第12話 右目②
「俺はこれから遺体の発見者たちを集めて、署で詳しく話を聞く。シュウくんは清和西高校から、何か情報が聞けないか手伝ってくれないか」
「分かりました」
神妙な面持ちでパトカーに乗り込んでいく猪本を見送って、シュウは頷いた。清和西高校は、被害者の通っていたとされる高校だ。ここからなら、タクシーで三十分くらいだろうか。シュウは現場を後にし、付近の路地を一人ぶらぶらと歩きながら、猪本に資料として転送してもらった
「…………」
画面に映し出される、細切れになった被害者の写真を見つめながら、シュウは唇に手を当て押し黙った。
間違いない。
被害者の胴体が着ているこの制服は、先ほどシュウが病院の待合室で出くわしたあの少女のものと同じだった。それに、バラバラになった死体からは、右目だけが見つかっていないという。あの子もちょうど、右目に眼帯を巻いていた。シュウはゴクリと唾を飲み込んだ。単なる偶然なのか、それとも……。
「!」
すると、突然千切れた右足の写真が『ヒカル姉さん』の文字に切り変わった。シュウが一呼吸置いて『通話』のボタンを押すと、受話器の向こうから聞き慣れた元気な声が飛んできた。
『もしもし? シュウか?』
「姉さん? もう起きたの?」
『ああ』
どうやら検査が終わったらしい。シュウは一安心してため息を漏らした。そのまま携帯電話を片手に、タクシーを止めようと大通りに向かった。
「今、病院? 迎えに行くよ……待ってて」
『いや、それがよ……』
ヒカルが喋り続ける間、大通りではシュウの目の前を『乗車中』のランプを灯したタクシーがビュンビュンと何台も通り過ぎて行った。シュウは右手を上げ、向こうから突っ走ってくる乗用車の群れに目を凝らした。
『聞いたよ。そっちじゃバラバラ殺人が起きてるそうじゃねえか。私も聞き込み行くから、現地で落ち合おうや』
「えっ……だ、誰に聞いたの?」
シュウは携帯を落っことしそうになった。出来れば、姉が事件のことを知る前に解決しておきたかった。受話器の向こうで、ヒカルが少し楽しそうに声を張り上げた。
『もう、TVでやってるよ。”バラバラ死体発見”って、病院の待合室でデカデカと放送してた。んで、よく見たら被害者の制服、ウチの近所の高校じゃねえか』
「そうなの? よく気づいたね、姉さん」
『ああ、実はな。待合室に、被害者と同じ制服を着てた女子がいて、話しかけてみたんだけどさ……』
「え……?」
ヒカルの言葉に、シュウが凍りついた。
さらに、次に受話器の向こうから聞こえて来た声に、シュウは心臓を鷲掴みにした。
『もしもし? 弟さんですか?』
「……!!」
……ヒカルと変わったその声は、その喋り方は、先ほどシュウが待合室で会った、あの眼帯の女の子に他ならなかった。少女の柔らかな声が、身を強張らせたシュウの耳を優しく撫でた。
『初めまして。私は二年B組の、班目京香と申します』
「班目……!?」
班目京香。高校生にしてはえらく馬鹿丁寧な言い方だったが、何だか作り物のような気がして、シュウは背筋にゾクゾクと寒気を感じた。喋り方にところどころ関西の訛りがある。出身は関西なのだろうか? シュウはゴクリと唾を飲み込んだ。沈黙を続けるシュウの代わりに、猫撫で声の少女が再び喋り出した。
『ええ。これからお姉さんと、西高に向かいますんで……よろしゅうお頼み申します』
「待って! 姉さんに変わっ」
シュウが喋り終わるか終わらないうちに、通話は一方的に切られた。
「……!」
シュウの耳元で、通話終了の音がいつまでも虚しく響き続けた。立ち尽くす彼の目の前で、一台のタクシーがランプを点滅させて止まり、ゆっくりと後部座席を開けた。だが、シュウは右手を上げたまま、しばらくその場に固まって動けなかった。先ほどまでの電話の猫撫で声が、耳にこびり付いて離れなかった。
「お客さん?」
「!」
前の席から、運転手が怪訝そうな顔で身を乗り出し、シュウはそこでやっと我に返った。
「乗るんですか?」
「は……はい!」
シュウは汗まみれになった手のひらで携帯電話をぎゅっと握りしめ、転がるように後部座席へと飛び込んだ。
「どちらまで?」
「せ、清和西高校まで……急いで! お願いします!!」
シュウの叫び声とともに後部座席が自動で閉まり、タクシーは再び駆け抜けて行く車の群れの中へと合流した。
□□□
「いいんですか?」
「ン?」
「携帯。ずっと鳴ってますよ?」
京香がヒカルの隣で、ブルブルと振動するヒカルの胸ポケットを指差した。ヒカルはタクシーから窓の外を眺めながら、ぶっきらぼうに答えた。
「ああ、いいんだよ。どうせ
ヒカルが胸ポケットから携帯を取り出し、しかめっツラで画面を確認した。
「あいつ、最近ミョーにウルッさいんだ。弟のくせに……私に事件に関わって欲しくない、みたいな。こないだなんか、私に『事件に行くな』って言ったんだぜ? 『全部僕に任せて』って。私だって、探偵なのに」
「ふふ……」
ヒカルの言い草に京香は小さく笑みを零した。すでに陽は沈み、すれ違う対向車の中には、ぼちぼちライトを点灯する車が現れ始めた。
「良かった。私……」
「ン?」
薄暗がりになった車内で、京香がポツポツと語り出した。
「先月、西高に転校してきたばっかりだったんです」
「そうなのか?」
「ええ。右目が悪くって……」
京香はそう言うと、細い指で、眼帯の上からそっと自分の右目をさすった。
「……治してもらおうと、関西からこっちまで。なのに急にこんな事件が起きて、怖いなって思ってたところに、探偵のお姉さんが」
京香の言葉に、探偵がニヤリと笑った。
「なぁに、私もツイてるぜ。関係者が向こうからやって来てくれるなんて」
「お姉さんは……」
ヒカルがふと視線を向けると、京香が左の瞳を物憂げに潤ませ、じっと彼女を見つめていた。
「どこが?」
「え? どこって? あぁ……」
ヒカルは最初何のことを尋ねられているのか分からなかったが、彼女の右目を覆い隠す眼帯を見て合点がいった。
「ここだよ」
そう言ってヒカルは自分の胸の中心を親指でトントンと突いた。京香が驚いたように口をパクパクと開けた。
「まあ! おっぱい!?」
「違うわ。心臓だよ。話せば長くなるけど……カリモノなんだ」
「そう……そうですよね。まさか、おっぱいがあるはずもないし」
「何言ってんだ。急に失礼だなオイ」
ヒカルが不機嫌そうに鼻を鳴らした。京香がヒカルの……少々小ぶりな……胸の辺りを無遠慮にジロジロと眺め回した。
「まぁ……! いきなり心臓だなんて、私」
「え?」
「私ツイてますわ、お姉さん」
「なんだよ? さっきから一人ブツブツと……思春期か?」
「ええ、思春期ですけど……今着きましたわ。降りましょう」
「ったく、着いたりツイてたり……ややこしいなァ、オイ」
ヒカルが思春期少女の言動に若干引いていると、やがてタクシーは目的の高校の前で停車した。ヒカルが目を細めて、薄暗くなった校舎を見渡した。すでに時刻は十九時を回り、グラウンドには巨大な照明が灯されている。校内からはまだ野球部の掛け声や、トランペットの練習する音が聞こえてきた。ヒカルは小さくため息を漏らした。
「ったく。お友達がバラバラになったってのに、呑気なモンだ」
「ウチは、私立の進学校ですから。居残り学習する人もいるから、いつも二十一時までは学校開いてるんです。校舎が爆発したって開いてますよ」
「そんなモンかね」
ヒカルは肩をすくめ、校門の周りに集まった大勢の報道関係者を見渡した。
辺りには怒声が飛び交い、大騒ぎになっていた。
校門の前にはたくさんのカメラが押しかけ、それに向かってリポーターが興奮気味に何かを捲し立てている。守衛の警備員たちが数名、校舎の中に雪崩れ込もうとする関係者たちを必死にブロックしていた。
「生徒が出てくるまで、しばらく待ちか……」
人混みから離れ、校門の前でため息をつくヒカルに、京香が小さく手招きした。
「お姉さん、こっちです」
「どこ行くんだ?」
「しっ。校舎の裏に、野球部が昔使ってた部室があって。そこの金網の破れたところから、こっそり入れるんですよ」
「ホントか?」
声を潜めるヒカルに、京香がぺろっと舌を出して頷いた。
「私も……亡くなった静子ちゃんも、生徒たちは良くその昔の部室使ってたんです。誰も来ないから、授業辛くなったらみんなそこでサボってて」
「なるほど。お宜しくない生徒たちの溜まり場、ね。何かしら手がかりがあるかもしれないな」
「もしかしたら、まだ見つかってない右目も発見できるかも……!」
耳元でこっそり囁く京香に、ヒカルは若干目の輝きを取り戻した。
「行ってみようぜ!」
それから二人は守衛の横を通り過ぎ、校舎の壁を沿って歩き始めた。
□□□
「ここか?」
民家やアパートが立ち並ぶ狭い路地裏をぐるりと回って、二人は校舎の裏手側にまで辿り着いた。京香は何も言わず、そこからさらに雑草が生い茂る空き地に踏み込んでいく。空き地に面した金網には、確かに人がかがんで通れるくらいの大きさの穴が空いていた。草むらの中で、京香が後ろから着いてきたヒカルを嬉しそうに振り返った。
「ね? 学校の人は草が伸びきってて、気づいてないみたい。生徒の間では有名なんですけどね」
そう言って京香は膝をつき、金網の破れた穴をくぐり始めた。
金網を抜けると、ヒカルは服についた土を払いながら辺りを見渡した。
人気はない。
ここには照明も届かず、周囲はすっかり暗闇に包まれていた。
向かって左手には、遠く向こうに黒い校舎の影と、グラウンドで打球を追いかけているユニフォーム姿の生徒が小さく確認できた。右手には、使われなくなった部室の跡が並んでいる。
どうやらヒカルは、先ほどまでいた校門の反対側の、グラウンドの端っこに来ているようだった。二人の間を、冷たい夜風が吹き抜けていった。
「こっちです」
京香が並んでいた部室の扉を開け、ヒカルを手招きした。少女が部室の一角に入って行くのを見て、ヒカルは物音を立てないように後に続いた。
「今は、物置になっちゃってますけど」
部室の中は、外にも増して真っ暗だった。ボロボロになった木製の棚のあちらこちらに、破けたグローブや壊れたマシンなどが置いてある。ヒカルはゆっくりと中に歩を進め、暗闇の部室の奥に転がっていた折れた金属バットを手に眺めた。京香が扉まで走っていき、静かに部室の扉を閉めた。
「なあ」
真っ暗になった部室の中で、ヒカルが扉付近にいる京香を振り返った。扉の小窓から差し込む月の光だけが、唯一部室の中を四角い形に淡く照らしていた。
「京香チャンは、●された友達のこと、何か知ってんのか?」
「ええ」
ヒカルの言葉に、四角い月明かりに照らされた京香の背中が、ピタリと動きを止めた。
「静子ちゃんは……私が西高に来て初めて出来た友達でした」
「そう……そうだったのか」
京香の様子に、ヒカルが少しトーンを落とした。京香が悔しそうに顔を歪ませた。
「可哀想に……あんな風にバラバラにされて」
「……バラバラっていえば、さ」
暗闇の中で、ヒカルがポツリと呟いた。
「どうしてアンタ、右目が見つかってないって知ってたんだ?」
「え?」
京香が少し驚いたように振り返った。そして、ヒカルの右手に握られている折れ曲がった金属バットを見つめて、小さく唾を飲み込んだ。京香の左目の視線が不安定に揺れ動くのを、ヒカルは見逃さなかった。
「だって……TVではバラバラになった死体、としか言ってなかったろ? なのになんで、右目のこと知ってたんだ?」
「それ、は……」
「それは?」
ヒカルの声が徐々に鋭く尖っていった。京香はしばらく押し黙っていたが、やがて顔を伏せ、ブルブルと震え出した。ヒカルが金属バットを構えた。
「……彼女は、腎臓だったんです」
「……腎臓?」
「だけど、どこにあるのか分かんなかったから……ッ! あんなに、手間取っちゃって……可哀想に、痛かったろうに……ッ」
「オイ。大丈夫かアンタ」
ヒカルが右手にバットを構えたまま、震える京香にゆっくりと近づいた。
その瞬間。突然突進して来た京香の、いつの間にか右手に握り締められていた小さな矢じりが、ヒカルのわき腹に突き刺さった。
「熱っ……!?」
「だけど、今度はきっと大丈夫……!」
京香のタックルを受け、ヒカルがそのまま後ろに倒れ込んだ。のしかかるような形になり、京香が倒れたヒカルの目と鼻の先に顔をくっつけ、左目を三日月型に歪めて嗤った。
「今助けますよ、お姉さん」
「……ッ!!」
「私がすぐにあの人の心臓を、取り出して差し上げますからね」
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