第ⅩⅢ話 枯れた涙
序章 The New Life
第ⅩⅢ話 枯れた涙
「で、その後、どうなったんだい?」
ベルの話に、辺りは真摯な空気に包まれた。軽く聞いただけの話がここまで発展してしまうと、どうも引けない気持ちがあるのは否めない。最後まで聞くのが筋といったところだ。
勿論、彼女の口調はどうも気が進まない。しかし、何故か私には口を開いてくれた。無理をしなくてもいいのに……。心が痛むのは承知のはずなのだが。
「その後、母は謎の病気に倒れました」
「────」
言葉は出ない。探ってもかけるべき台詞が浮かばない。
他人に気を使わない私ですら、気を使うを禁じ得なかった。
謎の病気────
それは彼女の次の言葉を連想させた。次に起こる出来事を容易に感じさせた。
「そして、父が亡くなった後を追うように、その10日後に────」
「亡くなりました」
「────」
言葉の重みが周囲を支配する。容赦なく襲う彼女の苦しみが痛いように私に伝わった。
知り合いの「死」。それも1番身近な両親の「死」。
私が何度も向き合い、何度も見てきた事象だ。
誰にでも隣合わせで、誰にでも起こりうる、「死」。
彼女は7歳という、幼くしてその「死」を身近で2回も経験したのだ。
「それから私は、グラコスさんの……叔父の家に引き取られました。そして、その後に気付いた話なのですが……。親は多額の入学金を学校に納めていたことが分かりました」
彼女の両親は、どうやら貯金をしていたらしいのだ。
彼女の母親が働きに出ても、生活が楽にならなかったのはその為である。
例え、その討伐作戦がなくとも、入学ができるのは確定だったらしいのだ。
それでも、ベルの両親はさらなる資金を求めた。
今考えても、彼女には理解が出来ないらしい。
そりゃあそうだ。彼女からすれば、両親には生きていてほしいのが一番の幸せだ。しかし、そうまでして命を懸け、挙句の果てに二人とも死んでしまっては、ベルにとっては最悪の事態である。
「どうして、そこまでしたのか……」
彼女は話を終えると暫く、それに悩み込んでいた。
だが、恐らくその答えは簡単だ。
そこまで子を思う両親なのならば、その理由は
「娘をもっと幸せにしたかった」
が濃厚だろう。
裕福ではなくとも、人並みの幸せを感じて欲しかった……。
それが両親の想いだろう。
しかし私は、敢えてこの推測を話さなかった。
きっとこの謎は両親にとって、
彼女に心配してほしくない────
ベルには真意を知られたくない、という感情の表れだと思ったからである。
■■■
「どうしてでしょう。話を終えたのに、もう涙が出ません」
この話を語る上で、彼女は一切泣かなかった。一滴も、一時も、涙を流さなかった。
その時に涙が枯れてしまったのか……、はたまた何度も思い出しすぎて慣れてしまったのか……。
更にはその両方なのか……。
どれにしろ、彼女は沈んだ様子のままであった。
「済まないね。暗い話をさせてしまって……」
「いえいえ、私も話せてスッキリしました」
そんなベルは作り笑いを浮かべていた。
無理に顔を引き
「それに、もう私、涙を流すのは辞めたんです。こうやって過去を話しても涙が出ないのは、多分気持ちを切り替えたからだと思います。泣くよりは笑う方がいいことですし。それに父と母も、私の泣き顔なんて見たくないでしょ?」
「だから私は、亡くなった父と母の為にも、泣くのを辞めたんです」
ポジティヴに物事を捉えるベル。さっきまで塩のかかった青菜のように
そして、私は分かってしまった────
「……ベル」
「はい、何でしょう?」
私は異常人格者だ。はっきり言って、その通りである。他人の喜びを分かち合えず、心の底から悲しめず、感情が薄れてしまっている私は、彼女が言うように、同じく涙が流せない。
それは強さかもしれない。だが、こうなってしまっては人間は終いなのだ。私のように、壊れてしまう。
慣れるのは、慣れる前よりも恐ろしい。
泣かないことに慣れている彼女は、私のようになってはいけない。
だから、私は彼女に言った。
今を生きる人間として。過去を誤った人間として。
「君は、間違っている」────と。
■■■
私の発言に対し、彼女はキョトンとしていた。
突然の反論に対応しきれなかったのだろう。状況の整理に戸惑っているのが見え見えであった。
黙り込むベル。暫くの沈黙の末、ようやく彼女は言葉を絞り出す。
「……私、何かおかしなことでも言いましたか?」
自分を責める台詞。彼女はまず、ほかの誰でもなく自身を責めた。
私ではなかっのだ。彼女の疑いの第一標的は、自分自身に向けられた。
恐らく彼女は、どんな苦境に立たされても、真っ先に自分を犠牲にする部類の人物なのだろう。
全くもって、忌々しい。
過去の自分、そのものじゃあないか。
「あぁ、言ったさ。もし聞こえていないなら何度でも言おう。君は間違っている」
「どの部分がですか?」
「考え方だよ」
「そ、そうなんですか……」
しょんぼりとし、笑顔が再び消える。
「もしかして、君の母親の考え方かい?」
「母は関係ありません!!」
私が次の質問に移ったとき、彼女は身を乗り出して否定した。ベルのその目は真剣味を発し、私に否定を訴えている。
母は違う。関係ない、と言葉以上に語っていた。
だが、その必死さは事の図星を裏付けた。
「ビンゴ、だね」
「……」
躍起になった彼女は、落ち着きを取り戻し、乗り出した身をゆっくりと下ろしていく。
倒木に座り込むと下を向き、なんとも言えない静けさが、再度辺りを支配した。
「その通りです。アルトさん」
心の準備が出来たのか、彼女が口を開く。
「人前で泣かない、というのは、母の教えです。実際、母も私たち家族に一度も涙を見せず、それに私は憧れました。」
「────なるほどな」
よくある話である。そもそも両親というのは偉大だ。自分を産み、自分を育ててくれた親というのは、この世で一番尊敬すべきである。例え見捨てられようが、殺されようが、結局はその人がいなければ自分がいなかったわけで、生まれて二千年以上経った私でさえ、今でも敬意を抱いている。抱き続けている。
彼女も同じだ。他人となんの変わりもなく、私と同じように親を慕っている。
また、子は親を真似易い。親の影響が子にも出るのは必然と言ってもおかしくはない。遺伝による反映もあるかもしれないが、子は育てる人間から生活のあれこれを自然と学ぶものだ。
ベルの場合、親から「考え方」を学んだ。そして、ベルはそれが正しいと信じ、親を慕っている。
間違いではない。だが、その「考え方」が間違っていた。
「なら、訂正しよう。君と君の母親の考えは間違っている」
訂正、と言うよりは付け足しだが、私の意見に大きな差はない。やはり彼女は間違っていると判断した。それが彼女の為であり。私が唯一、この話で語れるものだ。
しかし、この訂正に親を親愛する彼女が黙っているわけがない。
「あの、すみません。アルトさん」
「ん? 何かね?」
「私のことは、いくらでも言っても構いません。しかし、私の母の考えや母自体を侮辱したり否定したりするのは、いくら私に優しい相手でも、怒りを覚えざるを得ません」
遂にはっきりと声に出した。本音も本音だ。初めから偽りも何もないが、本性が
だが、何か勘違いをしているようだ。
「一つ言っておくが、私は一言も君の母親を侮辱する発現はしていない」
「ですが、今、『間違っている』って……」
「否定はした。だが、君の母を悪人扱いをしているわけではない」
「────!」
人は熱くなると勘違いしやすい。まあ、仕方ないことだ。
しかし、私は母親の一部は否定しても、全否定はしていない。
親は尊大なのだ。更に他人の親となれば、全てを見下す事など到底できない。
「ですが、私の母は偉大です!尊敬に値する人物です! 何が間違っていると言うのですか!?」
「────」
気持ちのスイッチが入る。
心を鬼にして、過去の自分に似た彼女に、私は厳しく畳み掛ける。
「弱みを見せないことは『強さ』ではない。『強さ』とは、純粋な実力だ。忍耐力は『強さ』に繋がるかもしれないが、弱みを見せないことが忍耐に繋がることはない」
「止めて下さい…………」
「泣かないことが強さ? 馬鹿言え。そんなのはただの見栄だ。強さを目指すには程遠い、愚行だ。」
「止めて下さい……」
「無駄でしかない。実に非効率、いや、それ以下だ」
「止めて下さい!!」
徐々に上がる彼女の怒りのボルテージに気づかない私ではない。
彼女が激怒しようが、なんら私に支障はなく、私はそのまま言葉を並べた。
もう、ベルの憤怒は最大にまで膨れていた。
「あなたに、母の何が分かるって言うんですか!! たったさっき母を知ったばかりのあなたに、何が言えるって言うんですか!!」
顔を赤くし、笑顔とは真逆の表情を浮かべていた。
彼女は最初の彼女ではない。まるで別人のようであった。
恐らく、それがベルの支えであり、彼女の誇りなのだろう。それが汚されたとあっては、怒りも自然と沸き立つ。
に対して、私は容赦しない。
「じゃあ逆に聞くが、君は君の母親の子供の頃を知ってるのかね?」
「っ……」
「君は母親じゃない。そして、君もまた、母親の全ては知らない」
反論と言うよりは罵倒に近かった。一方的な言葉の連撃。今思えば、荒々しい言葉遣いだったかもしれない。だが、私の口は衰えを知らなかった。反省の色なんて到底なく、色どころか無色で透明なほど、私には中身がない。
「では、どうすれば良かったのですか……」
マナが私に尋ねる。論破され、自分に迷いが出た彼女の行く末。彼女の選択肢は一つに絞られた。
「どうすればいいか」だって?
そんなのは簡単だ。子供にもできる。
「────泣けばいい」
「えっ……」
「単純さ、泣かないのがいけないのなら泣けばいい。それだけだ。それだけのことだ」
至極、安直な解答。見栄を張るのが駄目なら、弱みを晒せばいい。
そもそも、人間なんて生物は、弱みがあって当然なのだ。弱くて、醜くて、惨めで────。そんな人間が、あるべき弱みを、知り尽くされた弱みを今更隠そうなど、くだらない。愚かで他ならない。
傷を負って、痛みを感じるのはごく一般の人間なのだから、それが表に滲んで、一体誰が指摘し、批判すると言うのだろうか。
それに、私は彼女に気掛かりもある。
「ベル、君、本当は泣きたいんだろ?」
「────っ!?」
そんなことない、と見栄を張るベル。しかし、いくら繕っても彼女の演技は、他人には丸見えである。
頬を赤らめ、涙目なのだ。
「な、何を言うんですか!?」
恥ずかしそうに言い返すベルだが、その表情は怒っているのか、泣きたがっているのか、もうぐちゃぐちゃで纏まっていなかった。なんかこう、様々な色の絵の具を水で掻き回したような。そんな濁りが顔一面に塗りたくられている。
見透かされて、再び涙が目頭に溜まっている。
「君のさっきの『涙が枯れた』なんてのは、自分を強く見せるための嘘だ。母親の意思に従うための
「うっ……!」
図星のようだ。顔がより濁る。
「母親が何を言ったかは知らない。だが、それで自分を抑えるのは、母親も望むべきものではないだろう」
親は子の幸せを願い、子の不幸を嫌うものだ。良かれと思って発したのが、または行動したのが、今の苦しみに繋がるのなら、それは教えた本人でも心配になるだろう。
今のベルは、泣けなくて苦しんでいるのではなく、泣きたくて苦しんでいるのだ。
自分は弱虫で、涙脆くて、泣きたい。でも、母親の為にも泣けない。
そんな逡巡が彼女の心に潜んでいたのだろう。
懐かしい苦しみだ。
「泣かなければ、恐らく君は母親と同じ道を歩むこととなる。苦しみ、悩み、病むこととなるだろう。なら一番悲しむのは誰だ?」
「っ────」
「天国に行った親? それもそうかもしれない。だが、もっと身近に、君を愛する人がいるだろう」
そんなのは一人しかいない。
血の繋がりは薄い。しかし、親の意を汲み、数年間育ててくれた身近な第二の親。
「グラコス、おじ……さん……」
下を向き、顔が映らないが、目頭が熱くなっているのが分かる。
どっと込み上げてきた感謝と謝罪の気持ちが彼女を動かしたのだろう。
そして、彼女は言った。
「ホントに、私も泣いても、いいのでしょうか……」
今更、涙ぐんだ彼女が、私に許可をとる。
いいのかどうかなんて、私が決めることではない。
「生まれて泣いてはいけない人間なんて、いると思うか?」
私が言い切る直前、彼女は私の身体に飛び込んできた。
私の服を掴み、顔を擦り付けたかと思うと……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
正直に言うと、一瞬焦った。
周りに響くような声で、静けさの中、一人の少女が目の前で泣いているのだ。たじろいでも仕方ないだろう。
闇夜の森の中、焚き火を前に、少女の号泣だけが辺りを包む。
彼女の泣き声は、さながら子供のようだった。
無力で、弱みを隠さず晒した、一人の子供のように。
しかし、私は何も感じない。感じたとしても、それは薄い。
感動も何も無く、ただ、胸元の彼女を見守るだけだった。
私の今の表情は、恐らく上目っつらだろう。中身は空っぽで、どこか乏しい。
こうなっては駄目なのだ。君はこうなっては駄目なのだ。
涙も出なくなっては、人間ではなくなる。
折角の感情を、人間の喜怒哀楽を精一杯表現しないと勿体ない。
あの日のあの時────
あのような悲劇は繰り返して欲しくない。
二度と、私を生み出してはいけないのだ────。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます