Midsummer Night's Dream(2nd)
***
「その、水戸さんと言う方は非常に面白い観点をお持ちですね」
マスターが食いついたのはなっちゃんが提供したネタではなく、なっちゃん自身でした。
夏がいよいよ到来した七月。夏服でも暑さを感じるこの天気にも関わらず、マスターは安定のバーテンダー風のベストを着用しています。シャツを腕捲りしているぶん、涼しさを感じなくもないですが。それでもきっちりとしたベスト姿は吸水性最悪だろうし、苦しそうだなとは思います。まあ、マスターは背丈もそこそこあるし太ってはいないから、暑苦しい印象はないですけど。
「なっちゃん、ですか」
「ええ。何故夏が不快かを哲学で導けとは……一般常識に囚われない、柔軟性を感じます」
なっちゃんのそれはいちゃもんに近いと思うのですが、マスターが饒舌なので何も言わないでおきます。本気で感心しているようで、ふむふむと何度も首を縦に振りながら台ふきんを冷水に浸しています。蛇口の水は辛うじて常温ですが、爽快感のある冷えはありません。
「そんな方とは是非語らいたい」
「なっちゃんは哲学に興味はないみたいですよ」
すかさずあたしは釘をさします。マスターとなっちゃんを接触させてはならない。それは愛すべき友のためであり、私自身のためでもありました。バイト先のマスターの話をするたび、露骨にイヤな顔をしていたなっちゃん。彼女とマスターを引き合わせたらどんなに恨まれるか! 晶のパターンとはワケが違います。
それに、あたし自身もバイト先以外でのマスターの接点を増やしたくない。自分の
マスターはしかし、簡単には諦めないようです。
「そこをなんとか」
「いや、無理ですよ。だってなっちゃん、変態にはなりたくないって」
「変態……?」
マスターの、濡れタオルを洗っていた手が止まります。ぴたりとした静寂。首振りが止まったあたり、キャパシティを思考に全振りしています。
マズイ。悪寒が走ります。これはつまり何か、悪い方向に走り出した気がします。
「私が、変態ですって?」
「あくまで、なっちゃん曰くですよ? あたしじゃないですからね」
保険は用意しておきます。
マスターは神妙な面持ちで「変態」「変態ですか」と繰り返しています。変態変態とぶつぶつ、しかも真面目な顔で呟くこの人が私の雇い主とは正直思いたくないものです。
「水戸さんは、私のどこが変態だと?」
「哲学するところみたいです」
正確な答えはわかりませんが。
「何故、哲学が変態だと」
「なっちゃん曰く、何でもかんでも根詰めて考えてしまうことが」
以前言っていた気がします。「あたしは無理だわ。四六時中悶々と妄想に耽るだけなんて。頭の中で完結するなんて、それで満足するなんて、自己満足の痛い人でしかないでしょ」と。
あれ、でもそう考えると。
「奥さんみたいな考えですよね」
あたしが何の気なしにそう呟くと、マスターの肩が露骨に跳ね上がりました。奥さんの名前は禁句のようです。
「とにかく」
マスターは震える指先で濡れタオルを絞っています。動揺を誤魔化そうと言う魂胆でしょう。しかしうまく力が入らないのか、思うように水が切れません。
「価値観の相違は興味深いことです。今日はこれにしましょう、ええ」
「ちょっと突飛じゃないですか!?」
あたしは思わず突っ込んでしまいます。しかしマスターは饒舌に続けます。
「いえ、そんなことはありませんよ。水戸さんの視点と私の視点……同じ物事についてもここまで反対の思考に至れるとは。やはり人間の可能性は素晴らしいです」
なんで人間の可能性にまで話が広がるんですか。しかもマスター、今ので調子が上がってしまったようです。
「仁科さん。もっと水戸さんの話を聞かせてください。彼女の考えと私の考えにどれだけの相違があるのか、実に興味深い」
「急にそう言われても……」
なっちゃんの話、なっちゃんの話……いきなり言われても何を話せばいいのか。あたしが知ってる水戸奈都子は体育会系サバサバ女子で、嫌いなものは嫌いとハッキリ言う子で。
「水戸さんの意見が出ているものがいいです。何かについて賛成したですとか、反対したですとか」
「賛成、反対……ですか」
そういう話になるのは大方委員会や学級内の話し合いのはずです。なっちゃんは何でもハッキリ言う子だから、確かにそういう場面で気に食わないときは真っ先に意見するタイプです。
最近、話し合いをしたことと言えば。
「あったんですね?」
あたしの顔を穴のあくほど見つめて、嬉しそうに喋るのはやめてほしいです。期待と好奇心に満ち溢れたマスターの視線が正直痛いです。刺々しいほどです。
「ない、わけじゃないです、けど」
「どんな場面で、水戸さんは何と言ったんですか? さ、早く」
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