Killer lady(2nd)

「……奥さんはどうして、マスターと結婚しようと思ったんですか?」


 ついそんなことを聞いてしまったのは、日頃から気になっていたからでしょう。あたしは奥さんと頻繁に会うわけではなかったので、深く聞けなかったのもあります。優しくて会うたびに微笑んでくれて、あたしも惚れ惚れとしてしまう美人の奥さん。綺麗すぎて話しかけていいものかと、二の足を踏んでいた時期もあります。

 けれどここで働いてもうすぐ二ヶ月。そろそろ踏み込んでも、という気持ちもありました。


「ふふ。仁科さんにもあの人の癖がしみついたみたいね」

「そんなことは!」


 相手に質問するだけで「マスターみたい」と言われるのは不本意でした。ここで働いているとどうしても言われるのですが、そこだけはあたしの譲れない一線になりつつあります。マスターみたいに質問と思考ばっかりする女子高生なんて、それこそマスターと同じ変態扱いされてしまいます。

 あたしは考えることが苦手なイマドキ女子高生。哲学なんて間違っても極めてないから! あたしは心に何度も何度も言い聞かせました。


「勘弁してください、奥さん。あたしとマスターはまったくの別物です」

「そうね。仁科さんまであの人みたいになったら、面倒事が増えるものね」


 マスターのことになると毒舌になるのが奥さんです。奥さんはマスターを辛辣に一刀両断していきます。


「仁科さんは若いし、お友だちもいっぱいいるでしょう? 家で一日中ぼっちで問答したりしてないわよね。すべきじゃないわ、そんな陰気なこと。いい、たくさんお外に出て遊ぶのよ。でないと」


 奥さんがにこやかにバックヤードの奥を指します。


「あの人みたいになっちゃうから」

「……はい」


 果たしてあたしに、首肯以外の選択肢が用意されていたのでしょうか。


「奥さんは本当に、マスターに手厳しいですね」

「愛のムチだとは思わない?」

「あ、いや、その……」


 天使みたいに穏やかな笑顔でそう言われたら、逆接なんて使えなくなります。奥さんが愛のムチというならそうなんでしょうか。にしてもかなりキツイ当たりかたをしているけれど。傍目に見ても。

 あたしが悶々とし始めると、奥さんは困ったように眉根を寄せました。


「あら、ごめんなさい。冗談のつもりだったんだけど」

「冗談、ですか」

「ええ。私があの人に愛なんて、口が裂けても言わないわ」


「言えない」ではなく「言わない」なのが奥さんらしいところです。


「あの人との結婚も、きっかけはほんの些細なことだったのよ。何て言うか、あんな人だから。結局大学でも浮いてたのよね」


 マスターと奥さんは同じ大学の学生だったようです。奥さんが前提としている知識はあたしには初耳のものばかりで、まるでパズルをしているように情報を繋ぎ合わせなくてはなりません。マスターも奥さんもどことなくミステリアスで、プライベートなんてなかなか知ることがなかったのです。


「哲学で食べていけるわけないのにね。朝から晩まで考えっぱなし。ご飯を食べるのも忘れるほど」


 でもね、そんな人だから放っておけなかったのよね、と奥さんは懐かしむように呟きます。その横顔は困ったような笑みを浮かべていて……なんか、いいなって思いました。


「庇護欲? 母性本能? とにかく私がこの人を真人間にしなくちゃ、って思ったの」


 言葉は相変わらず乱暴ですが、それでも奥さんなりの愛情が感じられる言葉でした。


「……と、これで満足かしら? 仁科さん」


 そう笑顔で言われたところで、奥さんがあたしの質問に答えてくれていたのだと気づきました。あたしはなんだか落ち着かなくなって、あたふたと返事をします。


「え、あの……はい。ありがとうございます」

「いいのよ。あの人の無能っぷりを伝えられるなら労力を惜しまないわ 」


 それはそれで、なんというか。

 でも、あたしは考えます。何故奥さんはあたしにこんな話をしてくれたのか。


 奥さんはマスターのだめっぷりを伝えるためと言ってはいますが、そうは思えません。棘の中にある思いやりや愛情、それは鈍感なあたしにも感じられました。

 青いエプロンをつけながら、あたしは考えます。もしかすると、奥さんなりののろけだったのでしょうか。いや、のろけと言うか、愛情表現なのかな。マスターには素直に、真正面から好きだというのは性に合わないから、あたしに悪口みたいな形で思いの丈を話していると言うか……

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