ミッション・インポッシブル

M.I(1st)

 渡良瀬わたらせあき

 それはあたしの幼馴染みのことであり、できることならばお世話になりたくない名前でした。けれど、どんなに嫌だって言ったって、無理なものは無理。必然も必然、背に腹は変えられません。あたしは今、危機的状況にあるのですから。


 仁科春です。

 六月も半ばになります。軒先の美しい紫陽花、その紫色も見慣れてきた頃合いです。登下校のちょっと嬉しい発見はさておき、あたしには今、最大の試練が降りかかろうとしていました。


 その試練は例年この時期にやってきます。厳密には年に何度か、おおよそ三、四ヶ月に一回くらいのペースです。それを歓迎する人はいない、そうあたしは確信しています。いたらマゾっ気のある人なのかなと言ってやりたいくらいです。

 言わばこれは、第一の試練。壁として立ちはだかるそれを前にして、あたしは例に漏れず頭を抱えるのでした。


「なっ……ちゃん……」


 最大の試練を乗り越えるためにあたしが取った行動は、まずなっちゃんに相談することでした。覚えているでしょうか? バレー部の将来を期待される体育会系女子高生のなっちゃんです。高校一年生で同じクラスだった縁で仲良くしていますが、まず頼るのは彼女、になっていました。


「どうしたの春。ノートなら貸さないよ」


 一蹴。

 なっちゃんはあたしのことを看破していました。


「勉強わかんないよおおおおお!!」


 六月の黄昏時、あたしのむなしい叫びがこだまします。そう、テスト。それが赤点ギリギリ低空飛行の仁科春、目下のミッション・インポッシブルなのです。


「あたしはむしろ春のセンスに感動するわ。なんで赤点取れるんだか」

「冷やかしはいらないの!」


 あたしは好きで赤点とってる訳じゃないのに!

 なっちゃんは決して勉強が得意な子ではありません。平均くらいです。それでも女神様に見えるのは、あたしの答案が真っ赤だからでしょう。


「この世にテストがある意味がわからないもん」


 あたしはむっとして答えました。


「学生の本分ってやつでしょ、便宜上。つーかノートとってワークやれば赤点とかあり得ないから」

「今ここにいるんですけど」


 あたしという生き証人が。

 どういうわけだか、あたしは勉強がまったくもって苦手です。得意科目とか苦手科目とか、そんな次元ではありません。なっちゃんいわく「才能」だとか。


「春。あんた最近哲学もどき始めたから、ちょっとは頭よくなったかなと思ったけど」


 ダメみたいね、というなっちゃん。絶望したいのはあたしの方です。


「だって。勉強って何からやればいいのか」


 やってないわけじゃありません。ただ、いざテストを前にすると、なーんにも覚えていないあたしがいるのです。

 あたしの悲痛な懇願を前にしてもなっちゃんはどこ吹く風(悪魔!)。教科書にアンダーラインを引きながら答えます。


「そんなに勉強できない、やり方わかんないって言うけどさ、うってつけがいるじゃん。頼ればいいじゃない、あんたの幼馴染みに」

「う」


 幼馴染み。あたしはその言葉に顔をしかめました。

 あたしの幼馴染みは、ちょっとした有名人です。なっちゃんに話をしたときから、頼れ頼れと言われてはいましたが、意地を張ってきました。


 渡良瀬晶。あたしの学校ではちょっとした有名人です。


「何にせよ、そろそろ潮時だと思うよ。あっちだって悪いようにはしないでしょ?」

「いや、そうじゃなくって……」


 なんというか、わかるでしょうか。幼馴染み独特の距離感、というか。

 簡単に言うと、あたしと晶は今疎遠になっています。ちっちゃいときは仲良しべったりだったけど、高学年になるにつれてクラスメートから冷やかされて、それきりです。


 よくある話です。近すぎるから遠ざけた。なんの因果かわからないけど、あたしと晶は奇跡的に同じ高校にいるわけですけど。というか、別に特段偏差値が高いわけでもないこの高校に晶がいること自体、あたしには信じられないです。あたしがダメすぎるのもあるけど、晶はもっと上の高校に行くものだと……


「晶、かあ」


 マトモに話すのは小学校六年生以来だから、四、五年ぶり? あたし、そんなに晶と会ってなかったっけ。


 晶のいる教室はあたしのクラスのみっつ隣。これまた微妙な距離です。

 うわあ、緊張する。昔は誰よりも近かったはずなのに、顔を合わせるだけで緊張するなんて。いやそもそも晶、あたしを覚えてるのかな。

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