第Ⅶ話 言語学習は図書館で

序章 The New Life


第Ⅶ話 言語学習は図書館で


 話しかけた少女はとても可愛らしいかった。


 水のように澄んだ目。

 透き通った色白の肌。

 オレンジで長く、清潔感のある髪。

 大人しめの雰囲気。

 清楚感溢れる服装。


 まさに美人という言葉がピッタリの女性だった。


 別に恋愛的な感情は持たないが、この世界で初めて話しかける人選に少し狼狽える。ん?チンピラ?何それ知らないなぁ。

 それより性格が宜しければ、私は嬉しいのだが……。


 経験上、私の話しかけてきた若い女性は、5割が何かと忙しそうでお断り(まあ、大体は鬱陶しがってたが……)。3割は丁寧に案内してくれた。因みに、残りの2割は無視である、酷い。


 また、何がともあれ、まずは聞いてみよう。

 年下のようなので、タメで尋ねる。


「済まないが、この図書館を案内してくれないかな?恥ずかしい話、私は字が読めないもので……」

「あ、そうなんですか。分かりました。別に急いでないので、案内しますよ」


 優しく笑顔で応える彼女。どうやら性格も宜しいようであった。

 大丈夫なのか?こんな100点の女子が存在しても?

 世界のバランスが崩れないかね?


 ────


 彼女は事細かく館内を案内してくれた。


 図書館はとてつもなく広かった。端から端まで使って短距離走をしても有り余るくらいである。

 4階建てで、その図書館の中心は吹き抜けとなっている。丸い何かで型どったように綺麗な円状で、天井にはドーム型の窓硝子があり、内部に光を取り入れている。

 本自体の数も尋常ではなく、ざっと見るだけで数十万冊は軽く超えている。見ているだけで目が疲れる。本の全てを読むのに、人生丸々使っても足りないのではないか?


 2人で大雑把に内部を見て周り、一通り案内したところで、彼女は足を止めた。


「さて、大まかにこの図書館を説明しましたけど、ところで探したい本とかありますか?」

「うーん、そうだなぁ」

 元々、私の目的は情報収集ではあるが、まずは勉強優先だ。

 取り敢えず、勉学用の本を読みたい。


「まずは文字を覚えないとだからなぁ……」

「あ、教科書ですか?それなら、こちらですよ」

「いや、

「えっ?教科書じゃないんですか?」


「あぁ、教科書は今はまだだ。それよりも、あそこに案内してくれるかな?」

「それって、何処です?」



「『絵本コーナー』ってどこかな?」



■■■


 第三者が、今の私の姿を見るとどう思うだろう。


 その本の作者かな?あるいは、思い入れがあって懐かしんでるのかな?

 そんな風な考えを持つかもしれないが、残念ながらそのどちらでもないのが、今の私だ。

 更に残念なことに、その理由が「語学学習」なのだから、これはやはり大人気ない……。


「あのぉ、どうして絵本なのでしょうか……」

 見るに堪えない彼女がいよいよ質問してきた。まぁ、それもその筈だ。

 いい歳こいて、絵本に熱中するなど、私は絵本作家以外知らない。馬鹿にするわけではないが、私も私に似た人達もいささか幼稚である。


「あぁ、気にしなくていいよ。これがいつもの私だし」

 受け入れ難いが、これに慣れを感じている私がいる。生物かどうかも怪しいが、人間として悲しい。

「いや、そういうことではなくて……あの……」

 引っ込み思案なのか、モジモジと言葉を濁す彼女。

 可愛い……。生物として、どこか可愛い。


「ああ、絵本を選んだ理由かい?」

「あ、はい。辞典や教科書ならまだしも、どうして絵本なのですか?」


 因みに、私が今読んでいる本は「龍と姫君」と言う名前の童話らしい。いかにも童話な名前だ。勿論、読んでいても文字が分かっていないのに、内容を理解している訳が無い。見ているの方が表現として正しいくらいだ。


「じゃあ逆に聞くけど、人間が生まれて、一番最初に文字に触れるものって何だと思う?」

「え、……それは、絵本、だと思いますけども……」

「そう、絵本だ。家族が子供を楽しまたい時に、買ったり借りてきたりする道具だ。その時に大抵の人間は文字に触れる」


 ここで注目すべきポイントは、「学校に通う前に文字に触れる」ということだ。

 多くの人間は、学校で語学を勉強するが、しかし学校で初めて文字に触れる訳ではない。ある程度は学校に通う前にその基礎は身につけているのだ。

 となると、教科書もある程度基礎知識を会得していることを前提で作成される。

 だが、私が知りたいのはその基礎だ。つまり、その基礎知識前提の本を読んでも、さっぱりで理解などできない。

 私の語学に関しての状態は、言わば「生まれたての赤ん坊」とほぼ一緒だ。


 辞書についても同じだ。そもそも、私の今話しているアルトリア語はこの世界では存在しない言語であり、イコール翻訳本がない。

 言葉の発音は似ていても、アルトリア語とこの国の言葉は全くの別物なのだ。もしかすれば、「文字」や「文法」が違うかもしれない。

 事実、絵本を読んでみて全く違う文字・表現法だった。


 教科書を見ても分からない。翻訳本もない。


 ならどうするべきなのか────。


 1から覚えるしかないのだ。


「成程……。つまり、全く言語を知らない状態から覚えていくには、子供と同じように……。『言語に触れるところ』から入っていかないといけないわけですね?」

「あぁ、その通りだ」

「でも、それって、時間が物凄くかかりませんか?」

「まぁ、それも一理ある」


 この方法は、言語を覚える上ではかなり頭に入りやすい。

 だがその反面、効率が非常に悪いのだ。


 子供が生まれて学校に入るまで約4年~6年。世界によって違うが、大体このくらいの時期だ。

 一方で、文字に触れる、絵本を読み始める年齢は1歳~2歳。あるいはそれ以前だ。ということは、学校に入学するまで約5年間程のキャリアが生じるのである。更にここから文法まで覚えるとなると、最低でも6年近く必要となるのだ。


 大人となって、記憶力が向上はするが、それでも言語丸々1つ覚えるとなると、やはりかなりの時間は有する。

 実際にこのやり方で、「セブライ語」という他世界の言語を覚えようとしたが、完璧に覚えるまでに半年もの歳月をかけてしまった。


 言語を完璧に覚えるのには時間が必要となる。これは仕方のない事実である。

 が────。


「まぁ、今回はその心配は無さそうだけどね」


「えっ?────それって、どういう────」


 その言葉の直後、私は手元の絵本を


■■■


 パタンと心地良い音を立てて、私は本を閉じた。

 個人的な話だが、私はこの音が何となく好きだ。

「さて、予習も済んだことだし、そろそろ本題にでも入るか……。じゃあ、教材コーナーに案内してもらえるかな?」

 そう言って、彼女の方を見やると、彼女は絶句していた。

 口に手を当て、可愛らしく驚いている人の標本のような姿がそこにあった。


 瞬きもしないくらい、固まっていたので顔の前で掌を叩く。

 パンッ────

 ちょっとした音に、彼女の意識がようやくこちら側に戻ってきた。


「おーい、大丈夫か〜?」

「ハッ!」

 彼女の雰囲気は大人びているが、どうやら中身は天然のようだ。いかにも女子らしい。全く、可愛いじゃないか。

「驚き方が、漫画かよ……」

「す、すみません……」

 何故か謝っている。可愛い。

 そんな息を吹き返した彼女は、意識が戻ってもやはり驚いていた。

「それより、もう覚えたのですか?」

「ん?あぁ、私は記憶力がいい方だからね」

「いや、記憶力のよさで片付くレベルではないです。で、では……これ、読んでみて下さい」

 そう言われて、私は棚から取り出された、1冊の童話を渡された。

「タイトルは……『星の魔法使い』か……、どれどれ」

 私は絵本を音読し始めた。


「むかしむかし、あるところにこの世で1番魔法が上手な魔法使いがおりました。

 その魔法使いはある日、その評判を聞いた王様に呼ばれて城に行くことになりました。

 城に着くと王様は『星というものが見たいから、星を作ってほしい。』と魔法使いに命令しました。

 その国はいつも天気が悪く、空はずっと曇り空だったので、王様は星というものをs

「分かりました、もういいです」


 話が佳境に入る前で彼女は語りを止めに入った。

 ようやく、理解したことを理解してくれたようだ。

「やっと、私の記憶力のよさを分かってくれたか……」

「よく分かりました……。凄いんですね、あなたって」

「記憶は得意分野だよ。コレと、とあることしか、取り柄がないもんでね」

 どこか彼女は息が荒かった。これは私が悪い……のか?


 まぁ、何がともあれ、どうやらあらかた文字の解読はできたようだ。


 しかし、彼女は私に興味を抱いてしまった様子だった。


「しかし、何故ですか?発音や喋り方は同じとは言え、世界の公用語をこうも単純に理解するなんて……どうしてですか?」

「なんだ、世界の公用語なのか。それは嬉しいことだ」

 数々の言葉を多用しなくて済むから、これは不幸中の幸いだ。

「それについてか。発音については私の知ってる『アルトリア語』というので対応できた。文字については、『ヴァルアス語』と『スリア語』、『レイアット語』を組み合わせて大抵は理解できた。文字列は『スリア語』、文法表現は『ヴァルアス語』と『レイアット語』だ」

「えっ、因みになんですけど、どれくらいの言語を使えるんですか?」

「そうだなぁ、人の言葉だけだと、ざっと142種類くらいだな」

「えっ、人の言葉って……、他生物と会話できるんですか!?」


 質問攻めが続く。正直なところ、鬱陶しく、まずい。

 私としては、人に興味を持たれるのは極めてリスキーで面倒な状況なので、どちらかというと私などそこらの埃と同等に思われて欲しいのだが……。

 案内してくれただけ断りづらい。


「ま、まぁな。ドラゴン語とか話せるけど……」

「他には?他にはどんな言葉を!?」


 もう、私に別の意味で釘付けだった。


■■■


 質問攻めというのは、素性を隠したい私にとって、多大なダメージとなった。まぁ、そこまで重要機密ではないので話してはみたものの、つい口が滑りそうで怖い。まったく、おぞましい女だ。可愛い上に知りたがり屋だとは……私の天敵のようである。


 はぁ。こっちまで疲れた……。


 あの後、取り敢えず座って話そうとのことで、私と彼女は図書館の大テーブルに移動した。私はそこで様々な言語について語った。ドラゴン語についても少々講座を開いたが、勿論他人には分かるわけもない。のに、彼女はうんうんと相槌と頷きを何度も繰り返していた。これもなんか怖い。


 とは言え、収穫もあった。

 私の知識と引き換えという交換条件をもとに、向こうにも「世界情勢」についての講座を開いてもらったのである。安い個人情報の対価にしてはそこそこの利益だ。海老で鯛を釣ったようである。


 講座に関しては、彼女はノリノリだった。

 そもそもの話、彼女はこの国の国家資格を取るために日々頑張っているらしく、今日も今日とでこの図書館に調べ物をしにきたらしい。しかもその国家資格が考古学というのだから、これまた巡り合わせのよいものだ。


 だが、今のこれを見ると、私が何故か悪いことをした気分になる。

 講座前に彼女は、

「任せてください!歴史・政治は得意分野です!」

 と大口を叩いていたのだが……。


「成程。つまり、この王国は今王政が2つに分かれてると。そんでもって、両者が両者で独立した政治を行っているため、王国が2つに分割されてると」

「は、はい……。そういうことです……」

 個人情報に興味を抱いていた自身の声が弱々しくなるほと、彼女はぐったりしていた。質問攻めを食らった私より疲れていた。

 どうやら、私への講座が原因らしい。

 仕方あるまい。私は何も知らない人間なのだから、質問くらい攻めてしまうだろう。仕方ない。仕方、ない、のか?

「少し質問し過ぎたかな?流石に無知に常識を教えるのは精神的に堪えるよね……」

「いいえ、堪えたのは私が説明する前に、どんどん自己解釈していく、あなたの推理能力です」

「あ、そっちなのね……」

「それに、その推測自体が9割方正解なので、私も説明甲斐がないですよぉ……」

「ホント、すみません」

 迂闊だった。彼女の少量の情報を、経験から私が推測して答えるのがむしろ、ストレスだったとは……。これは、今後気をつけるとするか。


「でも、ほんとに凄いですね。あなたの記憶能力って、私もそんな能力があればいいのですが……」

「いやいや、こんな能力、褒められたものじゃないよ?それにここまでくると化け物とか言われるから、君くらいの能力が丁度いいよ」

「そんなものなのですかね……」


「それに、これはしな……」


「えっ?何か言いました?」

「ん?何か聞こえた?」

 誤魔化す私。誤魔化せてるかは知らないが、とにかく今はこの話はしたくない。いや、いつだってしたくない。


 自分しか知らない過去は、わざわざ披露する必要はない。

 だから、隠しておこうと決めた。まだこの時の話だが……。


「あ、そう言えば、まだ名前聞いてませんでしたね。あなたのお名前は何ですか?」

 不意に思いついたように話す彼女。

 教えてもらった恩はあるが、私の素性はやはり隠すべきだとここでは感じた。なので、私は嘘をついた。

 過去に使ってた偽名だ。

「私か?私は『クレベルシュ=アルト』。ただの旅人だよ。君は?」

 流れで私も尋ねた。

 すると彼女は容姿通りの可愛らしい声で返事をしてくれた。


「私は『レーベルク=マナベル』です。ベルって呼んでください!宜しくお願いします。アルトさん」

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