M.I(2nd)

「あ、……春」


 数秒の間があったのは、おそらくあたしの名前を呼ぶことをためらったからでしょう。だってそれは数年会話もロクにしてない間柄ですもの。あたしだって教室の扉開けるのめちゃくちゃ緊張したし、「渡良瀬晶はいますか」って呼び捨てか、くん付けにするか、ギリギリまで迷ったし。下心みえみえの再会もいうものほど気まずいきっかけもないなと思いました。

 渡良瀬晶はあたしを見るとちょっとだけ目を見開いて、それから名前を呼びました。呼び捨てにされたけど迷いがありありと浮かんで、どことなくぎこちないです。


「えっと、その、久しぶり」


 かくいうあたしもどう接していいかわからなくって、たどたどしい返事をしてしまいますが。


「ああ。その、何か……用?」

「あー……」


 当然のことを聞かれたのに、あたしはここに来てまた迷ってしまいました。なっちゃんに唆されたとはいえ、数年間マトモに話していないわけです。幼馴染みを盾に「勉強教えてください」と言うには、あまりにも失礼です。なんていうか、相手を利用しているみたいで。

 そういうのは嫌でした。特に、晶を利用するなんて。


 渡良瀬晶。

 学年トップの秀才。模試はいつも全県トップ10。そんな頭のいいお人が、あたしの幼馴染みのプロフィールです。


 やっぱり、晶に頼むのはやめよう。晶がどう思ってるのかわからないけど、晶は小さい頃を知っている幼馴染みです。たとえ最近話していなくても、昔の間柄を理由に彼を使いたくは、ない。

 あたしはうん、と大きく頷きました。


「いや、最近元気かなと思って。気になったんだ。それだけ」

「嘘」

「ええ」


 なんでいきなり真理をつくかなあ、晶は。頭がいいと人の嘘も見抜けるんでしょうか。晶は表情を変えることなくぼそぼそと答えます。


「何か用があったんだろ。でないと俺に話なんか」

「う、まあ、そうなんだけど」


 どう話そうかなあ。あたしはちょっと迷って、でも言いました。


「確かに、頼みはあったけど。でも晶を実際に見たら、やっぱあたし一人で頑張ろうと思って」

「勉強?」

「鋭いなあ、もう」

「俺を頼る理由なんてそれくらいだから」


 晶の口調は淡々としています。


「いや、友達に言われたんだけどさ。でもあたし、晶にそんな風に頼りたくないし」

「俺は頼りない?」

「違うよ」


 晶はどちらかといえば無口な方で、表情もそこまでオーバーに変えません。大柄なのもあって威圧感とかを覚える人もいるらしく、彼を怖がっている女子も少なくありません。単語が先行するところも誤解を与えてしまうようです。

 でも、晶にあたしの考えは正確に伝えなくては、と思いました。


「晶が頭いいからって、それ目当てで近づく人、いるでしょ? あたしはそうなりたくないって、思っただけ」

「何で」

「いやだって……幼馴染み、だし」


 こんなときに使うのはずるい気がしたけど、他にいい言葉が浮かばなくって。

 あたしがそう言ったら、晶は少し驚いたようにして……それから口許がひきつりました。これは、笑ってるつもり、だ。


「春はそういうやつだったっけ」

「そうだよ」

「変」

「晶に言われたくないよ」


 この感覚には覚えがあります。マスターに諭されるときと同じ、あたしを高尚な言葉で笑っているときの。つまり、面白がっているときの。


「ちょっ……」

「いいよ、教えるよ。勉強」


 あたしが文句を言おうとしたのと、晶の返事が重なりました。


「え、いや、いいよ。悪いもん」

「幼馴染みが留年する方がもっと悪い」

「留年はしてないよ!」


 思わずムキになってしまいました。声を荒げたぶん、クラス中の視線があたしに突き刺さります。いたい。


 対する晶はふっと息をつきました。ため息……にしか聞こえないけど、これは晶なりの「吹き出し」です。面白くって吹き出しているのです。わかりにくいけど。


「春ってこんなだったっけ」

「こんなって、ひどい」

「面白い」

「褒めてないから、それ」


 でも、あたしは懐かしくも感じていました。晶と久々にこんなに話ができて、嬉しかったのは事実で。そういう意味ではなっちゃんに感謝。


「で、どこでやる」

「え?」

「え、じゃなくて、勉強」

「えーっと、じゃあ……」

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