第一章 Life Is Dramatic
第一部 プロローグ
第一章 Life Is Dramatic
第一部 プロローグ
生命は生命として存在するためには他の生命を奪わないといけない。
これはどんな生命にも当てはまり、人間とて、または動物とて、必ずして行わなければならない。
強いて例外があるとすれば、植物程度のものだ。
よく、倫理を知らない幼い子供が、遊び半分で小さな虫を虐める時がある。
その時、大人はそれに対し
「こらっ! 命を弄んではいけません」
と注意を促す。
確かに無駄な殺生は私も好まない。だが、生命は自分が生きるためには、相手から命を奪わないといけないのだ。
そう考えると、我々はもう少し考えるべきなのだ。
だから、私はこう言いたい────。
無意味な殺生と、意味のある殺生は何が違うのだ────と。
意味もない殺生も、意味のある殺生も、所詮は殺生。他の生物から命を汲み取る行為に変わりはない。
そもそも、意味のある殺生とはなんだ? 自分が生きるために相手から命を奪うこと? 冗談じゃない。それが他の生命を殺していい理由になりうるのか? 否、それは間違っているだろう。
それならば、我々人間は決して動物愛護などを唱えてはいけないだろう。
何が動物愛護だ。牛肉や鶏肉、魚を平然と食べていて、それは矛盾ではないのだろうか。実に愚かである。
それに、動物にも人権ではないが、様々な権利がある。
「生きる権利」────
これはどの生命にもありうる、そしてあるべき権利である。
ならば、農場で飼われている生命達というのは、一体何の為に生きているというのだ。権利も何もないだろう。ただ、我々に利用され、儚く短い生命活動を我々が生きていくためだけに費やすことを義務づけられている。生まれた時から、そう運命が定まっているのだ。
彼ら一つ一つの生命にも、権利がある。それを尊重しないといけないのは、我々同じ生命が一番よく理解してあげないといけない。だが、私はそれを生きていくための材料、「もの」とでしか認識していない。こうなっては、生命は生命ではなくなってしまう。
だが、ここまで我々が生きていくために殺生をしておきながら、人間という生命は、他の生命の「生きていくための殺生」を認めない。
例えば、飢えたライオンと1人の人間がいるとする。
勿論、ライオンは何かを食べないと生きていけないため、人間を襲う。ライオンの「生きていくための殺生」だ。
しかし、この描写を見て、多くの人間は「ライオンは恐ろしい動物だ」と批難するだろう。
これは受け入れなければならないのだ。
相手の生命にも、「生きる権利」があり、同じ「生きていくための殺生」をしている身としては、これも理解しないといけないのだ。
だが、現実はどうだ? 相手の仕方のない殺生を認めず、あくまでも相手を害悪扱いをする。筋違いではなかろうか。
ならば、人間はこの世で最大の害悪だろう。
────
しかし、ここまで述べた時点で、結局の話、我々はその目の前の殺生を止めることはできない。我々人間にも「生きる権利」があるからだ。そうしなければ生きていけないからである。
実際、私も他の生命の殺生には何も言えることがない。
私だって元人間であり、現人間であるからだ。
そして、私は様々な生物の生命活動を経験している。
他の人間には説明のしようがないものも説明ができてしまう。分かってしまう。
更に、私は「死」を他の生命よりも経験している。
二千年も積み重ねてきた、「生」と「死」の輪廻の経験を。
だから私は、同種族は殺せなくとも、他種族は意味もなく、そして何も感じずに生命を汲み取れる。
────
もし、「ここにいるドラゴンの首を取れ」と言われても
私は何の疑いもなく、首を討ち取るだろう。
────
これは異常なのか、もはや私には分からない。
だが私のことだ。恐らく異常なのだろう。
しかし、私は問いたい。
他の生命を汲み取るのは、果たして悪しきことなのだろうか────
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