第7話 ダイイングメッセージ
「誕生日おめでとうございます」
「…………」
ヒカルが外に出るなり、門の外で待っていた男がにこやかに彼女に笑いかけた。シックな紺色のスーツに身を包んだ、背の高い男だった。腕に抱えた小ぶりの花束をジロリと見て、ヒカルは彼を氷の眼差しで見上げた。
「世間はもう冬ですよ」
にこやかな笑みを浮かべ花束を手渡そうとする男を素通りして、ヒカルは黙って誰もいないコンクリートの道を歩き始めた。舗装された道の上には、パラパラと白い雪が舞い落ちて来ていた。男は爽やかな表情を崩すことなく、白い歯を浮かべたままヒカルの後を追い縋った。
「二年間捕まってたから、二年分です。二十五歳ですかね? 二十六?」
「…………」
「今夜の晩御飯はすごいですよ。ケーキも、なんと二個用意してます」
「いらねえ」
「それとも……『五歳』の方が正しいんですかね? ヒカルさん。その心臓的には……」
ヒカルがピタリと立ち止まり、男を振り返った。その鋭い眼光に、彼も思わずその場で表情を凍らせた。
「高虎」
「はい……」
「二度と言うな」
「分かりました」
タカトラと呼ばれた若い男が首を勢い良く縦に振って頷いた。ヒカルは前を向き直り、再び黙って歩き始めた。
「車が用意してありますよ。送って行きましょう……」
タカトラの指差した道の向こうに、黒いクラウンが停まっているのが見えた。タカトラが小走りでヒカルの横に並び、彼女に厚手のコートを差し出した。さすがに寒かったのか、ヒカルは受け取った赤いコートに細い腕を通し、頬を薄紅色に染めて白い息を吐き出した。
「……アンタには感謝してる」
ヒカルは肩をすぼめて小刻みに体を震わせ、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ホントならもっと長いことぶち込まれてるハズなのに、こんなに早く出所できんだからな」
「ええ。ヒカルさんの弁護にはいっつも大変苦労させられてますけど」
顔中のシワを寄せるヒカルとは対照的に、タカトラは屈託もなく笑った。
「それもきっと、ヒカルさんの刑務所での行動が模範的だからですよ」
「貶された後に褒められてもな……」
ヒカルが参ったとでも言いたげに頭をぽりぽりと掻いた。タカトラは何一つ気にすることなく、背の高いヒカルのさらに上から、彼女にチェックのマフラーを巻き始めた。
「……気をつけてくださいね、ヒカルさん。何度も再犯すれば、当然その分刑期も伸びます。そのうち本当に出てこられなくなりますよ」
「……シュウはどこだ?」
二人は路駐してあった黒いクラウンの隣に辿り着いた。タカトラは後部座席を開けると、そこから小ぶりの白いトートバッグを取り出した。ヒカルはタカトラからトートバッグを奪うように受け取り、中から携帯電話を取り出した。それからヒカルはタカトラが静止する間も無く、逃げるように雪道を走り出した。
「お前は先、帰ってろ。何かあったら連絡する」
「分かりました」
「あと、ケーキは二個もいらねえ!」
そう捨て台詞を吐いて、ヒカルは雪の降り積もる道を駆け抜けどんどん小さくなっていった。黒いクラウンの上に雪の結晶が一粒振って来て、すぐに溶けて表面を流れ落ちた。道端に一人取り残されたタカトラが、花束を抱えたまま小さく苦笑した。
「残念ですねぇ……こんなにステキな日なのに。元カレより、弟の方が優先だなんて」
□□□
「被害者はこの屋敷の持ち主のA島B太郎。奇しくも先月が誕生日だったそうだ」
「…………」
シュウは猪本警部の話を聴きながら、現場に残された人型の白いテープと、その周りでどす黒く変容した被害者の血をじっと眺めていた。
「聞き込みによると、最近じゃ、家族との関係もあまり良くなかったらしい。彼にはA島C乃助と、D也って言う二人の息子がいるんだが、彼らの母親……つまり被害者の奥さんに先立たれ、遺産相続の件で弁護士と随分揉めてたようだな」
猪本が手に持った調書を読み上げながら、低く唸った。シュウは死体の転がった場所に身をかがめたまま、じっと絨毯に残された血痕を見つめていた。被害者は思ったより綺麗なもので、ポツポツと斑点のような吐血に塗れている以外、目立った汚れもなかった。
「ああ……それな。ダイイングメッセージってやつだ」
シュウの視線に気づき、猪本が彼の上から血痕を覗き込んだ。
「犯人の名前を伝えようと、被害者が死ぬ間際に書いた文字だ」
白い絨毯の上には、真っ赤な血文字で大きく『Cのすけ』と書かれていた。猪本が肩をすくめた。
「だけどこの手のメッセージは、偽装って場合もあるし鵜呑みにはできんな」
「ええ」
「真犯人が、息子のC乃助に犯行を擦りつけようとしている可能性もある。今DNA鑑定を頼んでるところだが……」
シュウはそこでようやく血文字から顔を上げ、殺人現場となったB太郎の寝室を見回した。奥さんの形見なのだろうか。シュウにはその価値がイマイチよく分からない、真珠でできたネックレスが額縁に入れられ壁に飾ってあった。部屋の中は荒らされることもなく、物取りや外部の犯行と言う訳ではなさそうだった。もちろん、犯人が捜査官の考えを見越して、そう偽装している可能性もあるが……お金が目当てなら、まず真っ先にこの高価そうなネックレスが目につくはずだ。
「……二人とも家は出てるとは言え、家族だしな。親父の部屋から息子の指紋や痕跡が見つかったところで、決定的な証拠としては欠ける」
「つまり、今のところ手がかりは、このダイイングメッセージだけって訳ですね」
シュウの言葉に、猪本が渋い顔で頷いた。
「『二人のうちどちらかが被害者を殺した』……そういえば、シュウくん」
「はい?」
猪本がふと何かに気がついたかのようにシュウに声をかけた。シュウはキョトンと首をかしげた。
「君のお姉さん、明智君だよ。そろそろ出所するころなんじゃないかね? 迎えに行かなくていいのか?」
「ええ……」
今度はシュウが渋い顔をする番だった。
「だからこそ、姉が来る前に、早めにこの事件は解いておきたいんです」
「ハハ、なるほどな」
猪本が豪快に笑った。
「違いない。明智君がいたら、今頃はまず二人のどちらか怪しい方をとっ捕まえて、縛り上げてそうだな」
「それだけで済むといいんですが……」
シュウが冗談とも本音ともつかない口調で、ちょっと困ったように眉をひそめた。
「多分姉さんなら、今頃二人まとめて煮え上がった釜に投げ込むくらいのことは、やってのけると思います」
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