第ⅩVI話 涙
序章 The New Life
第ⅩVI話 涙
今から半日以上前、その男はやってきた。
男の見た目は、黒いコートを着こなす白髪の好青年だった。見るからに礼儀もしっかりとしている、最近では珍しい若者だ。
その男を連れてきた私の
そんな彼はカウンターへ案内するなり、早速にお持ちの品を見せてくれた。
男の鞄から出てきたのは「オリハルコン」。それも純度の高く、希少種のものときた。
私は舌を巻いた。知り合いの家業を継ぎ、数年のキャリアで磨いた私の鑑定眼でも、このような高質な品は見たことがない。
この男がどうやって「ヒュードラ」を倒したかは知らないが、稀にも見ないかなりの鑑定額が弾き出された。
白金貨70枚。私はその男に「40枚でどうだ」と交渉を促した。普通の者なら、ここで満足するだろう。たが、彼は違った。私が提示した白金貨40枚を軽々しく却下し、それどころかこのオリハルコンを周りの品々から逆算、元値である白金貨70枚を言い当てたのだ。こうなっては、私は何も言えない。結局、その男は白金貨50枚を手にし再び義娘と共に、去っていったのだった。
私は身震いした。この男の凄さが、能力が、常人レベルではないことに。
ヒュードラを倒し、更に商売の才もある。そんな底知れぬ男の力に恐怖を抱きつつも、私は興味を持った。
一体、何者なのだろうか────
そしてその男は、義娘を連れ去り、夜中を超えた今でも、その義娘は戻ってこない。
夜遊びをしたこともなく、ましてや門限でさえ破ったことのない義娘が帰ってこないとなれば、きっとあの男と何かあったに違いない。
私の大事で、可愛い義娘。あの2人から託された実の姪。
私は、奴に会えるのなら、この身を削ってでも奴に一泡吹かせてやると、そう誓った。
■■■
陽が昇り、日にちも
無論、店内にも前の通りにも誰もいない。昼間なら人では溢れ、大いな賑わいを見せるこの大通りだが、朝になりたては廃れたように雰囲気が静まる。
気が気でなかったが、いつの間にやら寝ていたようだ。起きて間もないが、まだベルが帰っていないのを確認しにいく。
いない。
部屋は整頓され、しっかり者の我が義娘らしい部屋だったが、やはり人の気配も、暫く人がいた痕跡もなかった。
いつになったら帰ってくるのだろうか。心配と不安が私を焦らせる。
────
太陽が地平線から顔を出し、暫くした頃に、遂に珍客が現れた。
カランコロンカラン────
ようやく姿を見せた奴は、何事もなかったかのように平然と入店する。どの面を下げてここに来ているのやら。奴の態度に余計に苛立ちを覚える。そのためか、奴の来店で脳が冴えた。
時間潰しの為に磨いていた魔法石をカウンターに置く。そして、私はこの男に向かって歩いていった。対面になる私と男。その後ろから聞き覚えのある声がした。
「ただいま」
いつもの声。あのいつもの明るい声。
そこには義娘がいた。
「ただいま。……遅くなって、ごめんなさい」
いつもの笑みでいつも通りの挨拶をするベル。どうやら無事で元気そうである。何よりだ。彼女の笑顔だけが私の安らぎだ。
だが、我が義娘の安全を確認したからといって、この男への怒りはおさまらない。純粋で真面目なベルに、裏で何をしたのか、まだ分かっていない。
話し合う手もあったが、その時の私には、そんなのは二の次だった。
ずかずかと彼の元に近づく私は、話すよりも力でねじ伏せ方が早いと、彼の胸倉を掴んだ。
「私の義娘と、何をしていた」
「────」
私の質問に男は無言だった。
図星か。何か吹き込んだのか。そう思い、私は彼に向かって拳を形成し、殴る体制に入った。
その時は我を忘れていた。相手の話も聞かずに、ただ暴力でねじ伏せれば事が済む。その考えは、どこかの暴君に似た何かである。もしかすれば、私の中にそういった思想があるのかもしれない。だが、その時の私には、それがただの一方的拷問であることに気づいていなかったのだ。
それを察したのか、流石のベルも真剣な声色で私を止めた。
「止めてっ! 叔父さん!」
振りかぶろうとした拳がピタリと止まる。
その時にようやく私は過ちに気づいた。だが、どうすれば分からず、取り敢えず握っていた拳だけを下ろし、男を睨みつけた。
すると、何の焦りも見せない男は、淡々とした口調でこう言った。
「店主。あなたが私を殴りたければ、気の済むまで殴っても構いません。しかし、先に言わせてもらうなら、私は決してあなたとあなたの義娘さんに、何かをするつもりはありません」
そう言うと男は、両手を軽く上げ、降参の意を示した。
今思えば、男の意見には誠意があった。始めから抵抗する意思はないと、目でも声でも訴えていた。その時は判断する能力が落ちていて、男の言葉には裏があるような気がしたが、私は渋々と男の言葉を受け入れた。そうするしかなかったとも言える。
続けて、男が言葉を述べる。
「もし、私の意見を取り入れてもらえるなら、まず彼女の話を聞いてはもらえませんでしょうか?」
男の言葉に説得され、私は胸倉を掴んでいた左手を緩め、男から離れた。説得ではないかもしれない。やはり渋々といった感じで、私は男を信用したくなかった。
だが、隣には私の義娘がいる。私は受け入れるしかなかったのだ。
すると、隣から私を呼ぶ声がした。
「叔父さん」
掛けられた声の方を見やる。
そのには義娘がいる。そんなのは、考えるまでもない事だ。だが、そこにいたのは、いつもニコニコと笑顔を振り撒いている、可愛らしい義娘ではない。下を向き、必死に言いたいことを堪えている。何もかも身の内に閉じ込めてしまう、母親に似た義娘だった。だが、こんな姿は何回も見たことがある。普段、彼女が何もかも押さえ込み、私に心配かけまいと、気を使ってくれている仕草だ。
しかし、今は違った。彼女が上げた顔は、母親では見たことのない、そして彼女もまた、これまで他人に見せたことのない表情だった。
彼女の目には、まるで真珠のような、大粒の涙で埋め尽くされていたのだ。
「っ!?」
私は目を疑った。あの二人と同じ……いや、それ以上の長きに渡って彼女の成長を見てきた私だが、彼女の泣き顔をあの9年前の弟の、彼女の父親の死以降、見たことがなかったのだ。母親の死にも、彼女は弱音一つ漏らさなかった。学校で虐めを受けていると聞いた時は、私は心配になって彼女を問い詰めたが、彼女は笑顔を乱さず「大丈夫だよ」と言ってのけ、学校を卒業した。
彼女の母親もそうだった。夫の死も、ましてや自分の死でも弱みも涙も見せず、男の私ですら憧れるほどの
だが私にとって、それはより気掛かりにさせた。まだ成人も迎えていない少女が、母親でも耐えられなかった死を二度も受け止め、その上それを笑って流すなど、どれほど苦しいものか……。私には分からないが、分からないなりに感じるものがある。そしてその重圧が、いつしか母親のように身体を
そんな、両親の死を受け止め、母親の死ですら涙を見せなかった義娘が、泣いている。
何もなかったはずの一日。この男が何をして、何を吹き込んだかは知らないが、この男が我が義娘の涙に関わっていることは、確実である。
恐ろしいことでもされたのか……。はたまた痛めつけられたのか……。
この男は一体、何をしたのか……。
────そんなのは、どうでもいい。
その時の私には彼女しか映っていなかった。
言葉が出ない。何が起きたかすら分からないのに、私は動けなかった。
「グラコス叔父さん!」
涙目で訴える声。その声は私をより感涙に導く。何故涙が出るか。そんなのは明らかだが、私には信じられないことであった。
ようやく安心した気がしたのだ。
成長と言うには、少し違っているかもしれない。むしろ、衰退の方が弱みをさらけ出している彼女には相応しいかもしれないが、それが私には安心させるものだった。
彼女が私の胸に飛び込む。彼女涙が私の服に滲み、生地を濡らしいてく。それを私は優しく抱きしめた。
気付けば、私の目にも、溢れるものがあった。呼吸がままならない。
カランコロンカラン────
空気を読んだのか、あの男が退室した。余計なお世話と言いたいが、彼女と一対一で話すには、すかした気遣いだった。
そして、ようやく言葉が漏れる。
「何が、あったんだい?……」
彼女も涙で言葉が出ない。ひくひくと、精一杯に台詞を探しているようだった。
そして、初めに発した言葉────
「ごめんなさい!」
私に対する謝罪だった。
「一人で抱え込んでいてごめんなさい! 何も言えなくてごめんなさい! 心配かけてごめんなさい! 迷惑かけてごめんなさい! 気を遣わせてごめんなさい!」
「今まで、感謝の気持ちを表せなくて……ごめんなさい……」
■■■
そして、私は彼女があの後何があったのか、彼女が何を決意し、どんな言葉を掛けられたかを、隅から隅まで聞いた。
そして、私に誤解があったのを知った。
勿論、すまないと思う気持ちがあったが、彼にはまず感謝しないといけない。このあと、謝っておこう。私はそう思った。
ベルを見やる。涙でいつもの笑顔が台無しだが、私は心につっかえていた何かが、抜けたような気がした。そして、彼女もまた、心につかえていた棒が取れたように見えた。
「ようやく、見せてくれたね……」
私がそう言うと、彼女がいつも通りに挨拶をした。
いつもの挨拶かどうかは、この際どうでもいい。彼女がいつもを心がけて言えばそれでいつも通りの挨拶なのだ。
彼女は涙目で笑みを浮かべて、こう言った。
「ただいま、お父さん」
私が聞きたかった一言だった。ずっと叔父さんと言われた彼女が、遂に私を認めてくれた一時だった。
私は思っていた。本当に彼女の保護者としての務めを果たせているのか。あの二人の意思を継げているのか。
だが、ようやく彼女の親になれた気がした。血の繋がりはない。本当の父親ではない。
だが、義理でも偽物でも、父親には変わりないと私は感じた。
そして私も、似つかわしくない泣き顔を見せながら、笑顔でいつも通りの挨拶を返した。
────おかえり、
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