M.I(3rd)

「ようこそ、喫茶店メメント・モリへ」


 案の定マスターのところなのでした。


 実は、店にはテストが終わるまで行かないつもりでした。マスターにはあらかじめ断りを入れていました、「テストが近いのでアルバイトをお休みさせてください」と。ここはそこまで忙しい店でもないので、マスターは快くあたしにお休みを認めてくれたのでした。

 だというのに、こんなに早く再会しようとは。


「なるほど。あなたが仁科さんの幼馴染み」

「渡良瀬です」


 晶は淡々と自己紹介します。


「仁科さんがお世話になっています。この店のマスターをやっています」


 私のことは遠慮なくマスターと呼んでください、皆さんそう呼ぶので、とマスターがにこやかに答えます。

 想像もしなかった取り合わせ。でも、妙に納得できる取り合わせです。


「晶なら、マスターと話合うかもしれないね」


 そして残念ながら、きっかけはあたしの一言なのでした。


「と、言いますと?」

「晶は学校で一番頭がいいんですよ」


 あたしがマスターにそう説明すると、晶は不服そうな顔をしています。違う、これは、照れているのかも。


「一番は言い過ぎだろ」

「でも、学年トップでしょ」

「やることをやってるだけだ」


 晶は目立つことが苦手です。学年トップであろうとも驕らない。人前に立つことが元々得意でないし、口下手だから、自分のすごさを誇ることもないのです。そういうところが男子からは受けるらしく、男友達は結構多いらしいですが。


「何故」


 そう切り出したのはマスターです。


「仁科さんは、私と渡良瀬さんが意気投合しそうだと?」

「それは」


 この流れ……何度か覚えがあります。デジャビュ、って言うんでしたっけ。


「晶、頭いいし」

「成績優秀な方と私が何故、話が合いそうだと?」

「いや、だって……マスター、哲学好きですし」

「違いますね」


 大仰に首を振るマスター。ここまで来るともう、慣れっこです。

 今のあたしの状況は「予測可能回避不可能」というやつでした。マスターがあたしの言葉、それこそ一言一句に敏感に反応し、そこから疑問を膨らませていく。質問するマスター、答えるあたし。その果てに待っているものは、もちろん。


「成績の良さと哲学的思考は同義ではないのです」

「……違うんですか」

「はい。しかし」


 逆接や転換の接続詞を使ったら、マスターの世界が広がります。


「何故、人はそのような思い込みをするのでしょうか」

「……そのような、というと」

「成績の良さと思考を同じ領域で考えることです」


 う、ううん? なんというか、今回はより一段と言葉が難解なような……?


「頭が良いイコール何でもできる、と結びつけることですか」


 食いついたのは晶でした。


「ええ、その通りです。もしや、人は哲学と勉学の差異を認識していないのでしょうか」


 今日のマスターは一段と乗り気です。いつもはあたしとの問答なので、どうしても平易な言葉を使ってくれるのですが、相手が晶のせいか序盤から飛ばしています。


「よくいますよ、そういうの。頭が良ければなんでもできると思ってるんです」

「何故、そのような錯覚をするのか……渡良瀬さんはどうお考えですか」

「俺は」


 あたしはマスターと晶の会話に耳を傾けていました。本当は人気のない静かなところで勉強がしたいという晶のために、ここを選んだわけですが。アルバイト先だしマスターも許してくれるかなと思ったけど、これは誤算でした。晶がマスターに食いつくとは思わなかったんです。


「頭を使うものをすべて同類項でくくってるからだと、思います」

「それはまた、何故?」

「頭が良いと、頭を使うもの全部ができると思うんじゃないですか」


 マスターの質問癖にも晶は怯みません。


「勉強も、哲学も、ついでに推理も。頭を使うイコール頭良いと思っている。全部できると思っている。そのせいかと思います」

「振り出しに戻りましたね。何故、頭を使うものすべてを括ってしまうのでしょうか」


 対するマスターも追撃の手を緩めません。


「先入観、ですかね」

「先入観?」

「無関心が近いかもしれないです。自分に縁のないもの、深くないものはどうでもいいというか。違うジャンルを同じ括りでまとめてもさしてって……感じるのかも」


 後半は晶自身、考えがうまくまとまっていないようです。少し曖昧な表現になりました。それから困ったように頭をかいて呟きます。


「難しいですね。哲学」

「それが醍醐味です」


 マスターはさも当然のように言います。

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