memento mori(3rd)

「そんなこと言われたって、やっぱりわかりませんってば」


 ギブアップしたい思いでした。考えれば考えるほどこんがらがってくるし、どこに出口があるのかわからない。まるで迷路みたいな状態。ううん、迷路の方が易しいかもしれない。今のあたしは出口が存在するのかすらわかっていないんだから。


「死ぬのを忘れないためにどう行動するか、なんて」

「仁科さんは毎日をどう過ごしていますか?」


 毎日を? どうと言われても、あたしに特筆するようなことはないです。高校二年生、入学したてのウキウキ気分はとっくの昔に忘れたし、部活も活動してないようなもの。そんなあたしが毎日をどう過ごしているかなんて。


「別に。起きて学校行って眠って……それだけです」


 これからはそこに「バイトして」が入りますけど。続けば。


「何か楽しみはありますか?」

「楽しみ……学校帰りに友達とご飯食べたり、とか」


 あたしが楽しいと思うことなんてとても平凡なことです。


「では、明日それが出来なくなるとしたら? 地球が滅んでみんな死ぬとしたら……仁科さんは最後の日をどう過ごします?」


 何で急に地球滅亡の話に?

 しかしあたしは考えなくてはなりません。明日地球が滅ぶときあたしはどうするか。毎日やってるように起きて学校行って眠って……それを繰り返す?

 あたしは首を振りました。


「やり残したことがないように、やりたいことは全部やりたいと思います。たぶん」


 自信はないけど。

 あたしの答えを聞くと、マスターは満足げにうんうんと頷いています。どうやら期待通りの回答だったようです。


「そう、それなんです」


 マスターはグラスを磨きながら話します。


「メメント・モリはまさにそれを訴えるための言葉なのではないかと、私は思うのです」


 ようやく本題に戻ってきました。


「死を思え……この言葉が出来た時代は戦がつきものでした。いつ死んでもおかしくない。明日の戦争で死ぬかもしれない。そのときにああしておけば良かった、これをやっておけば良かったという後悔を生まないために、メメント・モリは唱えられたのです」


 グラスを磨く手が止まりました。ここまでは誰かの受け売りだったようです。一般論かもしれません。

 本気で物を考えるとき、人は「ながら」が出来なくなる。マスターの持論です。


「後悔のない生を。そのために今を実りあるものとして生きていく。メメント・モリは一見先を見据えたような教訓ですが、私はそうは思わない。むしろ今このときを必死で生きる、そのための言葉のように考えます」


 今を必死に生きる、こと。

 マスターの答えは正直拍子抜けでした。哲学が大好きな人だから、もっと高尚な言葉を並べ立てるものだとばかり思っていたのに。あたしの胸にもすとんと落ちてきた、至極簡単な言葉のように感じました。


「というわけで、仁科さん」


 グラスを棚に並べながらマスターが言います。


「華の高校生活を無下にしてはいけませんよ。せっかくの青春、楽しまなきゃ損です」


 なんだかお説教みたいな言い方です。


「えーと……努力します」


 うまい返事が思い付きませんでした。


「毎日を充実したものにするために、何か夢中になれるものを見つけると良いかもしれません。すぐには難しいかもしれませんが」


 夢中になれるもの、かあ。そう言えば何でも中途半端で、熱中してるものなんてなかったかも。飽きっぽいし。


「頑張り、ます」

「ええ。高校生活はたったの三年。大切にしてくださいね」


 もう一年終わってますけど。


「さて、お話はこの辺にして……コーヒーでも淹れますか」


 勝手に話して勝手にコーヒーを飲むのもマスターの特権です。

 あたしは残ったテーブルを拭くことに慌てて取りかかりました。数は多くないはずなのに全然終わってませんでした。大体マスターのせいです。


「はあ……」


 やっぱりマスターの話はすごく頭と体力を使うから、苦手です。

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