補足:マスターの哲学的思考入門
「仁科さん。哲学を難しく考えてはいけません。哲学とは考えること、ただそれだけなのです」
……仁科春です。
今日は正直、お話することはあまりないと思います。というのも今日のマスターは饒舌なもので、きっとあたしが口を挟む暇もありません。
え? 聞くんですか?
正直、長いですよ? オススメしませんよ? 暇ならまだしも、いや暇でも、マスターのまだるっこしい言葉なんて……
いえ、どうぞご自由にしてください。あたしは忠告しましたからね。もう一度言います。長いですよ。
***
私は常々、物事を深く考えることを信条としています。それは考えること……常日頃からとりとめのないこと、とるに足らないことを突き詰めていくことで見える真実があると思うからです。
考えること自体に厳格なルールはありません。ただ、考える姿勢と言うのは大切です。無心で、方角も定めずに旅をするのは無謀と言うものですからね。
私が重視するのは「何故を突き詰めること」です。
仁科さんには常に言っていますね。私の口癖でもありますから。何故その結論に至ったのか? 何故そう言えるのか? 普段当たり前だと思っていることにこそ、深く思考する価値があるというものです。
たとえば、待ち合わせ時間について。仁科さんがある人と待ち合わせをしたとしましょう。その際、時間を何時に設定しますか? 諸事情あるかと思いますが、今回は仮に午後二時とします。
では、何故二時としたのか?
まだ背景が見えてきませんね。ですがそこには何かしらの理由があるはずなのです。午後一時ではなく、何故二時なのか。
普通、そこまで深く考える人はいません。設定した人間自体、深く意図していないかもしれません。しかしそこに真理……その人さえも自覚していない真実が隠れているときがあるのです。
可能性はいくらでもあります。それこそ、妄想だと一蹴されることもあるでしょう。しかしはじめはそれでいいのです。柔軟に考えること、考えを否定しないこと、考えることをやめないこと。これが哲学を、物事を深く考えていく上での最低条件です。
仁科さん、考えてみてください。何故その人は午後二時を設定したのでしょう?
可能性は無限大です。一時までその人は予定があって、二時がちょうどよかった。一時はお昼を過ぎたばかりで、外を繰り出すための準備が慌ただしくなると思った。カフェへ行きたいが、三時では混んでしまうから早めに設定した。
例はいくらでも出てきます。可能性は否定しないでください。まずはどんどん出しましょう。状況に応じて可能性を検討するのは、次の段階です。すなわち、背景が見えてきた場合ですね。そのときは背景に矛盾しないものを見つけていけばいいのです。
すべては仮定の話ですが、お昼までその人に用事があったとしましょう。
すると、どうですか? 選択肢はかなり絞り込めるでしょう。先程あげたなかならば、先約がありそのあと待ち合わせをする場合、確実に間に合う時間が午後二時だった。それが無難でしょうか。
しかしここで注意してほしいことは、決めつけないことです。
推理と哲学の違いは、物理的証拠の有無です。推理小説の名探偵は自らの推理を披露しますが、犯人は推理だけでは納得しません。ゆえに探偵は己の考えが真実だというあかし……証拠を提示するわけです。
哲学は違います。哲学に物的証拠はありません。
むろん物事によります。かの有名な精神学者フロイトは、彼の患者のデータから夢診断なるものを作り出しました。ですが、すべてに明確な根拠があるわけではないのです。何故なら哲学は己の考えを突き詰めることであり、普遍的な真実を提示することではないからです。
ソクラテスの問答法が、物事を突き詰める上で最適だという根拠はありますか? ベーコンとデカルトが唱えた帰納法と演繹法に優劣はありますか? そもそもアルケーの定義は多種多様で、どれが一番正しいかということは誰にも……
ああ、すみません。今の話は哲学者、歴史に名を刻んだ人々の話です。是非知ってほしいですが、それはまたの機会に。
とにかく。今大切なのは、哲学に正解はないということです。
私たちはあくまで自分なりの考えを追求していくものです。真犯人もいなければ、事件の真相を解き明かすのでもありません。哲学には明確な答えがない。その人だけの答えがある、大変興味深いものなのです。
待ち合わせの話に戻りましょう。
先程、午後二時を設定したのは昼に用事があったから、という仮説を出しました。確かに納得できますが、果たして可能性はそれだけでしょうか?
昼に用事があったとしても、一時には間に合うかもしれません。あるいは仁科さんではなく、待ち合わせ相手の都合という可能性もあります。すなわち、相手方が午後二時でないと都合が悪い場合です。
今回出した背景は片方のみの都合でした。しかし、一方のみを見てはいけません。広範な視野、柔軟な思考……背景が明確になっていないもの、死角になりうるものも疎かにしない。それが、哲学において重要なことです。
……さて。
今日は随分と話し込んでしまいました。やはり仁科さんは哲学をする基礎、その根幹が理解できる。そんな方だと思っていますから。是非ともまた、仁科さんにしか出せない解答を聞きたいものです。
そうそう、今度は考えを戦わせる、相手を論破することもお話ししたいですね。今はまだ自分の考えを見つけるだけで十分ですが、いずれは。ええ、楽しみです。
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