第3話 発火トリック

「だから、その日は仕事で出張に行ってたって言ってるでしょ?」


 A野がドアを閉めながら、面倒くさそうに吐き捨てた。シュウは慌ててドアの間に足を差し込み、家の奥へと消えようとする男にすがった。

「待ってください。あなたの命に関わることなんです。どうか話だけでも……」

「命?」

 重々しい言葉に、A野が思わず吹き出した。

「そんな大げさな」

「冗談なんかじゃありません。あなたはBヶ原さん殺害の容疑者なんですから」  


 彼の後ろをつけてきたシュウの目は、しかしどこまでも真剣そのものだった。まだ人気ひとけもある住宅街の一角。騒ぎを起こしては面倒だ。シュウが一向にドアの隙間から足を退けそうにないので、A野は仕方なく彼に向き合った。

「殺害? だってなんだろ?」

「でも警察は、事件と事故両方の疑いで捜査してるみたいですよ。Bヶ原さんを恨んでいる誰かが、放火した可能性もあるって」

 声を上ずらせるシュウに、A野は頭をポリポリと掻いた。

「フゥン……。君が言いたいのは僕がその、Bヶ原を殺した犯人に狙われるかもしれないってことかい?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

「じゃあ何か? 僕が犯人だとでも?」

「…………」


 暗がりの隙間から真顔でじっと見つめられ、シュウは思わず押し黙ってしまった。はっきりとした証拠がなければ、犯人として立証することは難しい。

「確かに、僕はBヶ原を恨んではいた」

 玄関先で、A野がポツリと語り出した。


「だけど僕だけじゃない。彼を憎んでいた人はたくさんいたよ。正直、ロクな人間じゃなかったからね。創業一族の一人息子だか何だか知らないけどさ、若くして社長ってことを鼻にかけちゃって。金遣いも荒いし、部下にも友達にもわがまま放題で……こう言っちゃなんだけど、死んでスッキリしたって人間も多いんじゃないかな」

「…………」

「だけどさっきから言ってるように、彼の家に火が上がった時、僕はBヶ原自身の命令で、出張で秋田にいたんだ。六〇〇キロ離れた場所にいる人間が、どうやって東京にいる彼の家に火をつける?」

「それは……」

「悪いけど、他を当たってくれ。僕は彼とは幼馴染だし、一緒に地元の会社に勤めてるから真っ先に疑われるのも分かる。だけど……」


 A野が表情を崩さず、ドアノブを強く引いた。シュウは、仕方なく突っ込んでいた右足を引っ込めた。

「僕にはれっきとしたアリバイがある。Bヶ原社長に殺される謂れはあっても僕にはないよ、

 A野はそれだけ言うと扉の向こうへと消えていった。寒空の下に一人取り残されたシュウは、黙って風に翻されるスカートの端をギュッと握りしめた。


「あなたが容疑者である時点で、危ないんです……」


 ……ということをどうやったら上手く伝えられるか分からず、シュウはもどかしい思いで閉められたドアを見つめていた。


□□□


「そりゃいくらでも方法はあんだろ。携帯電話だって自然発火する時代だぞ、今は」


 ヒカルがそう言って口元に付いたクリームを舌で舐め取った。

 2人の住む近所にあるカフェ・『よもぎ』。

 壁際の席で、シュウはストロベリーアイス”よもぎ”パフェを美味しそうに食べる姉をじっと見つめていた。平日の昼過ぎとあってカフェの中には客が少なく、あまり聞かれたくない話をするにはもってこいだ。この老舗のカフェ・『よもぎ』で、シュウは先ほどのA野とのやり取りをヒカルに話しているところだった。


 『よもぎ』は、一見するとボロボロの、古びた扉と看板を掲げてはいるが、中は小綺麗でイマドキのオシャレなカフェだった。店内には有名なクラシック音楽が流れ、四方の壁にはオーナーの趣味か、向日葵や肖像画などの油絵が所狭しと並んでいる。何でも今のオーナーによるとお祖父さんから譲り受けた店で、ずっとそのまま当時の古い看板を未だに使っているらしい。


「洗濯機だって炊飯器だって、自動車だって何から何まで電気制御ボタン一つ遠隔操作リモートできるんだ。アリバイなんてあってないようなもんさ」


 ヒカルがパフェの下の層の、サクサクとしたフレークを銀のスプーンで突きながら呟いた。

 今日のヒカルはブラウンのダッフルコートにチェックのマフラー、それに先端にふわふわのポンポンがついた白のニット帽と、防寒対策完備の出で立ちだった。それでも、子供のようにほっぺたを林檎色に染め、時折体を寒そうに小刻みに揺らしているのは、元来極度の寒がりだからだろうか。


「じゃあ犯人は、Bヶ原社長が帰宅した時を狙って、遠隔操作で彼の家を燃やした?」

「かもな」

「でも、だったら発火装置が現場から見つかるんじゃない?」

「発火装置自体を可燃性にしとけばいい」

 シュウの問いかけに、ヒカルが溶けかけのバニラアイスを口に運びながら言った。

「タバコとか、その家に元からあってもおかしくないものを使ったんだろ。仕掛けが作動して装置ごと完全に燃えきったら、証拠は残らない」

「そっか。その家にあっても、おかしくないもの……」

 シュウは急いでスマホに保存してあった、事件のデータを確認した。先週不審火で焼け死んだBヶ原社長は、喫煙者ではなかったはずだ。だとしたら……。


「要するに……だ」

 口元に手を当て考え込むシュウに、ヒカルがテーブルの向こうからグッと身を乗り出して嗤った。




 ヒカルが前回の『事件』で逮捕されてから、出所するまで約三年が経った。

 その間にシュウは高校を卒業し、大学へは行かず姉の務める探偵事務所に姉の”見習い”と言う形で転がり込んだ。ヒカルは、本来ならばそのまま路頭に迷ってもおかしくなかった。だが今の探偵事務所の所長はヒカルの心臓移植の件を知っていて、彼女をシュウ共々快く雇ってくれた。ただし、殺人事件や大掛かりな事件は担当させない、という条件付きでだ。もともと数名で回している小さな探偵事務所なので、そんな大きな事件が舞い込むこともないはずだった。そして今回任された事件も、最初はただの火の不始末だったはずなのだが……。



 今回の『事件』が起きたのは、今から一週間くらい前だ。

 Bヶ原建設の社長の、Bヶ原C彦の自宅から突然不審火が上がり、家主であるBヶ原氏が焼死体になって発見された。当初は火の不始末による事故とも考えられていた。だが下請け会社との金銭トラブルや、所謂”コネ人事”をよく思わない会社幹部との軋轢が次第に明らかになり、ヒカルは嬉々として事件性をもう一度洗い直し始めた。これに慌てたのは、シュウの方である。




「……要するに、証拠はすでに隠蔽されている可能性が高い。だったら、犯人に自供させるのが一番だ」

「うん……」

「これからじっくり、一人一人ヤっていくさ」

 ヒカルが嬉しそうに嗤った。『一体何を』とは、シュウは聞くに聞けなかった。ヒカルは再び腰を下ろし、パフェに手を伸ばし始めた。シュウはしばらく黙って姉の食べっぷりを見つめた。 

 

 どうやらヒカルは、会社の幹部でありBヶ原社長の幼馴染であるA野部長を疑っているようだ。

 動機は十分だが、A野にはアリバイがある。

 事件当日、彼は東京の本社を離れ秋田にいた。

 遠隔操作の発火装置を使ったのだとしても、証拠はすでに焼却されている可能性が高い。


 可燃性で、どの家にあってもおかしくないもの。

 考えてみれば、いくらでもありそうだ。机に椅子、衣服、書類……。


「……ンだよ? 何笑ってんだ?」

「いや……」

 不意にヒカルが怪訝そうに首をかしげた。シュウは緩んでいた表情を引き締め、弾かれるように立ち上がった。

「僕、もう行くよ。もう一度A野さんに話聞いてくる」

「おう」


 席を離れるシュウに、ヒカルは片手でスプーンを動かしたまま、もう片方の手でひらひらと手を振った。店を出ていく時、シュウが扉の前でチラリと後ろを振り返ると、ちょうどヒカルが2つ目のパフェを頼んでいるところだった。シュウはゆっくりと扉を閉めた。扉についていた古びた鈴が、からんころん、と小気味良い音を立てた。


 ヒカルは子供の時から、『よもぎ』のストロベリーアイス”よもぎ”パフェが大好きだった。


 手術後の姉の、『変わっていない部分』を見て、シュウは自然と笑みが溢れてくるのだった。

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