第ⅩⅤ話 龍の誇り

第一章 Life Is Dramatic


第ⅩⅤ話 龍の誇り


 死闘は急展開を迎えた。

 敵の猛攻を掻い潜り、数多なる龍帝の光の槍を剣で弾く。

 肌を掠めていき、湧き出た真紅の動脈血が表皮ににじむが、そんなものに構う暇も余裕もない。痛みを噛み締め、相手に向けてひたすらに一撃を放つのみ。

 巻き起こった斬撃は相手の攻撃を縫うようにすり抜け、相手に直撃した。


 龍帝が痛みの咆哮ほうこうを上げる。

 かの龍帝が簡単に音を上げるのも無理はない。今回は当たった部位が悪かった。


 斬撃は相手の右の眼孔に深々と傷を刻んだ。

 片目の視界が失われ、痛みが脳に伝わる。


 ギャオォォォォォォ!!


 鼓膜が破裂しそうな爆音が耳をつんざく。

 暴れ狂う巨体。そんな巨体に弾き飛ばされながらも、私は相手に突っ込んでいく。

 砂埃で目が役に立たず、狙いが定まらない。目をつむり、私は感覚のみで相手の四肢に勢いよく斬りつける。

 感触あり。手応えもあり。

 どうやら感覚通りに相手の脚にヒットしたようで、1本ずつ身体の自由を奪われた龍帝は、1箇所ずつ地面に崩れていく。

 脚の力が削がれ、重力に逆らえない龍帝。だが、それでも抵抗出来ないわけではない。


 頭を持ち上げた龍帝は、灼熱の火焔を吐く。


 身体がきしむ。だが、その身体を奮い立たせ、必死に避ける。食らいつく。

 決着を決めに行くなら、この時しかなかった。


 そのまま空中に身体を投げ出し、相手に大きく飛びかかる。

 力を込め、振りかぶる。

 龍帝も私の姿を追って、火焔を吐きつける。


 放たれた一撃。

 私の剣はは風をまとい、肥大化する飛ぶ斬撃となって龍帝に降りかかる。

 その斬撃は龍帝の巨体をも包み込み、龍帝の背中へと飛ぶ。

風属性第3級魔法エル・フェルーム」────硬度に威力と範囲を強化した魔法はかの龍帝の鱗でさえ歯が立たず、そして本体の身に刻み込む。


 刹那、龍帝の炎がピタリと止んだ。


 空中回避はある程度可能だ。

 だが、様々な戦術を行使し、体力が磨り減った私は直撃を免れるのが精一杯だった。

 服が焦げる。

 着陸時、しっかりと受け身は取ったが、振動が骨に響いた。


 ヨレっと横に倒れる。

 そして、龍帝の首も伏せる状態になる。



 暫く間が空いた後、先に起き上がったのは────



 この私であった────。


■■■


 勝負はまだ決まったわけではない。

 相手を死なせるまでが戦闘。故に、相手の息の根があるうちは決着とまではいかない。

 血が滴る龍帝を見て、瀕死ではあるが、まだ呼吸が見られる。


 剣を杖替わりに龍帝の頭へと近づき、まるで崖のような顔面をじ登る。


 ガクガクの膝。立っていられるのがやっとだが、剣を構え、眉間に突き立てる。

「硬度強化魔法」が解かれている今、このままでは突き刺さらない。

 魔法を唱え、マナが活性化する。

 その時、マナの活発化を感じ取ったのか目が薄く見開き、龍帝の口が少し開いた。


「我の、負け………か……」

「……」

「我が産まれて1200と余年────遂に此の時がきたるとは……考えた事もなかった……」


 ドラゴンの本来の寿命は凡そ500年から1000年程度。

 多くのドラゴンは「誇りある死」を求め、その半分で「戦死」していく……。

 だが、かの龍帝はその寿命を大きく超えた。まさに、「龍帝」と謳われるのに相応しき存在であろう。


「貴様は普通の倍は生きてんだ。……それだけでも、十分誇り高きことだろうよ……」


 深い溜め息、だが、それは諦めや気落ちした時のものではなく、ようやく何かを終えた時の安心を覚えた時のそれだった。


「死を前にして、どうだ?」

「やはり恐れは無い。むしろ、死ねるのかと思うと我は此れで誇らしい。……だが、今となって此の生命いのちが惜しい……」


 ドラゴンは死を恐れない。それは過去も今も変わってはいない。

 だが、今になってそれに迷いが出ている。その理由は考えるまでもなかった。


「ロゼと……話す時間をくれ……」


■■■


 ここで断る理由もなく、突き立てていた切っ先を緩める。

 名前を呼ばれた少女はそれを聞き、龍帝の傍に寄り添っていく。

 私は私で顔から無理をして飛び降り、痛い身体を地面に下ろす。


 空気はロゼと龍帝、2者の持ち切りになった。


 向かい合う2名。複雑な雰囲気。

 先に口を開いたのは龍帝ではなく、ロゼであった。


「私、結局龍帝さんの役に立てなかった……」

「……」


 その言葉に龍帝は何も答えられない。無言を貫き、ロゼの話が続く。


「薄々、気づいてはいたんだ……。龍帝さんの死期が近いこと、そして私が力不足だってこと……大分前から感じてはいたんだ……」

「……」

「そして、こんな日が来ることも、何となく想像してた。私じゃあなくて、他の誰かが龍帝さんを倒す日が来るんじゃないかって……そして、この日が来てしまった……」

「……」

「だって、私は弱いもん。アルトに全力で挑んだのに、負けちゃうようじゃあ、龍帝さんと戦うなんて夢の話だよね……」


 下を向くロゼ。彼女には悪いが、確かに彼女は力量不足だ。人間として強くても、まだ龍帝と渡り合うほどではない。

 挑めば数秒のうちに勝負がつくだろう。このまま戦うのは無謀でしかない。


「龍帝さんは誰かが倒さないといけない────それは私の使命だと思ってた。そう運命づけられているのだと思ってた……でも、私は出来なかった……」



 ────ごめん、なさい……。



 大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。止まらない。

 まるで泣きじゃくる子供の姿そのものであり、やはりまだ子供であり少女であることを実感させられる。

 感情が表情に出ず、どこか冷静なロゼ。だが、今日の彼女にはそれの片鱗へんりんすら感じられないほどに揺れ動いている。

 私との戦闘、龍帝との一騎打ち、そして今2二人きりの対談。

 心の底から湧き出る想いがこの感情を酷く締め付ける。


 彼女は何も出来なかった。

 ただ、私を連れ、私に任せ、それを見ている事しか出来なかった。


 そして、私との一騎打ちを止めさえしたのだ。


 約束を何一つ、守ることが出来なかった────。


「ごめんなさい」の一言しか出てこない。

 謝罪の想いしか出てこない。

 あの時の嘘をついてしまった罪悪感が彼女の口を動かす。


「私が、死なせてあげられなくて……ごめん、なさい……」


 1人泣く自分の教え子。

 そんな彼女を見て、ようやく黙っていた1つの口が開いた。


「ロゼ。言いたい事は、もう、終わったか?」

「……」


 涙で返事はない。それを見届けると龍帝は話を続ける。


「ならば、次は我の番だな────」


 ハアハアと息を切らしながら、龍帝は掠れそうな声を絞る。


「我は、誇り高きが故に、詫びの為に頭を下げた事など、1度も無い……無論、今も其れをする気は一切無い」

「……」


「────だが」


「我は、龍に有るまじき物を、手に入れてしまった……。龍に無き『心』────其れは他でも無く、ロゼ……主が我に与えた物だ……」

 ドラゴンに『心』は必要ない。むしろ、あればそれは戦の枷となり邪魔になる。

 だが、龍帝は少女から『死』を教わる前に『心』を教わってしまった。当然、要らぬ『心』とやらに始めは龍帝でさえ拒絶をした。だが、次第に龍帝は『心』も悪くない物だと思い、遂に受け入れてしまった。

 それが今に繋がる。そのまま『心』無き者として振る舞えば、ここまでロゼと友好的にはなれなかっただろうし、下手をすれば孤独なる『死』を迎えていたであろう。


 彼女に『死』を与えられる望みはついぞ叶わなかった。

 だが、『心』は与えられた。

「ロゼ……、死に際の我に残った物は、誇りと其れくらいしか在らぬ。して、我は此の最期に、主の与えた『心』を使い、主に言葉を贈ろう……」




 愛しておるぞ────我が義娘ほこりよ。




「……!?」

 ロゼからは言葉が出ない。

 涙で埋められたその顔は、もうメチャクチャだ。

 止まらぬ感情。にじむ雫。

 押し潰されるように出せない声を、何とか振り払い、ゆっくりそれを言葉として紡ぐ。


「狡いよ……龍帝さん……。そんなこと言われたら……謝ってた私が、バカみたいじゃないの……」


 時一刻として強くなる想い。それはごく普通でごく自然なものだ。

 別れたくない。死んで欲しくない。

 その想いは彼女が龍帝を死なすのを確実に邪魔するだろう。


 例え、実力が伴っても、彼女が龍帝を死なせられない理由────。


 それは、純粋な『愛』。


 育てた者へ対する、至極真っ当な『愛』である。


 それは龍帝も同じことだった。



 今すぐ、この目の前の恩人を殺せだと?

 今すぐ、この目の前の教え子に殺させろだと?



 そんなの、出来るわけないじゃあないか────。



■■■


 再び、岩肌のような龍帝の顔を登る。

 疲れた身体にはこたえるが、仕方ないだろう。この場で彼を殺せるのは、この私だけだ。

 汚れ仕事くらいは私が引き受けてやるさ。

 元々血と恨みで汚れまくった手だ。今更、余計に汚そうが、もとより穢れていることに変わりない。

 私以上の適任はいないだろう。


「最期の言葉あるか?」

「そんな物は無い……。有るとすれば、『我が生涯に、一遍の悔いは無し』と言ったところだ……」


 何処の世紀末覇王のような発言を聞き、少し苦笑する。


 剣を構える。

「硬度強化魔法」をかけ、この切っ先を突き立てれば、龍帝の命はついえる。

 意外と単純なものだなと今更ながら思う。例えかの龍帝であろうが、一国を破滅に導いた猛者であろうが、たった一撃で死に至る。何と儚く、簡単なものだろうか……。

 だが、これが龍帝の望んだ────『死』。

 彼の言う通り、悔いは恐らく無いのだろう。


 ────だがな。



「貴様が死ぬには、まだ早い────」



 ポツリとそう呟いた私は、振り返り、大きく息を吸い込み、1人の少女の名を叫んだ。


「ロゼ!!!!」


 その名を呼ばれた少女は驚き、こちらに反応する。


「まだ、私は君の口からまだ聞いていない一言がある。龍帝にかけるべき一言────まだ伝えそびれている言葉が、君にはあるはずだっ!!」


 彼女の思考が回り出す。


 今、私が伝えるべきこと────伝えなければならないこと。

 今まで伝えられなかった、彼女の想い。


 きっとそれは何度も伝えようとして、何度も失敗したであろう言葉だ。

「言える」なんて吹聴するのは容易い。だが、いざ相手を前にすると恥ずかしくて言えたもんじゃあない。

 しかし、それは言わなければ必ず後悔する言葉だ。私だって、何度それを伝えられずして散っていったことか……数えたくもない。


 だからこそ、私は言った。「伝えそびれている言葉があるはずだ」と。その時は想っていなくとも、言えなくて後で後悔しない為に……。私と同じ道を歩まぬ為に……。


 様々な記憶が交錯こうさくし、彼女の頭を駆け巡る。

 楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと────。私には1つですら知る由もない。が、何故かそれが垣間見えるような気がした。


 そして、それが言霊として彼女の脳裏に映し出される。

 今、彼女が伝えたい言葉。こんな時にしか言えない言葉────。


 その詰まった想いを、彼女はありふれた感謝の一言として、相手に伝えた。

 彼女らしくない……だが、きらびやかな満面の笑みで……。龍帝でさえ見たことのない、最高の笑顔で────




 ありがとう、ございました




「────よく言った」

 彼女の言葉の後、誇り高き龍の眉間に1本の剣が突き刺さる。

 最期の声も上げず、ゆっくりと見開いたもう片方のまぶたが降りる。

 かつて、1つの国を滅ぼした最強の龍。龍の中の王。

 そんな伝説が、今、幕を下ろした。


 冷酷なるまでの強者であった龍帝。

 本来ドラゴンには無い『心』を手にした彼の最期の口元は────


 何処どこか嬉しそうであった。



 冷たくなる体温。

 死の温度を感じる、今この時────。



 少女の泣き叫ぶ声だけが、辺りに谺響こだましていた。

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