第ⅩⅡ話 過去と少女と

序章 The New Life


第ⅩⅡ話 過去と少女と


 あれは、まだ私が7歳の時です。


 当時、私の家は王都北西部に位置するスラム街にありました。ボロボロのレンガ造りの一軒家。そこで私は父と母との3人で仲良く暮らしていました。


 スラム街に住んでいるという時点で分かっているとは思いますが、今と比べると、その頃の暮らしはそれは貧しいものでした。しかし、そこまで今と比較しても、私にとってはそれほど苦痛ではありませんでした。むしろ楽しかったくらいです。

 それなりに遊ぶ友達もいましたし、家に帰れば優しい家族がいましたから。食べていくので精一杯だったことは其の上から感じていましたが、私はその現状で満足していたので、駄々もあまり捏ねていませんでした。今の自分でもそう言えます。


 優しい父と母はいつも仲良しで、近所からは「おしどり夫婦」なんて言われたりもして、結構評判が良かった夫婦でした。私自身も7年間一緒に暮らしてきて、2人の喧嘩している姿は1度も見たことがないほどです。


 決して、幸せではない毎日。でも、楽しい日常。そんな満足した日々を送る私でしたが、当然、夢はありました。


 学校に通い、考古学者になること────


 幼い頃から本を読んで、調べ物をするのが大好きだった私は、「未知」というものに並ならぬ興味を持っていました。そして憧れた夢は「考古学者」────。過去の偉人たちが遺した「未知」に触れ、それを「既知」に変えるまさに理想の職業でした。それを言い出したのが、私がまだ6歳の時。幼子にしては現実的でコアな職業でしたが、私の父と母はこれを素直にこれを聞き入れてくれて、私を応援してくれました。


 しかし現状は、それを許してくれません。

 学校に行って考古学者なると言っても、まず学校に通う為の「入学金」が必要です。専門職ですし、ましてや国家考古学者といった国家資格としての職業でもあるので、流石に自主学習では限度があります。


 ここ、王都「ギルティア」には10の学校があり、そのうち5つが考古学を受講があります。どの学校も8歳から入学可能で、8年制、月に27回の授業があります。また、そもそもの話、この街の学校というのは全て国営で、どれも相当な額の「入学金」を納めなければなりません。


 何度も言っているように、私の家はスラム街にあり、貧乏でした。勿論、そんなお金はどこにもありません。

 役場で入学金の書類を見せられた時は、あまりの額に絶望さえ感じまた程です。


 父の職は下級兵士。それも雑用の類を行う下っ端で、毎日働き詰めても、雀の涙のような低収入でした。一方で、母は家で家事をこなしていましたが、私の学校入学を聞くと、母も城に働きに出ました。家政婦をやっていたらしいのですが……、何分、私に心配かけさせまいと内緒にしていたので、働いていたのを知ったのはそれから3年ほど後になります。


 しかし、生活はあまり変わることはありませんでした。

 いや、今考えると、状況は悪化していたかもしれません。

 私が気づいていないだけで、実際は大きな変化があったのかもしれません。

 ですが、私はそれを感じませんでした。感じ取れませんでした。

 それほど、2人が頑張っていつも通りの生活を演じていたのでしょう。あの2人には、感謝しかありません。


 因みに、今でもそうなのですが、従者というのは金額は安定するものの、どうも地位が低いことから、収入はあんまりだそうです。自営業の方が稼ぎがいいらしい世の中なので、我が家の低収入にも、今となって納得しています。


 そんな忙しい父と母でしたが、2人は一切弱音を吐かず毎日笑顔を浮かべていました。当時の幼い私では、その笑顔からは疲れが感じ取れず、今では後悔しています。

 あの時、父と母の疲れに気づいていれば……。そう思うと、そんな自分が嫌いになってしまいます。


 それから約1年が経ち、私は7歳の誕生日を迎えました。貧しいのに無理をして材料を買い、1から作ってくれたバースデイケーキの味は、忘れることはありません。


 その誕生日から4日後。私たち家族に朗報とも呼べるニュースが飛び込んできました。


■■■


「ただいま!」

 いつもよりも大きな声で帰ってきた父の顔はびしょ濡れになるほど、汗がだくだくになっていました。

「ど、どうしたの?そんなに汗かいて」

「ちょっとした朗報が、入ったんだ。ハァ、ハァ……」

 父の帰宅に気づき、私は父の元へ駆け寄りました。

 見ると父は、今にも息が切れて止まりそうな剣幕でした。それが話の真剣さと、事の大きさを示していて、どこか喜んで仕方がない様子で……。私は父の朗報に期待を抱きました。

「朗報って、何があったの、あなた」

「パパ、ローホーってなに?」

 無邪気な自分と心配そうな母に、父は答えました。


「実はな、まだ確定ではないんだが……、給料が上がるかもしれん。」


 それは私たちにとって、朗報中の朗報でした。父と母は一緒になって抱き合っていたのを覚えています。

「それっ、本当!?」

「ああ、本当だ。」

「パパ、どうしたの?」

 状況が把握出来ない私に父は優しく微笑みました。

「ベル、お前が学校に通えるかもしれないって事だよ。」

「それ、本当!?」

 やったー!とようやく理解した私は喜ぶに喜びました。家中を飛び跳ね回り、子供らしくはしゃいだあの日は今でも思い出せます。


 これで、学校に行ける────


 そう思っていた、私。そう思い続けていた私。


 しかし、そんな喜びも長くは続きませんでした。


■■■


「じゃあ、行ってくる。」

「あなた、本当に行くの?」

「心配するなって。必ず、生きて帰るよ。」

「パパ、頑張って!」

「おうっ、頑張ってくるぞ。」

 収入が上がるかもしれない仕事の日がやって来ました。

 玄関先で、私と母は重装備に身を固めた父を笑顔で送りました。


 給料アップするかもしれない、というのは国からとある大きな要請があったからです。

 その仕事の内容。それは「魔王」と呼ばれる存在の討伐でした。


 今も昔も、最悪で最凶の権化として恐れられている存在、「魔王」。

 魔王は長きの間、様々な国や地域で被害を及ぼしており、一夜にして都1つ丸々なくなった事例もある程の害悪です。その行く道には何一つ残らず、姿を見たものは生きて帰れないと伝えられています。

 そんな魔王に対抗すべく、王都は「魔王討伐」を掲げ、国総出で兵を出すことを決めました。

 そして出したのが、「魔王討伐参戦報酬」。魔王に討伐に参戦する者は誰であろうと武器の提供をし、その勝敗に関わらず参戦して帰ってこられれば、1人につき白金貨10枚を与えるというものでした。更に衛兵であれば、階級が上がり、収入も増えるという規約も、この討伐作戦にはありました。

 これに吊られ、多くの挑戦者が参加したといいます。その数、おおよそ10000人。衛兵・商人・農民、更には街の荒くれ者までが揃って協力するという、大変大きな討伐隊となりました。

 それに躍起になった私の父も、その中に参戦していました。


 勝利は確実と言われていたらしいです。

 いくら「魔王」とは言え、10000人が相手となれば、流石に敵うまいと多くの国民がそう思っていました。


 ────


 日にちは過ぎ、討伐隊が出陣してちょうど1週間が経った頃でした。


「ママ、パパはまだ帰ってこないの?」

「多分、もうすぐ帰ってくるよ。」

 いい加減待ちくたびれていました。いくら遠征とは言え、1週間は流石に長過ぎで心配になってしまったのです。

 毎日、ドアを見つめ、父が帰るのを待つ毎日。

 そして、コンコンというノック音の後に、扉が開きました。


「パパだ!パパが帰ってきた!」


 大喜びの私。私は父があのニュースを持ち帰ったときのように、はしゃいで玄関に直行しました。

 そして、扉のある方へ目をやります。


 しかし、そこにいたのは父ではありませんでした。


 いたのは、血塗れで疲れ果てた、知らない衛兵でした。


■■■


「おじさん、だれ?」

 血塗れで目の前に立つ男性を見て、思わずこの言葉が出てしまいました。ひと目で知らないと感じたのですから、それは当然なのですが……、それはこの男性には発せない言葉でした。

 父が帰ってきたと思い、母も後から急ぎ足で玄関にやって来ました。

 すると、血塗れの衛兵を見るなり、その人の元に駆け寄りました。


「グラコスさん!?どうしたの、その身体は!?」


 その人は私の父の兄、叔父であるグラコスさんだったのです。

 グラコスさんとはこの出来事より以前から交流があり、何度か遊んでもらった思い出もあります。

 この人もまた、衛兵を仕事としており、父よりも幾らか階級が高く、7日前から父と共に魔王の討伐に出ていたそうです。


 面識があったはずのグラコスさんですが、人の顔を覚える記憶力が良かった幼少期の私でも、見分けがつかないくらい叔父の姿は酷いものでした。

 ボロボロの装備。身体から滴る血液。顔に入った幾つもの傷跡。

 その容姿から、かなりの激戦だったことが伺えました。


 立っているのでやっとの様子のグラコスさんは、いつもより細い声で口を開きました。

「君たちに、伝えることがある……ハァ……ハァ」

 脚の力がなくなり、体勢を崩した彼は、そのまま前に倒れ込みました。それに母が急いで肩を貸します。

「と、取り敢えず、中に案内します。あまり、無理をしないで下さい」

 そして、私たちはグラコスさんを中に運び込み、父の使っているベットに寝かせました。

「ハァ……ハァ……」

 傷の適切な処置は出来ないものの、その場しのぎで家にある包帯を使い、グラコスさんの手当てをしました。それでもグラコスさんはいつになく弱り果て、苦しさが時を追う度に増していく様子でした。


 ある程度介抱をしたところで、母は本題を尋ねました。

「ところで、どうなったんですか? 貴方も。そして、夫も」

「あぁ、今回は、……そのことを言いに来た……」


 叔父の次の発言に緊迫する空気。

 私は慣れない空気に戸惑いを隠せませんでした。

「パパは、どうなったの?」

 私と母の問いかけに、グラコスさんは応えを口にしようとしました。

 しかし、それに反して、彼の目からは涙が出てきました。


「う゛ぅ……、う゛っ……済まない……」

 それの意味が分からず、私は不思議そうに再びグラコスさんに問いかけ直しました。

「ねぇ、どうしたの? どうして泣いてるの?」

 一方で母を見ると、それを理解した模様で両手で顔を覆い、泣き崩れていました。

「ねぇ、どうして2人とも泣いてるの?」

 幼さ故、やはり状況が1人だけ分からない私。そんな自分に、グラコスさんは優しく涙目で応えてくれました。


「君の、……君の父さんは、う゛っ……」


 ────


「君の父さんは、……私の目の前で、殺されてしまった……」


■■■


 うわぁぁぁぁん────

 ただの石の前で泣き叫ぶ少女の姿がありました。

 それは父を失って嘆く、子供の私でした。

「どうして? どうして帰ってこないの……」

 私は喉が裂けるほど、父を呼号しました。勿論、返事なんて返ってきません。ただただ、辺りに谺響こだまするのみです。

 しかし、それでも私は叫び続けました。

「パパ……何とか言ってよ、パパ!」

 嗚咽おえつに浸り、私の目には涙が、喉には言いたいことで溢れかえっていました。


 一方で、母は何も言いませんでした。いや、言えなかったの方が正しいでしょう。隣のグラコスさんにもたれかり、ひたぶるに涙を流し、呼吸がぎこちありませんでした。グラコスさんも、呆然と立ち尽くし、酷い悲哀で感情が埋まっていました。


 家族を失い、泣いていたのは私たちだけではありません。

 隣にも、そのまた隣にも、私と同じ境遇の子供や大人の姿がありました。

 どの家族も私のように、石に向かって返事のない呼び掛けを、何度も試みていました。

 辺りは行き場を失い、溢れ返った号哭しかありませんでした。


 魔王討伐の被害は甚大でした。

 結論から言うと、私たちギルティア国連合軍は、魔王に大々的な敗北を余儀なく認めさせられました。

 死亡者、約6400人。

 行方不明者、約3000人。

 帰還した人数、僅か526人。

 参戦者約10000人に対して、多くの犠牲者が出ました。


 戦況は、あっという間だったといいます。

 魔王との戦闘直後、一斉攻撃を仕掛けたこちら側は、その反撃に放った魔王の一撃にほぼ全壊。

 戦闘時間、約20分程度で撤退しなければならなくなったらしいです。


 父はグラコスさんと行動を共にしていたらしいです。

 剣を片手に衛兵らしく、父とグラコスさんは魔王に向かって行ったといいます。

 しかし、魔王の力は強靭でした。

 たった一撃。たった一撃で、グラコスさんは深手を負ってしまいました。そして、父の安否も気になり、倒れながらも辺りを見回しましました。


 しかし、いくら目を回しても、父の姿は跡形もなく消えていたといいます。

 あるのは父のものと思われし血痕だけ。


 叔父はその場で気を失いました────

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