顔を歪め再び膝をつく。対照的に、犯人京香は前髪を掻き揚げ悲しげな表情を浮かべた。


「ダメねぇ……やっぱり右目がないと。狙いが定まらない」

 京香が凛とした姿勢のまま、次の矢を弓に宛てがった。

「……うらあぁッ!!」

 ヒカルはあらん限りの力で吠え、持っていた金属バットを京香に向かってぶん投げた。弧を描いて飛んでいったバットは、しかし京香にひょいと避けられた。

「どこを狙って……」

 再び弓を引こうとした京香に、ヒカルは膝をついたまま嗤って見せた。

「電源だよ」

「え?」


 その途端、真っ暗だった部室にパッと明かりが灯った。ガシャアアン! と大きな音がして投げ出されたバットは扉の近くの電源スイッチにぶつかり、部室の中を転がって行く。突然天井から降り注いた白い明かりに、京香は思わず顔を強張らせた。


「誰かいるの!?」

 すると、部室の外からくぐもった声が聞こえてきた。その声を聞き、今度はヒカルが苦悶の表情を少し緩め、対照的に京香はピクリと眉を動かした。


「へへ……」

「ちぃ……っ!」

 

 京香は扉の前に立ち尽くし一瞬逡巡したが、やがて舌打ちすると、すぐさま明かりのついた部室から外に飛び出した。


□□□


「誰かいるの!?」


 シュウは明かりの灯った部室の一角を振り返り、驚いた様子で叫んだ。さらに部屋の中からは、何かをひっくり返したような鈍い音が聞こえてくる。シュウは草むらの中に足を踏み入れ、光の灯った方向へと歩き出した。フェンスに顔を寄せ、暗闇の中に目を凝らす。すると、バタン!! と大きな音がして突然部室の扉が開かれた。


 扉から飛び出してきたのは……病院で出会った、あの少女だった。

 先ほど電話口で、班目京香と名乗った、セーラー服の少女。その右手には、矢が握られている。

 部室からこちらに走って向かってくる少女に、シュウは思わず屈んで草むらに身を潜めた。

 その目。

 血走った左目と、それから眼帯が外れた彼女の右目にぽっかりと穴が空いているのを見て、シュウは息を飲んだ。少女は慌てた様子で、草むらの陰に隠れたシュウに気づくこともなく、フェンスの一角から這い出すとそのまま空き地を突っ切って夜道を駆け抜けて行った。少女の姿が見えなくなってから、恐る恐る顔を上げた。


 少女が這い出してきた箇所を調べてみると、人一人が屈んで通れそうな穴が空いていた。シュウはそこからグラウンドの中に入り込み、明かりのついた部室へと走った。

「よお」

「姉さん!?」

 扉を覗き込むと、シュウを待っていたのは上半身を肌蹴させ血を流す姉の姿だった。姉の胸部に突き刺さる矢を見て、シュウは絶句した。慌てて倒れ込む姉の元に駆け寄り、助け起こす。


「……不良の溜まり場だって聞いてたからよ。もしかしたら電源だって点くんじゃねえかって、当たりだったわ」

「姉さん……!」

「……悪ぃ。損ねた」

「……そこは損ねた、でしょ。それより、早く救急車を……!」


 シュウは姉の口ぶりに少し平静さを取り戻し、急いで救急車と警察に連絡を入れた。矢は体に突き刺さったままだったのが幸いしたのか、吹き出た血はそれほど多くない。


「やっぱり、あの子が犯人だったんだ……」

 シュウは入り口に転がる弓を呆然と見つめた。

「どうしよう、逃しちゃった……」

「別に、捕まるだろ。顔も割れてんだから」

 ヒカルが苦しそうに息を吐き出した。

「喋らないで! 今助けが」

「それよりも……」

「姉さん?」

「それよりも問題なのは……あんな奴らがまだうじゃうじゃ潜んでるってことだ」

「え? なんて言ったの? ……姉さん?」


 シュウは大量の汗を滲ませるヒカルを見つめた。ヒカルは掠れた声で「なんでもねえ」と呟き、それから苦悶の表情を浮かべたまま、弟の腕の中でゆっくりと瞳を閉じるのだった。


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