角砂糖とスティックシュガーの合理性

sugar trap(1st)

「うわっ、もう四時じゃん!」


 春です。

 うららかとかいう四月も半ばに差し掛かってきました。今月から始めたアルバイトも何とか板についてきた感じです。


 学校も本格的に授業が始まり、あたしは忙殺されるような日々を送っています。三時半まで授業があって、ホームルームやら掃除やらをするとあっという間に四時。アルバイトは一応四時からということになっていますが、その制約はあってないようなものです。マスターがマイペースな人だから。

 あたしは対照的に時間にこだわるタイプ、期日は守りたいタチです。そういうわけであたしは慌てて帰り支度をしていました。もう遅刻は確定だけど、出来るだけ早く行かなくてちゃ。


 学校からアルバイト先までは自転車で五分くらい、徒歩だと十分強かかります。今日は晴れているので自転車で登校しました。故にお店には五分以内で到着できます。


「急がなきゃ……!」


 ペダルを死に物狂いでこぎます。必死です、見た目なんか構ってられません。身体を必死に振って、荒い呼吸を繰り返しながらあたしは爆走しました。

 商店街にはすぐ着きました。時計を見ると四時四分。もしかしたら最速タイムを更新したかも。いや今はそれどころじゃない、早くお店に入ってマスターに謝らないと……!


「すみません遅れましたっ!」


 「引」の扉を力一杯引いてあたしは店内に入りました。ゼィゼィ言ってますがそれどころじゃありません。

 店内を見渡す前にまずカウンターを見ます。いつものようにバーテンダー姿でコーヒーを淹れるマスターがいるはずです。何でまずマスターを見るかって、もちろん怒ってるかもしれないからです。


「ああ、仁科さん。こんにちは」


 そんな確率は巨大隕石が日本に直撃するくらいのものですが。

 マスターは相変わらずニコニコしていました。予想した通りの服装で、予想した通りコーヒーを優雅に淹れています。そういう姿はさすがに様になります。


「どうしたんですか、大分焦ってきたようですが」


 そんなことを言う始末です。


「……四時からの仕事に遅刻しましたから」

「ああ、そんなことですか。まだ五分ほどしか経っていませんし、大丈夫ですよ」


 マスターは悠々とコーヒーカップをカウンターに置きます。ブラック、だ。


「着替えたら、あちらのお客様にこれをお出ししてください」

「コーヒー、を?」

「ええ」


 笑って言うマスター。

 視線の先にいたのは、寡黙そうなおじさまでした。新聞紙とブラックコーヒーが似合いそうな、四十代くらいのおじさま。こういう年季の入った喫茶店が似合うおじさま。


「着替えの後でいいんですか? お客様に先に出さなきゃ」

「あの方はいいんです。それに、ここはルーズな店ですから」


 マスターがそれを言っていいんでしょうか。いずれにせよ、制服ではバイトに支障がでます。あたしはマスターのお言葉に甘えて着替えに向かいました。それでもお客様を待たせるのはどうかと思うので巻き目で着替えます。

 これまた最速記録更新が期待される速度で店内に戻ってきました。今日はグレーの上着に黒のパンツにしてみました。派手でなければマスターはOKしてくれます。


「じゃあ、コーヒーお出しします!」

「はい、よろしくお願いします」


 マスターはフライパンを火にかけているところでした。熱々から片手で持てる程度の温度に下がったコーヒーカップをトレイに載せて、あたしはお客様のいる席に向かいました。窓際のテーブル席に一人で座っているおじさまがいます。


 なんと言うか、近寄りがたい雰囲気を持ったおじさまです。眉間の皺が深く刻まれていて、険しい表情で文庫本を読んでいます。ブックカバーがかけられているのでどんな本かはわかりません。


「ど……どうぞ」


 おずおず、という感じで出してしまいました。あるいは恐る恐る。

 おじさまが本から顔をあげました。すっごく怖いです。睨みつけてるように見えるし。あたしが騒いだから気分を害されたとか?


「あの」

「……砂糖は」


 おじさまが口を開きました。


「は、はいっ!?」


 突然のことにびっくりして、変な声を出しちゃいました。見た目すっごく渋くて怖いのに、声は意外と高めでした。なんだか可愛い。


「砂糖はどこだって言ってんだ。あんだろ」

「はいっ、さ、砂糖ですね!」


 砂糖は確か、テーブルに備え付けてあったはずです。あたしは強張る頬の筋肉を必動かして笑顔を作りました。


「お砂糖は……そちらの小瓶の中に入っております」


 おじさまの右手側に置いてあります。すると、おじさまが急にテーブルを叩きました。


「そうじゃねえんだよ、わかってんだろ!?」

「ヒィッ!?」


 なんで、なんで急にテーブルドンして怒ってるのこの人! あたし何も間違ってないよね? お砂糖は確かにテーブルの小瓶の中に入ってるのに!

 あたしがしどろもどろしていると、遠くからくつくつと笑う声がしました。心地好いテノール……言わずもがな、マスターです。


「すみません仁科さん。円藤えんどうさんの砂糖は特殊なんですよ」

「へ?」


 マスターはひとしきり笑った後、カウンターの棚から何かを取り出しました。洒落たケースの中に入っていたのは……


「角砂糖、ですか?」

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