第二幕
第11話 右目
「どうですか? 北条先生……」
不安そうに顔色を曇らせるシュウに、白衣の女医が頷いてみせた。
「ええ。大丈夫、健康そのものよ」
女医・北条政子は、青白く光るノートパソコンから顔を上げ、それからガラスの向こうで安らかな寝息を立てているヒカルに目をやった。政子の言葉にシュウはホッと安堵のため息を漏らした。薄明かりの診察室には、先ほどドーナツ型の穴の中に入れられ、全身をCTスキャンされたヒカルの『輪切りレントゲン写真』がボードの上に貼られている。シュウが白黒になった姉の心臓の写真をぼんやりと眺めていると、政子が自販機で買った熱いお茶を差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「フフ……いいのよ。でも、油断は禁物よ」
白い湯気の中に顔を埋めるシュウに、政子は柔らかなほほ笑みを浮かべた。少し疲れたような、それでいて人懐っこいその笑い方が
「もう少し調べたいことがあるから、シュウくんは先に帰っていても構わないわよ」
「僕……外で待ってます。姉さんが目を覚ますまで……」
シュウは立ち上がり、隣の部屋で寝息を立てる姉を見つめた。政子はシュウに『探偵用カバン』を手渡しながら、彼の耳に顔を近づけて囁くように言った。
「
「ええ。ありがとうございます、北条先生」
シュウは少し顔を赤らめながら、そそくさと診察室を後にした。彼が廊下の角を曲がるまで、政子は扉の前に立ち、ひらひらと手を振りながら見送っていた。シュウが見えなくなった後、政子の顔色が哀しげに曇ったことは、もちろん彼は知る由もなかった。
□□□
「ふぅ……」
定期検査を受ける姉と別れ、一階の『北条医院』の待合室まで辿り着いたシュウは、空いていた青いベンチに腰かけポケットから水玉模様のハンカチを取り出した。
姉が心臓の移植手術をして、早五年以上。
移植のリスクは当然付きまとうものの、今のところ経過は順調である。
心優しく、正義感に溢れ、虫も殺せないような姉さん。
そんな姉が日々健康に過ごしてくれることが、今のシュウにとって一番大事なことだった。そのためにも、姉に余計な負担をかけるわけにはいかない。自分がもっともっと探偵としての腕を磨き、姉が”犯人を殺す前に”、事件を解決しなくては……。
「もしもし? お姉さん?」
「えっ?」
シュウが一人物思いに耽っていると、突然彼の太ももに白い手がそっと伸びてきた。細長く、体温を感じさせないひんやりとした手が肌に触れ、彼は思わずビクッと体を震わせた。急いで左側を見ると、目に包帯を巻いたセーラー服の若い女の子が、小首をかしげシュウの顔を不思議そうに見つめていた。彼女はシュウのスカートから露わになった太ももに手をおいて、しばらく固まったままのシュウと見つめ合った。
「え……」
「携帯、落としましたよ」
「えっ……あ」
彼女はシュウの太ももから手を離すと、さらに身を乗り出しシュウの右側の奥を指差した。見ると、奥のベンチの下にシュウの携帯が転がっている。ポケットからハンカチを取り出した時、落ちてしまったのだろう。シュウは慌てて自分の携帯を拾い上げた。
「ありがとう」
「いえいえ……おおきに」
シュウが頭を下げると、眼帯の女の子が隣でほほ笑んだ。彼女もまた、この病院の患者だろうか。まるで日本人形のように綺麗に短く整えられた艶のある黒髪には、上品な金の簪が挿されているのが見えた。シュウが改めておかっぱボブの女の子に何か話そうかと思っていた矢先、突然彼の携帯がブルブルと震え出した。
「早雲所長」
シュウは画面に映し出された相手の名前を見て、急いで待合室を出た。
『シュウくん、事件よ。今動ける?』
「ええ。今ちょうど病院にいたとこです」
電話に出るなり、先ほどの政子女医とそっくりの声が聞こえてきた。最も、
『急いで。バラバラ殺人みたい。場所は……』
「すぐ向かいます」
シュウは所長と話しながら道端で手を上げ、タクシーを止めた。『探偵用カバン』と一緒に後部座席に飛び込み、運転手に行き先を告げながら、シュウは姉の眠っている『北条医院』のビルを振り返った。
「そういえば……」
シュウは政子からもらったお茶に口をつけながら、ふと首をかしげた。
「どうしてあの子、右目が見えないのに僕の携帯が落ちたって気づいたんだろう……?」
□□□
「普通【バラバラ殺人】ってのは、死体を隠しやすくするとか、身元が簡単に割られないためにやるもんだ」
シュウが現場に顔を見せると、トレンチコートを羽織った猪本警部が憮然とした表情で頭を振った。
「ところが、だ。この死体は、バラバラのくせにどれもこれも目立つ場所ばかりに置かれてやがる。駅の入り口、学校の校門の前、郵便ポストの上……どれもこれも、見つけてくださいと言わんばかりにな」
「被害者の身元は判明したんですか?」
シュウは黄色いテープを潜りながら警部に尋ねた。
「ああ。被害者はA川静子。この辺りの高校に通う女子高生だ」
「女子高生……」
猪本は表情を変えずにシュウに写真の束を渡した。駅の入り口に転がった右腕、校門の前に置かれた胴体、郵便ポストの中にねじ込まれた指……その中の一枚、被害者の胴体が着ていたセーラー服に、シュウは見覚えがあった。
「【劇場型猟奇殺人】……役満だろ。明日の朝刊もワイドショーも、これで持ちきりだろうよ。警察としても、これだけ派手に挑発されて黙ってるわけにゃいかない」
「犯人に目星は?」
シュウが写真から顔を上げた。猪本は悔しそうに首を振った。
「いや……まだだ。家族から近隣住民、仲の良かった生徒に先生まで……徹底的に洗い出すつもりだ。ただ、少し気になる点がある」
「気になる点?」
猪本が顔を上げ、シュウの目を覗き込んで頷いた。
「ああ。右目だよ。これだけたくさんの死体の破片が発見されとるのに、被害者の右目だけが、まだ見つかっておらんのだ」
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