柊は秋風に揺れる

Hello,new place(1st)

 夏休みの終わり。うだるような暑さの中、背中を伝っていく汗に身体が不快感を覚える。しかし、その汗は何も暑さのせいだけではないような気もしていた。何故なら、ひいらぎ藤花とうかは緊張していたから。


 高校一年生の夏が終わろうとしている。せっかくの夏休み、大したこともできずに。藤花の夏休みは引越しに関わるあれそれでほとんど消えた。夏休み明けからは新しい学校に間に合うようにと、手続きやら何やらもまとめて詰め込まれた。親の都合の転勤にはもう慣れっこだったし、何も初めてではない。段ボールに荷物を効率よくパッケージできるのは特技になった。なんて、ポジティブな理由も探してみるけれど、さすがに高校での転校は堪えるものがあった。

 中学生時代に友達が少なかったわけではない。友人と呼べる子との別れも何度か経験したし、その度に胸の痛みを覚えてきた。別れは何度経験しても慣れない。


 でも今回は種類が違った。なんというか、無気力になってしまったのだ。


 藤花にとって、元の高校ははじめて自分で「行きたい」と選んだ学校で、そこに入学するために受験勉強もそれなりに頑張った。苦手な数学も何度も解いたし、直前まで友人と励まし合いながら帰路についたりもした。受験一色に染まった中学三年生は楽しいことだけではなかったけれど、自分で努力して結果を出したくて、とにかく駆け抜けた充実した日々だった。それだけは間違いない。

 高校合格は、藤花がはじめて自分で勝ち取ったと呼べる成果だったのだ。


 憧れの高校にやっとの思いで合格して、春からキラキラした高校生活を送るつもりだった。中学校から一緒の友人もいるし、長くて短い三年間を楽しみたいと思っていた。

 そんな希望に満ち溢れた高校生活は、半年もしないうちに終わりを告げた。


 元々藤花の父親は転勤族で、数年単位での引越しが当たり前になっていた。幼稚園のときからそうだったから、藤花にとってもいつかは訪れるものとして理解はしていた。だが、今回は流石にきつかった。死に物狂いで手に入れたものを、あっけなく手放すことになってしまったのだから。

 父親を恨みはしない。母親に当たりもしない。ただただ虚しかった。養ってもらっている以上、藤花は柊家のルールに従わなければならない。家族関係は良好だし、家出したいわけでもない。高校に残るために一人暮らしをするかと問われると、将来も定まっていない状態でそんな選択はできなかった。


 そう、誰も恨みはしない。恨んではいけない。ただ……「今、この環境」で頑張ることに意味を見出せなくなってしまっただけで。

 いずれ引越しですべて失ってしまうのなら、努力して何かを手に入れるなんて馬鹿らしいのではないか? 友達だってすぐにお別れをするのだから、深く関わらない方がいいのではないか? 引越しをしている間も、そんなモヤモヤとした思いが藤花を占めていた。


 今日は八月三十一日。

 明日は九月一日。……新しい学校での新しい生活が、始まる。


 柊藤花の胸の中には虚無感と不安があった。新しい学校ではどう振る舞えばいいのだろうか。友達は作った方がいいのだろうか。どのくらい踏み込んでもいいのだろうか。別れのことを考えて、距離を取った方がいいだろうか。高校一年生の秋という中途半端なタイミングで、クラスや部活に自分が入る隙間はあるのか。


 藤花はネガティブな気持ちがいっぱいになっていたけれど……ひとつだけ、気になっていることがある。


 転校する前に下見で参加をした文化祭。人で溢れかえり活気に満ちた廊下で出会った女子高生がいた。別に特段目立つような人ではなかった。でも、見ず知らずの自分に親切にしてくれた。このまま他人のふりもできるけれど、なんだか「知らないふり」をしたくもない。

 あの人には、もう一度会っておきたい。どうしてか、藤花はそう願っていた。


 名前は知っている。仁科春――高校二年生。

 千人以上いる高校からたった一人の学生を探すのは難儀だろうか。でも、フルネームと学年がわかっているのだし、その気になればなんとかなりそうだ。あとは踏み出す勇気だけ。藤花が会いたいと願い、行動する一歩だけ。


 「喫茶店メメント・モリ」に出会ったのは、八月三十一日の午後のことだった。


 その店は、ムーンリバー二番街というアーケード街にある。高校の近くにあるから、きっと学校帰りに多くの学生がここで放課後を過ごすのだろう。引越しはお盆明けに完了していたので、地理を知っておこうと散策を何度か繰り返していた。ムーンリバー二番街を歩くのは二度目だ。前回は高校通学のルートを覚えるために歩いた程度だったので、どんな店があるかはしっかり確認していなかった。

 アーケード街は全国的なチェーン店からシャッターが降りていないのが不思議な店まで入り乱れており、統一感がない。まるで雑居ビルみたいな商店街だ。


 喫茶店メメント・モリは大通り側にある。落ち着いた色合いとシックな雰囲気が「知る人ぞ知る店」という佇まいに感じる。


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