第8話 ダイイングメッセージ②

「ここは……?」


 A島D也が目を覚ますと、彼の視界は暗闇に閉ざされていた。

 自分が目隠しをされているのだと気がつくのに、数秒かかった。一体この場所がどこなのか。どうして自分は目隠しをされているのか。彼には全く身に覚えがなかった。何者かに一切の光を遮断され……さらにD也は、自分が縛られているのに気がついた。

「どうなってんだよ……!?」

 後ろ手に回された両腕を力任せに動かすが、極太の鎖に阻まれビクともしない。彼は椅子に座らされたまま、両手両足を拘束され監禁されていた。誘拐か、それともテロだろうか? 自分が置かれている状況が次第に明らかになって来ると、彼は一瞬パニックに陥りかけた。


『A島D也』

「ひッ!?」

 すると、突然耳元で機械音が鳴り、D也は思わず飛び上がった。そこで彼はようやく、自分の耳にヘッドフォンが被せられているのを知った。聞いたこともない、ロボットのような無機質な声だ。無人のATM現金自動預払機の方が、もっと流暢に日本語を話すに違いない。おそらく誰かが、自分を特定されないように声を変えているのだろう。耳元で声をかけられ、D也は首筋にぞわぞわと寒気が走った。

『父親を殺したのはお前か?』

「は……?」


 耳元の機械音が唐突に、無機質に彼にそう問いかけた。耳を塞ぐ訳にもいかず、D也は暗闇の中でぽかんと口を半開きにし、途方に暮れた。一体向こうが何を喋っているのか、さっぱり頭に入って来ない。そもそもこの状況がまだ理解できていなかった。D也は正直、もう泣き出したい気分だった。

『答えろ。父親を殺したのはお前か?』

「何言ってんだよ? ここはどこだ? 俺を一体どうするつも……」

『ぎゃああああああッ!?』

「!?」


 突然、ヘッドフォンの向こうから悲鳴が聞こえて来て、D也は絶句した。悲鳴は随分と長いこと……D也にはそう感じられた……向こうから聞こえてきた。

 やがて悲鳴が途絶え、シン……と静まり返った真空の中に、再びあの機械音がD也に尋ねて来た。

『答えろ。父親を、A島B太郎を殺したのはお前か?』

「…………」

 D也は唖然としたまま、答えられなかった。これは…………。

『一度しか説明しないからよォく聞いとけよ』

 耳元で鳴り続ける機械音が、D也にはどこか遠くの方に感じられた。

『お前には今、【嘘発見器】がかけられている。お前がを付けば、に電流が走る。お前がのことを言えば……お前の兄、ACに電流が走る。さっきのはサービスだ』

「……!」

 D也は息を詰まらせた。

 先ほどの悲鳴は、兄であるC乃助の悲鳴だったのだ。サービスで電流を流された方は、たまったもんじゃない。

『もう一度聞くぞ。? 三秒以内に答えろ。答えないんだったら、次はお前の兄に質問するだけだ。兄にも同じ仕掛けをしてあるからな。三……二……』

「ま……待ってくれ! 俺は……ッ!!」

 無機質に告げられるカウントダウンに、D也は縛られた格好のまま、慌てて唾を飛ばした。

 これは、この状況は、誘拐でもテロに巻き込まれたわけでも、ない。


 と、暗闇の中でD也はようやく理解した。


□□□


?」

「ええ」


 シュウは人型の白いテープの周りを指差した。

「見てください、この血の量。メッセージを遺すにしては、流れた血液が少なすぎる。これだけの文字を書くには、大量の出血が必要なハズです。それなのに、被害者には特に目立った外傷もない」

 シュウの視線の先には、どす黒く変容した血液が斑点のようにポツポツと絨毯の上に飛び散っていた。それから、白いテープの上で事切れ、瞳孔を開くB太郎に目をやった。猪本が唸った。

「待ってくれ。確かに死因の特定はまだだが……我々はこのメッセージを見て、てっきり他殺だと判断していたが……まさか」

「自殺や病死の可能性も、無くはありません」

 シュウが猪本を見て頷いた。猪本がさらに目を白黒させた。

「じゃあ、このメッセージはどうやって……? 一体誰が、何のために?」

「これはきっと……」 

「警部!」

 シュウが口を開いた、その時だった。突然現場に若い警官が入ってきて、死体のそばに立っていた二人に鋭い声を飛ばしてきた。

「大変です! ガレージで……」

「何だと!?」


 若い警官が、全身に汗を流しながら今にも泣きそうな顔で猪本に叫んだ。その慌ただしい様子に、猪本もすぐに何かを察知し慌てて血相を変えた。猪本とシュウは、若い警官に連れられるままに現場を飛び出し、A島邸の外にあるガレージへと走った。合計十台は乗用車を駐められる巨大なガレージには、何やら大量の警官たちが集まって騒いでいた。近くには救急車も停まっていた。

「どいた、どいた!」

 猪本は唸り声を上げると、蜂の巣を突いたような集団を掻き分けて奥へ奥へと進んでいった。そのガタイのいい体を盾に、シュウもまた彼に続いた。ガレージの中では、赤いポルシェの中から全身を鎖で拘束された若い男が、救助隊や警官たちに助け出されているところだった。


「どうなってる!?」

「A島です、A島D也です。彼が、自宅のガレージから発見されました。何者かに監禁されていたようで……」

「何ぃ!?」

 赤いポルシェの前に辿り着いた猪本が、現場の警官に説明を受けその場に立ち尽くした。シュウは猪本の背後から足を伸ばし騒ぎの様子を覗き込んだ。目隠しをされ、ぐったりとした男からは、肉を焼いたような焦げ付いた匂いが漂っていた。

「A島D也は衰弱している模様で……先ほどから譫言のように『犯人は俺だ』と繰り返しています」

「犯人!? 犯人って、何の犯人だ?」

「それは、自分たちには判断しようが無く……」


 若い警官の両足が地面を離れ、彼が「ひっ」と悲鳴をあげた。猪本が若手の首根っこを捕まえて吊るし上げている間に、車の中から救助されたA島D也が担架に乗せられシュウのすぐ隣を通り過ぎて行った。

「お……俺だ……」

 到着した救助隊に運ばれるA島家の次男は、焦点の合っていない目でボソボソと独り言ちていた。

「犯人は、俺だ……俺が文字を書いたんだ。本当だ……信じてくれ、嘘じゃない……!」


 シュウはその様子を呆然と見守っていた。すると、道を開けるためモーゼの海のようにサッと別れた人混みの向こうに、シュウの見知った顔が立っているのが見えた。

「警部さん!」

「藤堂さん……」

 シュウは驚いて目を丸くした。その男……藤堂タカトラは、集まった警官たちよりも頭二つ分くらい大きな上背で、猪本とシュウのいるガレージの中に笑顔で手を振っていた。


「どうしてここに……」

 やがて周囲に人だかりが少なくなると、タカトラが二人に駆け寄ってきた。

「姉さんを迎えに行ったんじゃないんですか?」

「ええ。見事にフラれましたけどね。この家の亡くなった奥さんのね、遺産の件を担当していたのが僕なんです」

 シュウの問いかけに、タカトラが爽やかに白い歯を浮かべた。

「お二人こそ、どうしてここにいるんですか? もしかして、何か事件でも?」

 猪本が首をかしげるタカトラに事件のあらましを話して聞かせた。タカトラは、初めはにこやかに話を聞いていたものの、この家の主人が亡くなったと聞き、次第にその顔を引き締めて行った。


「なるほどですね。それはそれは……」

 話を聞き終わったタカトラが目を細めた、その時だった。突然ガレージの中に大きな声が響き渡った。

「シュウ!」

「姉さん!!」

 集まっていた三人に向かって、姿を現したヒカルが猛スピードで駆け寄ってきた。

「なんで電話出ないんだよ!? ずっとかけてたんだぞ」

「え? そうなの? 気づかなかった……」

 姉にそう指摘され、シュウは慌てて携帯電話を取り出した。彼の携帯には、同じ番号からの着信履歴がずらっと並んでいた。


「もうイイわ。所長に電話して場所聞いたから。何か、事件だったのか? どうして私も呼んでくれなかったんだよ? 今日出るって知ってたろ?」

「え? ええっと……」

 猪本がヒカルをジロリと見て低く唸った。

「お前がいても、余計ややこしくなるだけだからな」

「そりゃどう言う意味だ? 猪本のオッサン」

「まあ、まあ」

 早速取っ組み合いになりそうなヒカルと猪本を制止し、タカトラが白い歯を浮かべた。


「ナンダカンダあったけど、事件は解決したみたいですから。これで”めでたしめでたし”としましょうよ、ねぇ? シュウくん」

「ええ……」

 シュウが啀み合う二人の間で、少し迷った顔をしながら頷いた。

「……ありがとうございます、藤堂さん」


□□□


「そ。じゃ結局、他殺じゃなかったわけだ」


 綺麗に整頓された書斎に、淹れたての珈琲の香りが漂う。カフェ”よもぎ”で販売されているオリジナルブランドの豆で作られた珈琲が、北条探偵事務所所長・”北条はやも”のお気に入りだった。所長は回転椅子に腰掛けたまま、目の前で直立不動になるシュウに笑いかけた。


「そのD也っていう次男が、自分の兄を貶めるために偽のダイイングメッセージを拵えたのね? 遺産を独り占めしようとしたんだ」

「ええ……」

「悪いことって、結局いつかは見つかっちゃうのねえ」

 所長がしみじみと呟いた。シュウはデスクの前に立ったまま、浮かない顔で頷いた。デスクの向こう側、所長の背後のブラインドが降りた窓の脇には、淡い碧色の金魚鉢が置かれていた。

「ご苦労様。これで事件解決だ」

「…………」

「まだ何かあるの?」

 鉢の中の更紗琉金が、酸素で満たされた淡水の中で優雅に身を翻した。所長は早雲はやもと刻印されたマグカップを口に運び、その場から動こうとしない新米探偵に目を細めた。


「まさか……例の監禁騒動の犯人。アレ、君のお姉さんの仕業だなんて言わないでしょうね?」

「いえ……僕は、姉の拷問シーンも何度か見たことがあるんですけど」

「とんでもないことをさらっと口にしてくれるわね、あなた」

 所長が苦笑いを浮かべた。シュウは至って真面目な顔つきで続けた。

「拷問と呼ぶにはあまりにも殺人未遂に近いシロモノで、とても相手から何か引き出そうと言う気も感じられず……。僕が止めなければ、容疑者は今頃日本刀で真っ二つになっていたでしょう」

「猪突猛進って感じだもんね、ヒカルちゃん」

「姉さんならきっと……縛って嘘発見器だなんて回りくどいことせず、真っ先に二人に斬りかかって行ったと思います」

「そう……じゃあ、アレは誰が?」

「…………」


 シュウは所長の問いかけには答えず、目をそらした。A島B太郎の息子、C乃助とD也両名を監禁した人物は、まだ捕まっていなかった。姉ではない……と思いたい。だけどそれは、実の姉だから、無意識に私情も入っているのかもしれない。 ”姉は決してそんなことをしない”と、残念ながらシュウには確証が持てなかった。でも、だとしたら誰が……。


「姉さんは、今……」

「ヒカルちゃんなら、仕事復帰して捨て犬の捜索に当たってるところよ。安心して。殺人事件なんて担当させてないから」

 所長がブロンズヘアをかきあげ笑いかけた。シュウの表情は、だがそれでもまだ優れなかった。

「……僕、姉さんの様子見てきます。やっぱりちょっと不安なので」

「そ。頑張ってね」

 シュウはそう言うなり、弾かれるように書斎を飛び出して行った。所長は相変わらず椅子に腰掛けたまま、ぐるぐるとその場で回転しながら去っていくシュウに手を振った。


□□□


、ねえ……」

 シュウがいなくなり、書斎には所長一人が残された。所長は徐に立ち上がると、閉じられたブラインドの隙間から窓の外の様子をじっと覗き込み、一人静かに呟いた。


? シュウちゃん……」

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