第2話 密室殺人②

 右に四つ、左に四つ。

 合計八部屋分の客間が並んだ廊下の端に、シュウとB禎は出向いていた。長い廊下の突き当たりにある大きな窓では、相変わらず大粒の雨がガラスを叩いていて、静まり返った廊下に激しい雨音を響かせていた。島に嵐が上陸してから早数時間。唯一外部との交通手段である船は、危なくてとても出せる状態ではないと言う。警察が到着するのも、幾分か先のことになりそうだった。

「急ぎましょう」

 シュウがB禎を促して、殺されたD岡が泊まっていた『103号室』へと向かった。

「それにしても……」

 事件現場である『103号室』の扉を開けながら、B禎が不満げに口を尖らせた。


「なんで犯人の僕が、自分で証拠を探しにいかなきゃいけないんだ」

「人質を取られましたからね。このままじゃA田さんが……」

「探偵が進んで容疑者を●そうとするんじゃないよ。犯人をみすみす殺したら、『探偵失格』なんじゃないのかよ? ったく……」

 B禎はなおもぶつくさと文句を言い続けた。部屋に入ると、椅子にもたれたままのD岡の死体が二人を出迎えてくれた。『103号室』は片付けられることもなく、死体発見当時そのままになっていた。シュウは部屋の中を見回した。橙のカーペットに、付けっ放しのままの電気スタンド、観光案内のパンフレットと、ベッドの上に折り畳まれた洋服……そして部屋の中央では、暗く濁った目をしたD岡が、口の端から涎を垂らし、瞬き一つすることなく虚空を睨んでいる。B禎が思わず顔をしかめた。


「……D岡さんが発見された時、彼の部屋には内側から鍵がかかっていました。そしてその鍵はD岡さんが握りしめていた……この『密室』の謎を解かなければ、自殺と判断されてもおかしくありません」

「そうだったね。と言うか、そう仕向けたのは僕なんだけど」

「どうやって密室を作ったんですか? 犯人のB禎さん」

「それを犯人ぼくに聞くのか……」

 真顔で尋ねるシュウに、B禎が少し呆れた顔で振り返った。


「毒だよ、毒」

「毒?」

 キョトンとしているシュウに、B禎は肩をすくめて見せた。

「ああ。遅効性のリシンさ。リシンはタンパク質の合成を停止させる。飲んでから十時間後に効いてくるから……D岡が部屋に戻って寝る時間を逆算して飲ませれば、彼は何も知らないまま自ら密室を作ってくれる、って算段だった」

「なるほど。昨晩の夕食後ですか……これでようやく死因が分かりました」

 シュウがようやく納得したように頷いた。

「何せ医者なんて一人もいない中の検死でしたから。でもだとしたら、なぜヒカル姉さんはD岡さんが他殺だと気付いたんでしょう?」

「そう、それなんだよ。彼女は、なぜか現場を一目見てこれは他殺だと騒ぎ出した」

「少し推理してみましょう」


 シュウが考え込むように右手を口元にやり、それから部屋の鍵を内側からかけた。オートロックでもない、よくある普通のツマミを捻るタイプの鍵だ。

「発見当時、鍵はこのように閉まっていました。D岡さんが昼になっても食堂にやって来ないと言うことで、僕らは様子を見に行った。そこで異変に気がついた……」

「こんなこと聞くのもなんだけど……僕の密室トリック、どうだった?」

 少し強張った顔でそう尋ねるB禎に、シュウは振り返って柔らかい笑みを浮かべた。

「良かったと思いますよ。最初は僕も薬の過剰摂取による自殺かと思ってましたもん。部屋には内側から鍵がかかってたし、死因が毒だと分からなければ他殺だと疑うこともなかったと思います」

「そうか」

 B禎が少し誇らしげに息を吸い込んだ。


「キミも、お姉さんと同じ探偵なのかい?」

 B禎がシュウをつま先から天辺までマジマジと眺めた。

「その……聞いてもいいかな? キミ、男の子だよね? その服……」

「ああ……」

 B禎の言葉に顔を上げたシュウは、少し照れたように頬を染め、履いていた紺のスカートの端をキュッと握りしめた。


「僕……僕はまだ、探偵じゃありません。ただ姉さんの付き添いの……弟です」

「弟……?」

「はい。僕、子供の頃から弱っちくて、ずっとイジメられてて……ほら」

 そう言うとシュウは袖を捲り上げた。B禎は「なるほど」と呟いた。姉のヒカルと似て、シュウもまた線が細く、蛍光灯の下に晒された彼の白い腕は、握ったら簡単に折れてしまいそうなほどだった。

「……それで、ずっと姉さんの背中に隠れて生きてきたんです。それがある日、ふとしたきっかけで姉さんの服を着ることになって……そうしたら、女装コレがすごくしっくり来てですね」

「なるほど」

 B禎はもう一度マジマジとシュウを眺め回し、そう呟いた。


 確かに女性に見えないこともない。細身だし、何よりくっきりとした目元が姉そっくりだった。背丈も同じくらいだ。頭には赤いカチューシャをつけている。耳が隠れるくらいの、茶色に明るく染めてあるミディアムヘアを、そのまま長く伸ばせば姉と見分けがつかなくなるかもしれない。B禎にジロジロと至近距離で眺められ、シュウは少し恥ずかしそうに目を伏せた。

「女装してると落ち着くって言うか……安心するって言うか……」

「…………」

「あ……もしかしたら……!」

 そこでシュウは不意に視線を逸らし、締めた扉の前から部屋の中をじっと見渡した。その仕草に、B禎は少し会話をはぐらかされたような気がした。あまり直接は触れられたくはない部分なのかもしれない。きっと、イジメから自分を庇ってくれた”強くて頼り甲斐のある姉”に、自分も同化しようと思っての無意識の趣味嗜好なのだろう。B禎はそう分析したが、口には出さないでおいた。シュウが耳にかかっていた髪をかきあげ、気を取り直すように一つ咳払いをした。


「ゴホン。とにかく、証拠を上げるには……」

 そこでシュウは言葉を切った。

 言葉を続けられなかったのである。

 次の瞬間、ドスッと鈍い音がして、彼の顔のすぐ隣から銀色に光る刃がものすごい勢いで扉を突き破って来た。向こうから突き立てられた刃は彼の耳の横をかすめ、彼のふわふわした髪を何本か切断した。

「うわあッ!?」

「何だ!?」

 ドスドスドスドス!! 

 と木造の扉を打ち抜く音とともに、鋭い刃の切っ先がモグラ叩きの的のように何度も扉の向こうから現れた。B禎はその場に尻餅をつき、シュウは青ざめた顔で慌てて扉から飛び退いた。顔面蒼白になり言葉を失う二人の前で、ボコボコに穴の空いた扉がギィィィィィ……と音を立てゆっくりと崩れ落ちた。


「よお」

「ヒィィ……ッ!?」

 シュウが息を飲んだ。扉の向こうから現れたのは、例の私立探偵だった。探偵は焦点の合ってない目で部屋の中をギョロリと眺め回し、真っ赤な舌で上唇を一舐めした。その右手には、脇差がしっかりと握られている。シュウとB禎が床に転がりながら悲鳴を上げ抱き合った。先ほどの応接間の後で一体何があったのか、白のワンピースはところどころ引き裂かれ、ポツポツと赤い返り血が付いている。真っ暗な廊下を背景に、首を斜めに曲げ、だらんと両腕を前に垂らしたその姿にB禎が目に涙を浮かべながら叫んだ。


「助けてくれえ!」

「証拠は見つかったのか……?」

「待て、待ってくれ。証拠ならある!! 僕が毒を手にいれた経路ルートを教えるから!! 入手経路ルートを詳しく辿れば、僕が犯人だって分かるはず……!!」

「毒?」

 探偵がゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。不規則な歩調で近づいてくるヒカルに、二人は必死に後ずさりした。ヒカルが獲物を追い詰める捕食者のように、喉から低い唸り声を上げた。

「毒か……それで、自殺に見せかけて●そうって寸法だったワケだ」

「ああ、だから……!」

「よォし分かった。じゃあ死ね」

「ええぇ!?」

 驚き目を丸くする二人の前で、ヒカルが脇差を両手に持ち頭上に掲げた。


「どうして……!?」

「どうして、って……テメーが犯人なんだろ? 証拠もアガったんだろ?」

「確かに犯人だけど! アンタこそ、仮にも探偵だろ!? 僕は証拠探しに協りょ……」

「ハッ。ヒト一人●しておいて、自分が●されるのは嫌だなんて、そんな屁理屈がまかり通るかよ?」

 ヒカルが愉しくて堪らない、と言った具合に嗤った。

「ぎゃあああああッ!?」

 それから何の迷いもなく振り下ろされた脇差は、間一髪横に転がったB禎のシャツの端を切り裂いて、床に深々と突き刺さった。姉が脇差を引き抜こうと動きが止まった一瞬の隙を付いて、シュウが急いでヒカルにタックルを決めた。橙のカーペットの上で、姉弟がサバンナで争い合うライオンとシマウマの如くもつれ合った。


「どけよ!! 犯人が逃げるだろうが!!」

「逃げて!! 犯人のB禎さん!!」

「ぎゃああああッ!!!」

 探偵姉弟にそう言われ、B禎が口から泡を吹きながら転がるように出口へと向かった。

「そこまでだ!」

 B禎が外へと逃げようとしたその瞬間、壊された部屋の扉から大量の男たちが雪崩れ込んで来た。

「動くな! 警察だ!」

「ヒィ……ッ!?」

 B禎は大量の警官たちに行く手を阻まれ、再び尻餅をついた。部屋に突入して来た警官の一人は、足元で怯える犯人には目もくれず、並々ならぬ殺気を放つ女探偵に向けて叫んだ。

「明智光! 殺人未遂並びに銃刀法違反で現行犯逮捕する!!」


□□□


「分かりましたよ」

「へ……?」

「姉さんがどうして他殺だと気付いたか……です」


 護送船の中。両腕に銀の手錠を嵌められたB禎に、シュウがそっと近づいて話しかけた。

「服、ですよ。殺されたD岡さんの部屋には、ベッドの脇に綺麗に折りたたまれた洋服が置かれていたじゃないですか。自殺する人間が、明日着ていく服を用意するなんておかしな話ですからね」

「…………」

「あの時、B禎さんが僕の服装のこと言ってくれたじゃないですか? あれで気が付いたんです。この謎が解けたのは、B禎さんのおかげですよ!」

「…………」

「……あれ? あんまり嬉しそうじゃないですね?」

 鉄格子の向こうでB禎が浮かない顔をしているのを見て、シュウが不思議そうに首をかしげた。B禎は項垂れたまま、虚ろな目でボソボソと呟いた。

「……ぃんだよ」

「え?」

「……もうどうでもいいんだよ、証拠とか、トリックとか。目の前で日本刀を振り下ろされてみろ。大抵のことは、どうでもよくなるよ……」

「B禎さん……」

 それっきり、B禎は俯いて何も言わなくなった。ガックリと肩を落とす犯人に、一応、謎を解いてもらったお礼を言って、シュウはそそくさとその場を後にした。


 船の甲板に出ると、シュウは次に”もう一人の犯人”の元へと向かった。

 ヒカルだ。現行犯逮捕されたヒカルは今、B禎とは別室に監禁され、事件の起きた島から本土へと輸送されていた。他の関係者たちも一緒の船だ。シュウは波に揺られながら、『警視庁』と壁に書かれた狭い階段を降りて行った。やがて突き当たりにあった鉄格子の扉の前に、警官が二人見張りについていた。その中に、B禎と同じように両手を手錠で繋がれた姉の姿が見えた。


「姉さん……」

「…………」

 シュウは悲しげに目を伏せ、そっと姉に話しかけた。ヒカルは部屋の奥で横たわったまま、ピクリとも動かなかった。

「姉さん、もう無茶しないで……」

「…………」

「姉さんは探偵なんだから、捜査にも手順とかやりようが……」

「甘ったれたこと言ってんじゃねえ、バカ」

「!」


 それまで黙っていたヒカルが、不意に上半身を起こした。長い前髪の奥にあるヒカルの瞳にじっと睨まれ、シュウは思わずその場で身構えた。姉は、果たしての姉だろうか。

から言わせてもらえば、どいつもこいつも悠長に構えすぎなんだよ。推理ショーだか何だか知らねえけどよ、人が●されてるんだぜ? 次の犠牲者をみすみす出しちまったら、それこそ『探偵失格』だろうが」

「……それは、そうだけど」

 シュウはたじろいだ。ヒカルは、全く表情を変えないまま弟を睨み続けた。

 それは、『探偵』としての姉の言葉だろうか? それとも……。

「フン」

 黙り込んでしまった弟に愛想を尽かし、ヒカルはようやく目線を外した。それからヒカルは再び横になり、それ以上は何も言わなくなった。船内から聞こえる轟々と言う機械音だけが、残されたシュウの耳の奥にやけに響いた。


 気絶するように眠ってしまったヒカルを、シュウは複雑な思いで見つめた。


 姉の心臓は殺人鬼から譲り受けたもので、それ無しではもはや姉は生きられない。

 彼女の命を延ばすための心臓。その移植により宿ってしまった『別人格』……そして【殺人衝動】と……彼女はこれから一生付き合っていかなくてはならない。

「姉さん……」

 もちろんシュウは、姉をみすみす殺人犯にするつもりはなかった。



 何としても姉が”犯人を殺す前に”、自分が事件を解決してみせる。



 鉄格子の向こう、シュウの目の前で、ヒカルが先ほどの剣幕とは打って変わって穏やかな寝顔を見せていた。彼は寝静まった姉を優しい瞳で見つめながら、決意を新たに深く息を吸い込んだ。


 強風に煽られ、船が大きく揺れた。いつの間にか後方に遠く離れた島は見えなくなり、二人を乗せた船は、これから霞みがかった時化の中に突っ込んで行くところだった。


 

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